皆様からの「想い出の一枚」 ― 若き獅子たち― 冨永 明 様
前世話人代表 冨永様の若き日の想い出の写真を投稿頂きました。お風呂の写真などなかなか見れない貴重な想い出の写真を見ているとコロナ禍
で今や遠くなった「古き良き時代」を思い出させて頂きました。ありがとうございます。【伊藤】
「若き獅子たち」 冨永 明
昔作成した組み写真を「一枚の写真」としてそのまま使用させてもらいます。私は昭和41年(1966)に入社。長船火力プラント部 計画室 計装電気
グループに配属された。 当時の計電グループは14人という少人数で10年先輩のグループ長はまだ平社員という若者の集団だった。自社に工場がな
く自分で計画して、仕様書を作ってもあとは買物ばかりだったので「計電はブローカーだ」と他の設計から揶揄されていた。しかし、よちよち歩きの
職場は歴史と伝統の組織とは違って風通しが良かったし、初めて取り組むことが多く自分自身の裁量で計画を進められる面白味があった。全員が「今
はちっぽけな集団だがこれからは自分たちの時代だ。いずれ世界一の制御装置を自分たちでつくるぞ!」という思いを秘めて諸先輩や長研の協力を
得ながら意気軒昂に新しいものに挑戦していった。上の写真は昭和40代初期の若き獅子たち(私が勝手に命名)である。現在存命者の年齢は70代後
半から80代後半となり、2名の方が既に鬼籍に入られた。若き獅子たちの熱い思いは後輩にも引き継がれ、バーナー制御装置、プラント自動化
FGC(Functional Group Control System)、プラントシミュレータ、コンピュータ制御システム、ネットメーション等々自社製品の開発を進め、自分
の工場や関連会社を持つようになった。 (コロナ感染拡大の昨年を除き)毎年、長崎で行われるOB会では昔に戻り若者に交じってワイワイガヤガヤ
と旧交を温めている。
【冨永明 略歴】
昭和41年(1966年 )三菱重工入社(長崎造船所火力プラント部計画室計電グループ)
計電グループに13年間所属 昭和54年(1979年)プラントグループに配置転換。
その後火力プラント設計部、火力プラント建設部