皆様からのお便り 「三菱のラグビーに思う」 西妻多喜男様

   三菱のラグビーに思う     西妻 多喜男 

 2019年の日本開催のワールドカップで日本代表がベスト8になったことで、ラグビーが大きくクローズアップされました。
しかし、コロナの感染拡大により、ラグビーへの興味も段々と薄れつつあるようで、少し寂しい思いをしていましたが、2月から
のトップリーグの開催で徐々に注目も上がってきているように思います。
 トップリーグの三菱の代表チームはMHI相模原のダイナボアーズですが、予選リーグのレッドカンファレンスでは1勝1分5敗
と7位の成績に終わり、プレーオフトナメントでも2回戦で敗退し、最後のトップリーグのシーズンを終えました。
 一方トップリーグのプレーオフは昨年覇者の神戸製鋼に勝ったクボタ、医者を目指す高校の後輩の福岡選手を有する
パナソニック、ニュジーランド・オーストラリアのキャプテンを有するトヨタ、各国の人気選手と日本代表選手で固めた
サントリーが優勝を争うこととなり、興味深い試合が見られると期待しています。(5月23日には優勝チームが決まります)
 今年度のトップリーグを見ると、2019年のワールドカップで活躍した世界中の有名選手が大集合し、レベルの高い試合を
展開していますが、有力外国人に引っ張られて、日本全体のレベルが向上し、2023年のフランスワールドカップでの成果に
繋がればと期待しているところです。
 さて、この現在の日本ラグビーの盛況は、1866年横浜駐屯の英国兵士らが“横浜フットボールクラブ”をアジア初のラグビー
クラブとして設立したことに端を発します(最近認定された)。
 それから33年後の1899年に慶応大で始まり、更に約30年後の1927年に長船ラグビー部が誕生しています。
関東全三菱ラグビークラブの設立が1928年ですから、三菱ラグビーの発祥は、やはり長崎ということです。
 長船ラグビーの初戦は1927年12月に行われた三菱VS長崎高商戦で、21対0で三菱の敗戦であったが、グランドには約千人
が詰めかけ、「きわめて男性的な競技」として大変盛り上がったようです。
 長船ラグビーの発祥は1922年春京大より入社した吉田義人氏(後の新三菱社長)が学生時代のラグビー生活を通じて体得した
人間形成の魅力と楕円のボールが忘れられず、有志十数人と始めたことに発したと記されています。
 吉田義人氏については、その後も全三菱ラグビークラブの設立に尽力され、現在でも三菱グループの公式試合として吉田義人杯
が行われており、三菱ラグビーにとって最大の貢献をされた先輩であると確信しています。
同氏の人となりについてはインターネットなどで知ることが出来ますが、岩崎小弥太氏との逸話については興味深いところです。
 同氏が戦後の三菱の経営についても大きな功績を残された方であることは歴史が証明しているように思います。
その後長船では課工場対抗戦などで広くラグビーが普及し、ラグビーの持つフェアー・リーダーシップ・コミュニケーション・自
己犠牲等の精神は、長船魂の形成の一翼を担ったのではないかと思います。
 日本のトップリーグはグローバル化による外国人の台頭により、チームを維持するための費用も高額になっており、大きな
変革の時代を迎えています。
 昨年から相模原のダイナボアーズは三菱重工の本社の管理下に入り、マラソン、野球、サッカーとともに三菱重工のイメージ
アップの象徴的ポジションとなっていますが、ダイナボアーズを今後長く支えていくためには、三菱グループ全体の大きな支援
が必要ではないかと考えており、全三菱ラグビークラブとしても最大限の具体的な支援活動を実行しています。
 かつて三菱自工京都が社会人ラグビーを制覇したように、三菱のラグビーチームが日本を元気にする時代が再来することを
願っています。今後とも、ダイナボアーズの応援をよろしくお願いいたします。以上