皆様からのお便り(馬渕洋三郎様)



インド合弁会社(インドJV)の設立体験記 (その2)      馬渕洋三郎

工場建設が緒に就く間もなく営業の成果が出はじめ、2008 年から最初の3年間で立て続けに4プロジェクト受注した。そのEPCプロジェクトの苦労をご紹介する。 (注)EPCプロジェクト=Engineering ・Procurement・ Construction (設計、調達、建設)の3工程を一括引き受ける事業
最初のEPCプロジェクトであるジェイプラカッシュ電力会社向けニグリー発電所はウッタルプラデーシュ州バラナシから車で7時間かかる
インド北部中央の森林地帯にあった。
 聖なるガンジス川の水での沐浴で有名なバラナシの町から出て国道を西へひた走り、見過ごしてしまう様な小路地を左に曲がる。ここから悪路の農村地帯、やがて猿が待ち受ける丘陵を上る。雨季には道が無くなる丘陵地帯の原野を超え、断崖絶壁の場所に出ると落石と断崖絶壁に挟まれた道。
 やっとのことでシディの町に着く。ここから森林地帯を抜けてニグリー発電所に向かう。安全を考えバラナシを午前中に出発しそれでも着くのは暗くなってからである暗い中から大きな発電所が見えてくると安堵した。

インドでは大型超臨界圧プラントの据付は初めてであり、途方もない52ヶ月工期のために当初はボイラ鉄骨・据付指導の坂本さん、川津さんをはじめ4名の指導員が出向いた。現地工事は技術面及び生活環境から更にハードルは高かった。派遣者が安心して業務に専念できるように、キャンプ設置は勿論、日本側からの食糧を中心とする生活支援及び健康管理が重要となった。全社的なコーポレート機能と長崎の事業推進室の専任組織、病院からの熱帯伝染病医師による医療支援、出張者、派遣者による物資(干物、刺身、お米など)の託送を行うなど厚いバックアップ体制をとった。

 


 お客様をはじめL&TやJVのインド側から絶大の信頼が得られたのは「三菱は技術に正直」との姿勢からである。
 高原さんのプロジェクトマネージメント指導は厳しかったが誰も反論できなかった上にJV業務遂行の必需品となった。 試運転技術課の高山さんを中心とする試運転グループはプラントシュミレーターよる教育など、よくぞ此処までインドエンジニアを育て3基のプラントを同時期に稼働させた。このように長崎の多くの皆さんとそのご家族の苦労により現在まで11プロジェクト向けボイラ22 缶・タービン発電機17 機を受注しており、現在も工場での製作と発電所建設現地における据付作業をおこなっている。インドJVが製作した発電設備が2014年より運転中であるが、高い信頼性と効率を両立した設備が電力事情や環境改善に寄与し、インド発展に寄与できればこれ以上の幸せはない。
 一方、長崎ではボイラの基本設計、タービン設計及びボイラ・タービン主要部品の20~30%を製造供給している為、技術伝承の一助となる上、インド以外向け国内外プラントではインドJVを同様に活用することにより競争力強化になっている。
 ここまでインドJVが上手くいっているのはインド側のラーセン・アンド・トウブロ(L&T)社をパートナーとしたこと、特にインドJV初代社長のランバさん、ダスさんが「三菱のものづくり」を充分理解していたことが大きい。