皆様からのお便り

 

 ○相川賢太郎様    琵琶湖西岸と伊賀上野の旅     New!

  初夏のこの時期、旅行を計画しておられる方も多いことと思います。この旅行記は8年前の5月に琵琶湖西岸と伊賀上野を旅行されたときの
  もので、当時日本工業倶楽部の会報に掲載されたものです。(事務局)

 

琵琶湖西岸と伊賀上野の旅        相川賢太郎

今回の旅行は日本工業倶楽部で希望者を募り、集まった一行9人、琵琶湖の西岸を通って伊賀・上野に抜けると言う、いわば裏街道の旅にでました。5月16日、絶好の五月晴れのもと、新幹線・米原駅よりバスでスタートし、小さな歴史に彩られた静かな村々を訪ねる、心に沁みる旅でした。

 旅行地図は次の通りです。

 


・琵琶湖北岸・菅浦村
賤が岳七本槍の古戦場を経て菅浦村に着くと、そこは人影もなく、ひっそりと由緒ありげな村でした。
琵琶湖の最北端にあるこの村は、天智天皇の近江京の時代、北陸と京を結ぶ湖上交通権を掌る要衝と
して栄えた町だそうです。村の入り口には、入村者をチェックした四足門と称する茅葺の門があり、
浅井長政ゆかりの寺・遺跡の石碑等が残っております。村には淳仁天皇が遠流されたところは淡路では
なく淡海(近江)であったという言い伝えがあり、須賀神社の古墳は淳仁天皇の御陵であると、村人は
半信半疑ながら信じようとしていました。村人達のささやかな誇りのようでした。恵美押勝の乱で
敗れて、この付近の砂浜で処刑された天武天皇の孫・塩焼王の御陵ではなかろうかと思い当たるのも
旅の楽しさです。

                                                    [村入口の茅葺・四足門]


・朽木村・興聖寺(重要文化財)
中江藤樹・生誕の村を通りぬけ、約一時間のドライブで朽木村の興聖寺に着きました。承久の変の
戦死者を弔うために1240年に建立された、近江の守護・佐々木信綱の菩提寺です。足利隆晴が
三好・松永の乱を避けて3年半ここに滞在したことがあり、将軍を慰めるために佐々木・浅井・京極
の諸候は庭園を築き献上しました。、それが重要文化財「秀隣寺庭園」として今も残っています。
足利義輝も6年半滞在した由。 本尊は後一条天皇寄進の釈迦如来像ですが、佐々木候が北条高時の
命で千早城を攻めた時に兵火より救い出したという、楠木正成の持念仏・不動明王も祭られています。皆、重要文化財です。駒沢大学出身の若い住職の話は大変印象的でした。


                                                    [朽木村・興聖寺]

・大津・琵琶湖ホテル
びわ湖畔に面したホテルからの眺めは雄大で、近江京のあたりにはビルが立ち並んでいましたが、飛鳥から遥々遷都をされた理由が判ったような
気がしました。
   淡海の海夕波千鳥汝が泣けば
      情けもしのにいにしえ念ほゆ      柿本人麻呂


・伊賀・上野・忍者屋敷
新名神道路を約一時間走って忍者の里伊賀上野着。阪神の大都会の近くにこんな大密林があるのに
驚きました。 藤堂高虎の持城・上野城跡には芭蕉記念館と忍者屋敷があり、興味深い資料が展示
されていました。舞台では2人の若者が忍者の技を披露してくれました。上野の農家は貧しいため
忍者の修行をして若干の扶持米を貰い、いざと言う時には命を受けて出動していたそうです。奥の
細道での芭蕉の足取りは常人には無理なスピードで、芭蕉も忍者の訓練を受けていたのではない
か、と言う話を聞いたことがありますが、在りそうな事だと思いました。

 


                                                    [忍者の技]

・伊賀・上野・芭蕉生家
城の近くに芭蕉の生家がありました。芭蕉が29歳で江戸に上るまで使っていた書斎「釣月軒」と
いう6畳の離れも残っております。 近くには芭蕉が句会に使った芭蕉翁五庵の一つ「蓑虫庵」
が、昔のたたずまいのままに残っており、今にも芭蕉が草鞋を履いて現れそうな雰囲気でした。

・料亭・三田清
江戸時代から続く由緒正しい料亭で昼食をとりました。 鰻までついた、大変美しく美味しい会席
料理でしたが、言葉少なくキリットした対応は、武士をもてなした200年来の作法かと感心しま
した。


                                                    [芭蕉・釣月軒]


・関宿(史跡)
伊賀上野よりバス一時間の所に関宿があります。
日本の3関「鈴鹿・愛発(あらち)・不破」のうちの「鈴鹿の関」が在った所で、東海道53次の江戸
より47番目の宿場に当たり、1・8KMの町並みが昔のまま残っています。旅籠には煎餅布団・
枕屏風・箱枕・お頭膳など、昔ながらの風情が残されていました。

 

 

                                                   [鈴鹿の関・関宿の街道]


・関・地蔵院(重要文化財)
関宿の入り口の地蔵院には、741年、民衆を天然痘から救うために東大寺・行基が祭った、わが国
最古の地蔵菩薩があります。此の本堂は5代将軍・徳川綱吉公が1700年に建立したもので、狩野
永敬が10年かかったと言う見事な天井絵が画かれております。 隣の愛染堂は1267年、鎌倉
時代の建物で、豊臣秀吉が寄進したという金銀をちりばめた見事な厨子があり、空海が唐よりもた
らした愛染明王が祭られています。これらはすべて重要文化財の由です。
此の地蔵院には、明治天皇が2度行幸されており、玉座が保存されていました。国の隅々まで文化
が浸透している事に胸を打たれました。

 

 


                                                   [日本最古の地蔵菩薩]
・長島温泉・ホテル花水木
伊勢湾奥の桑名市海岸にある長島温泉に泊まりました。天然ガス採集井戸を掘削した所、はからずも温泉が噴出したので、温泉ホテルに切り替えた
ものです。湯量豊富で個室のバスも温泉でした。


・なばなの里
ホテルの近くに大きな花園があり見渡す限り花・花・花・・・・。その美しさは見る以外に表現できません。ホテル花水木に泊まった人は無料です。



・洋館・諸戸清六邸(重用文化財)
山林王・諸戸清六氏が大正2年に建設した美しい洋館で、東京駅・鹿鳴館・三菱開東閣等と
同じコンドル博士の設計ですが、こじんまりして、これなら住んで見たいと思わせる
魅力的建物です。

・和館・諸戸清一邸(重用文化財)
室町時代より在った名園に、1884年米穀商・諸戸清一氏が純和風の邸宅を建設しま
した。

 

                                               [コンドル博士設計・諸戸清六邸]
・料亭・魚重楼
江戸時代より100余年続く桑名焼蛤の料亭であるだけに、味も応対も上野・三田清とともに老舗の風格をそなえています。

・徳川美術館
最後の訪問は   名古屋・徳川美術館の徳川家財宝を見て豊かな気分となり旅を終わりました。

今回の2泊3日の旅は、60歳~83歳の一行9人、トボトボと歩くこと約3万歩に達しましたが、好天に恵まれ、津々浦々の小さな物語りに
惹かれて、殆ど疲れを感じませんでした。