長崎Now! 1/2

このコーナーでは三菱重工、MHPS、舶用機械エンジン他長崎の皆さんの活躍や地元のニュースを伝えます


1) 舶用プロペラの最終鋳込み   New!

      特別レポート 勝代治伸様 (機械管理部・一工作部OB)

長船の舶用プロペラは創業以来113年の歴史を持ち、約6000基の生産を行ってきましたが、来年3月末で製造から撤退することになり
ました。11月8日にOBを含む関係者が見守る中、最後のプロペラの鋳込みが行われましたのでその模様をレポートします。

 最後の製品は国内造船所向けコンテナ船
 用φ6.9mⅹ6翼・32トンで、鋳型
 はNO.4ピット(φ10m)で作られ、
 溶解は40Tと30Tの反射炉が使われ
 ました。見学者が見守る中、いつも通り
 のきびきびした動きで準備が進められ、
 午前9時過ぎから出湯が開始されまし
 た。2つの反射炉から出湯されている
 間、溶解重量や出湯時の温度等が時々
 刻々報告され、張りつめた雰囲気の中
 9時40分過ぎに終了しました。これ
 から来年3月16日の立会検査に向けて
 機械加工と仕上を行っていくとのことで
 した。

 見学会には、三菱日立パワーシステムズ
 ・三菱重工マリンマシナリ・長崎研究所
 などの関係者、推進器課OB、労組関
 係者、更には長年仕上を担当してこら
 れた長崎鋳造(株)など協力会社の関係者
 等80人以上の方が参加されていました。
 鋳込みが終わったあと工場見学とOBと
 の懇談会があり、その中では、今回の
 撤退を惜しむ声と共に「あの40T反射
 炉は日本で一番活躍した歴史的遺産だ」
 とか「明治41年建立の柱がよくもった
 ものだ」とか「史料館になる前の木型場
                                                は雨漏りがひどく大変だった」など昔を
                                                懐かしく振り返る話もされていました。

 舶用プロペラの工場は、「安政の大獄」
 前の安政4年に徳川幕府長崎熔鉄所とし
 て起工され安政6年に鋳物場として稼働
 したのが始まりであり、舶用プロペラの
 製造を開始したのは113年前の明治
 37年、推進器課と課名を変更して専門
 工場になったのが44年前の昭和48年
 と長い歴史があります。その間、最大重
 量95トンを筆頭に約6000基の舶用
 プロペラを製作してきていますが、
 その中には組立式可変ピッチプロペラや
 南極観測船しらせ向けのステンレス製
 プロペラなども含まれています。

 

 


尚、蓄積された舶用プロペラの製作ノウハウについては、創業100周年を記念して平成17年に「推進器製造100年のあゆみ」として
設計技術と効率化を目指した開発の歴史、製作方法と設備の変遷、海上運搬中の落下事故などの失敗談が纏められており、既に史料館にも寄贈され
ています。今後、更に製作に使われてきた機器や資料などを整理した上で、歴史として残すべきものがあれば史料館にも保存していく予定とのこと
です。

次の写真はプロペラ事業100周年の時の長船ニュース(2005年2月号)からの抜粋です。