皆様からのお便り

 

 ○ 松永巖様    New!

あの重工ビル爆破事件から44年が経ちました。当時本社(丸の内)勤務だった松永様から、遭遇された夏の日の事故の思い出を寄稿頂きました。
(事務局)

  
   三菱重工爆破事件  松永 巖 様

 それは私が長崎造船所から本社に転勤してきて三年目の昭和49年8月30日に起きた。当時重工ビルの6階にあった産業機械第二部を本務
とし、第一部、開発部を兼務する部長代理として多忙を極めて居た。
 その日も所属のスタッフを集めて朝からレゾート開発の会議をして居た。何かの用で、私は会議を中座し鮫洲運転免許試験場に行った。帰った
時は既に12時は過ぎており、会議は済んで居るだろうと思って会議室に行ったら未だ続いて居た。「おい!もう12時過ぎだぞ、あとは食事して
からにしようよ」と言って、皆と一緒に地下の社員食堂に行くべくエレベータ・ホールに向かった。途中私は家内に買い物を頼まれていたことを
思い出し、急いで自分の席に戻り、柱に掛けてあった、その日仕立て下ろしの洋服の内ポケットから財布を取り出した。ひょっとして緊急の書類が
あるやもと思い、立った儘書類箱の書類をパラパラと一覧し、急ぐものはないと確認し、小走りでエレベーター・ホールに向かった。私を待って
居て呉れた数人に、お礼を言って、ドアの開いたエレベーターに乗った。ドアが締まりかかったその時である。突然大きな爆発音がして天井の
換気ファンが外枠ごと外れてぶら下がって大きく揺れた。同時に長年貯まっていた埃がエレベーターの中に舞い硝煙の匂いがした。この匂いは
学徒動員で群馬県の中島飛行機に居たときに爆撃を受け経験して居た。一瞬「戦争か!」と思った。エレベーターが5階で停まったので降りて
時計を見た。12時45分を過ぎて居た。走って窓際に行き中通りを見下ろした。通りには向かい側の三菱電機ビルの窓ガラスも全部割れて落ちて、
道路を埋め尽くしていた。数人の人が倒れて居て、その近くのガラスは血に染まているのを見た。「爆弾だ!」と独りで呟いた。腹が減っていた。
「腹が減っては戦はできぬ。慌てても仕方無い」と思い独りで動いて居るエレベーターに乗って地下1階の社員食堂へ行った。玄関ホールの真下に
当たる部分の天井のボードが垂れ下がっていた。賄いの小母さんが「何があったのですか?」と聞くから「解らん!食べる物あるか」と聞いたら
「蕎麦ならある」というから、蕎麦を一杯食べて音のした玄関ホールに出て驚いた。ガラスが全部無くなって居り、多くの人が右往左往して居て、
救急車の音も聞こえて居た。
 直ぐ職場の事を考えた。この日運悪く、部長は葉山に新築した家に、九品仏の社宅から引っ越しのため休暇を取って居た。自分が職場に戻って、
指揮指導をしなければならないと自覚し6階に戻った。エレベーターは破損はしても動いて居たが、2メートル角程の窓ガラスが、不思議なことに
一枚置きに無くなって居た。席に着く間もなく、部直、各課長に、社員の生死を確認するように命じた。
 爆弾は二つあると車内放送があったので、多少なりとも抵抗になると思い、ガラスの無い所はブラインドを下げさせた。部直の若い女性が直通
電話で泣き乍ら話をして居て、家と話をして居るというから「この電話は今最も重要なもので、独占、私用は許さん」と受話器を取り上げた。
人員点呼は順調に進み、程なく全員無事を確認した。そして休暇中の部長に電話で詳細報告をした。
 当日は金曜日、翌日台風襲来の予報があり、その注意対策も部の者に話をした。時を経ずビル管理会社の三菱地所が来て、日没までに破損した
全ビルの窓を応急処置の板で塞いだ。その速さと手際の良さに驚嘆した。
 私の本務の席は6階の窓を背にし左後方に柱があった。爆風は左下方から来たので、この柱の影響が大きかった。掛けて居た仕立て下ろしの新調の
背広と机の左側に置いた眼鏡には掠り傷一つ無かったが右側に置いた茶々碗は吹っ飛んで割れ、又スチール製の右袖の抽出しにはガラスの破片が突き
刺さって居た。
 若しあの時、書類を見るために坐って居たらと思うと背筋が寒くなる思いがする。
 翌土曜日、休日であったが保安要員として出勤、警察の視察を受けた。その後、警視庁捜査一課から各フロアに刑事が数日間出勤し全員に聞き
込み調査が実施された。外では中通りに数人の人が一列横隊に並び、爆弾の正体を掴むべく地面の物体の破片の捜査が行われて居た。後で新聞に
予想される爆発物の正体が発表になった時には日本の警察の凄さに感心した。
 後で犯行は東アジア武装戦線「狼」の仕業と解り9名が逮捕されたが、社員、訪問者、通行人併せて8名が死亡、367名が重軽傷を負った。
私の隣席の荻野君は偶々食事を済ませ玄関脇のカフェに居て出たとき爆発に遭遇し、膵臓にガラスの破片が到達し翌日亡くなった。又足首に小さな
破片が残って居て車のアクセルとブレーキの踏み替えの時痛むと言う者も居る。食事を済ませ窓より離れた席からガラスの破れるのをスローモー
ションの様に見ていた者も居て、彼の話によると、爆音と同時にガラスに無数のヒビが入り、水を被るように破片が飛び散ったそうである。又三菱
電機ビルのガラスより重工ビルのガラス方が厚く、その割れ方に差が出た由である。
 この事件は予告電話があり交換手が総務課長に連絡した直後で、仕掛けた二個は殆ど同時に爆発したと見られて居る。道路にあいた穴も含め今は
完全に元の姿になって居り、あれだけの爆発があったとは考えられない状態である。(2018・1・10)

                        以下いずれも当時の報道写真より

  重工ビル前の道路 中通り            中通り               重工ビル正面玄関内側   ほとんどの窓ガラス破砕