長崎Now! 1/2

このコーナーでは三菱重工、MHPS、舶用機械エンジン他長崎の皆さんの活躍や地元のニュースを伝えます。

 

1)史料館だよりNew!

○飯島 史郎 様 New!

今月号は史料館をいろいろと取上げています。その一環として世界産業遺産登録のときから尽力され、現在も産業遺産国民会議理事をされている
飯島史郎さん(長機会会員)と史料館案内役のリーダー稲岡裕子さんのお二人に最近の史料館について対談して頂きました。(事務局)

   
   史料館だより  ー 飯島 史郎 様と稲岡 裕子様の対談

はじめに

 軍艦島(端島)の近くで釣り糸を垂れていると、次から次に観光客を満載した観光船がやって来て島の回りを大音響スピーカーでガイドしながら
一周して行く。軍艦島が明治の産業遺産のひとつとしてユネスコの世界遺産に登録されてから明らかに観光客が増え、観光船の隻数自体も増えた様
に思います。
 長崎市の観光統計から、観光客数をH10年から5年おきに書き出して見ますと、H10年度(512万人)、H15年度(509万人)、H20年度
(556万人)、H25年度(608万人)、そしてユネスコの世界遺産登録が成ったH27年度は669万人、昨年H28年度は熊本地震の影響を受けた
ものの672万人で、明らかに世界遺産登録後は観光客が増加しております。
 「明治日本の産業革命遺産」製鉄・製鋼・造船・石炭産業として登録されたのは8県11市に点在する23の遺産群であります。その内、長崎県
では、長崎造船所の小菅修船場跡、第三ドッグ、ジャイアント・カンチレバークレーン、旧木型場(史料館)、占勝閣の5遺跡(含む稼働遺産)と
高島炭鉱、端島炭鉱、旧グラバー住宅の合計8遺跡であり、登録遺産の約35%を長崎が占めております。
 長崎造船所の5遺産の内、一般公開しているのは小菅修船場跡と旧木型場(史料館)の2か所でありますが、本紙では「史料館」に於いて世界遺産
登録前後で、どの様な変化が生じているのか、長年にわたって史料館に携わって来られた稲岡さんに話を伺いましたので、その内容をお伝えしたい
と思います。
 稲岡さんは元長船総務、現在は菱重F(ファシリテイーズ)&P(プロパテイーズ)(元の菱重興産)に移籍し、チーフマネージャーとして史料館の管理と
案内を取り仕切っていらっしゃいます。

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飯島:稲岡さん、テレビなどで何度かお見掛けしました。お忙しい毎日だと思いますが、史料館の来館者は世界遺産登録前後で何がどう変わりまし
   たか?
稲岡:そうですね、来館者数が増えましたね。それまでは多くて年間に2万3千人程度でしたが、登録された27年度は約3万5千人に急増しま
   した。しかし、28年度は、熊本地震の影響もあったと思いますが約3万人に減りました、今年度は3万人をちょっと超す程度かなあ、と
   思っています。やはり、世界遺産登録時のフィーバーは過ぎた様に感じます。遠方より、わざわざ史料館を目指して来る方は殆どいません。
   グラバー園などに比べると、やはり史料館の知名度は低いですからね。

飯島:来館者に変化がありますか?年齢層とか、外人が増えたとか、著名人が来るとか?
稲岡:以前は、入館料が無料でしたので史料館見学がツアーに組み込まれたりしており、あまり関心のない来館者もいらっしゃいました。しかし
   世界遺産へ登録後は、送迎込みで800円/人(小人400円/人)の入館料(施設維持管理費)をいただいていることもあると思いますが、
   世界遺産を是非見学したいとの目的を持って来館される方が増えたように思います。年齢層については、・・あまり変化は感じませんが、
   男性一人での申し込みが増えた様に思います。そんな方は特に熱心で質問も多く、明治日本の産業革命遺産について、また三菱の歴史につい
   て詳しく説明をしております。外国人は・・5%、いえ、もっと少ないですね。積極的なPRはしていませんし、スタッフの対応も十分とは
   言えませんので仕方がないなあ、と思っています。 館内の説明板も英文併記のみで多言語対応はしていません。著名人ですね・・・世界
   遺産に登録が成った年には、取材や報道番組からの申し込みも多く、新聞・雑誌・テレビにいろいろ紹介して頂きました。俳優の榎木孝明
   さんが来館されましたが、何かの報道番組でした。著名人の個人的な来館はあまりないですね。マスコミの取材なども最近は少なくなって
   います。

飯島:社外からの入館者はどういう形で受け入れていますか。
稲岡:世界遺産に登録された後、増加する来館者に対しどの様に対処するかについて、他の世界遺産登録施設から学びました。それらを基に検討
   した結果、専用バスで送迎して、バス単位で受け入れるのが混乱も無く案内が出来、またセキュリテイーの観点からも一番良いとの結論に
   達し、バスでの送迎のみとしております。従い、史料館専用門は基本的には使用しておりません。


飯島:来館者数が増えていますが、案内者は何名いらっ
   しゃいますか?
稲岡:世界遺産に登録されたことにより、土日も開館
   することになりましたので、案内スタッフを増員
   し、シフト勤務で対応しております。今は、私の
   他に、スタッフが2名(菱重F&Pの契約社員が
   1名と人材派遣からの1名)、それと非常勤の
   アルバイトが4~7名/日で対応しています。重工
   のOBは私のみです。来館者数は、やはり春や秋
   の観光シーズンが多くなります。 長崎駅構内
   から史料館までは、先ほど申しましたように、
   専用のマイクロバスで送迎しております。通常は
   日に6回ですが、団体での見学が入ると、多い時
   には日に延べ12回で対応しております。
   そんな時は正にてんてこ舞いです。

飯島:長船の組織とか体制が大きく変わっていますが、
   資料の提供などはどうなっているのでしょうか? 
稲岡:造船と機械に分けたときに、造船関係は個人的に
   お願いして建造船の実績とか特殊船の資料などを
   頂いております。 間もなく、アイーダの客船を
   紹介するパネルを作りたいと思っております。しかし、機械関係は最近あまり資料の提供を受けおりません。営業がお連れするお客さんは
   圧倒的に機械関係が多いので、展示物をお持ちいただきたいと思っているところです。

飯島:判りました、MHPSにも知った人がいますので相談して見ます。最後に、稲岡さんが史料館の運営にあたって感じておられることをお聞き
   出来ますか?
稲岡:長崎造船所は三菱発祥の地ですよね、そして史料館とは、まさにそれを伝える貴重な財産だと思っています。その史料館を末永く多くの方々
   に見ていただけるよう、今後とも維持・発展させていけたらなあ、と思っています。

飯島:どうもいろいろと有難うございました。


あとがき

 稲岡さんとの対談中、度々隣室(事務所)の電話が鳴った。その度に、稲岡さんが「済みません」と声を残して走り受話器へ飛び付く。スタッフ
は全員案内で出払っている様だ。電話のやり取りから、入館の申し込みや問い合わせの様である。そんな中からも、来館者数が増えていること、
そして史料館をあずかる全員がフル操業であることを実感した。そんな史料館を運営して行く上で新たな課題や悩みもあると思うが、弱音や愚痴
ひとつ言わず笑い飛ばす、むしろ忙しさを楽しんでいる様にすら思える。史料館の価値を語る時の彼女は熱っぽく、史料館に寄せる強い思い、
そしてそれを任された誇りと強い責任感を強く感じた。彼女が言うように、史料館は長船にとってのみならず重工社全体にとっての貴重な宝物で
ある。世界遺産への登録を機に、この「史料館」を、歴史の証人としてしっかり維持すると共に、更に新しい歴史を加え発展させて欲しいと、
改めて感じた次第である。対談の後、機械部門(MHPS)に声を掛けたところ、早々に新しい展示物を検討して頂けることになり、楽しみである。