皆様からのお便り
日本語あれこれ その1 「音訳」 冨永 明 New!
私は生まれてから福岡と長崎で57年間を過ごした生粋の九州男児(田舎っぺ)です。入社して35年間住んだ長崎から東京に転勤して来て以来、
関東での生活はいつのまにか18年になりました。
現役を離れて時間ができたのを機会に今までやらなかった分野のことをやろうと思って、外国人相手の日本語学校での教師と朗読ボランティアとを
始めました。ここでいう朗読とは厳密には「音訳」といい、視覚障害者向けに各種の本や雑誌等の朗読をすることです。その他、我流で細々と描いて
いた油絵も先生について再開しました。これらはどれも15年前に今の川崎市に移って来てから始めたことです。
長船勤務時代も仕事の関係で、九州以外の人(外国人を含む)と話す機会が多く、相手が日本語の共通語を話す場合はこちらも共通語で話して
きました。少なくとも自分ではそのつもりでした。皆さんからも「冨永さんは九州出身なのに訛りがないね」とよく言われました。今になって思え
ば多分周りの人の優しい思いやりだったのでしょう。しかしさんざしというボランティアグループに入って朗読をし、また外国人に日本語を教える
ようになって自分の日本語を見直してみると、共通語を話しているというそれまでの認識が間違っていたことに気づきました。日常の会話では意味の
通じる範囲の細かい発音の違いは、周りの人もあえて指摘したり、聞き返したりすることはないから自分では気づくチャンスがなかっただけのこと
だったのです。その代表がアクセントです。
福岡出身の芸能人には郷ひろみ、氷川きよし、小柳ルミ子、松田聖子、浜崎あゆみ、長崎では福山雅治、
さだまさし、役所広司等、昔から都会に住んで共通語を話していたかのようなイメージの人が沢山います。
(武田鉄矢のように方言を売り物にしている人は別ですが)。 これらの人も家族や同郷人との私的な話
では「どげんしょーとや?」「寒うなったねえ」(博多)、「なんばしょっとね?」(長崎)と言って
いるに違いありません。
朗読ボランティアグループは本を読んでCDにして、希望するリスナー(視覚障害者)に届けます。
私が音訳を始めてからすぐ読んだ本の中に、「数学
(すうがく)」という言葉が頻繁に出てくる本や、
「ペンキ」という言葉の多い本がありました。この2つ
の言葉の私のアクセントが共通語と違っていたことを
校正担当の女性の仲間から指摘されました
(比較は右枠の通り)。
筆者注:日本語のアクセントは高低であり、英語のアクセントの強弱とは異なります。アクセント記号は高い部分はカタカナの上部に――を
引き、低い部分は下部に――を引きます。
直さなくてもいい」ということになっていますが、都会の人は奇異に感じるだろうと思いすべて直しました。このため録音を何十か所もぶつ切りに
して共通語のアクセントで吹き込み直す羽目となりました。
ペンキに似た言葉で「インク」は2通りのアクセントが
共通語として認められているから不思議です。理屈では
ありませんね。
最近ちょっと気になるアクセントがありました。
「雇用」です。私は昔から、共通語で発音していま
したが国会で安倍総理大臣他多くの先生方は右の様に
発音されています。念のためNHKのアクセント辞典と
新明解のアクセント辞典(金田一春彦)を調べてみま
したがどちらも私のアクセントの様になっています。
どちらでも通じるわけですから、そのうち総理大臣の言った方が共通語になるかも知れません。
さて5月1日からスタートした新しい元号「令和」を
どう発音(アクセント)するかを、NHKは令和という
元号の発表された4月1日に放送しました。
右の通り総理も官房長官も、そしてNHKの基準も同じ
でした。
以上の紛らわしいアクセント「数学」 /「ペンキ」/「インク」/「雇用」/「令和」を拙い私の音声でお届けします。
☟
アクセントは頭で覚えるのは大変で、気にしだすとどちらが共通語でどちらが地方のアクセントであるかが分からなくなり、アクセント辞典が
手放せなくなりました。日本語教師の資格試験では読み上げられる言葉のアクセント(高低)を4枠から選択する問題はありましたが、幸い共通語の
アクセントはどれかという問題はありませんでした。もっともそんな問題が出たら地方出身者からは、不公平だとブーイングが上がるでしょう。
あくまで共通語であり、今は「標準語」とは言わないのです。現在はアクセント辞典が入った電子辞書があり、高低の表記だけではなく、実際の
音声も入っているので便利です。私の座右に必須のツールとして置いています。
もともと生まれたときからの自分の言葉として共通語を覚えた方、共通語を覚えようとして努力されている方、自分の生れた地方のアクセントを
自分の強みとされている方、いろいろです。いろいろあってこそ味わいがあっていいのだと思います。
ところでどんな本を音訳してきたのか、主なものを簡単にご紹介しましょう。一部のタイトルの右に朗読時間を示しています。私自身が選んだ
ものと、リクエストされて読んだものとがあります。
①ノンフィクション・新書
死の淵を見た男(福島原発)(門田隆将)10時間50分
できそこないの男たち(福岡伸一)6時間30分
国家の品格(藤原邦彦)、
目の見えない人は世界をどう見ているのか(伊藤 亜紗)5時間20分 他
②ミステリー
松本清張、江戸川乱歩他
③時代小説
五峰の鷹(安部龍太郎)15時間40分
④冒険もの
無人島に生きる十六人(須川邦彦)
⑤自伝小説(お笑い)
佐賀のがばいばあちゃん(島田洋七)他
⑥理工系図書
制御工学入門、微分積分入門
現在私が一番時間を使っているのはテーマ⑥の理工系図書
です。大学の図書館や盲人図書館には音訳されたいろんな
種類の録音図書(CDまたは テープ)があるのですが、
理工系図書の音訳は殆ど見当たりません。数式の読み方は
晴眼者の読み方と同じでは目の見えない人は理解できま
せん。誤解を招かない論理的な読み方が必要で、場合に
よってはリスナーとの間で約束事を決めて音訳していきます。
複雑なグラフ、図形、絵、写真等は音訳することが困難で
あり、専門家の点字や触読図(表面に凹凸のある印刷物)を
併用することになりますが、それでもリスナーにとって理解
するのは困難を極めます。右に示すのはその一例です。
さて、ここで録音の進化について簡単に説明しましょう。10数年前までは音訳グループでも録音のメディアとしては音楽にも使われている
カセットテープが普通でした。
しかしテープでは上に示したように比較的短い新書版1冊で6時間前後、両面90分のテープで4~5本。表面と裏面をひっくり返しながら5本の
テープを聴くのは視覚障害者には煩わしいことです。幸い今はDAISY(デイジー)というソフトが開発され、通常のCD1枚(音楽だと約1時間
収録)に、朗読に必要な音質レベルでは50時間程度まで録音できるようになりました。但し、専用のプレイヤーかパソコンソフトを使う必要が
あります。
注:DAISY(デイジー)とは、Digital Accessible Information SYstemの略。
ここ数年来、視覚障害者や普通の印刷物を読むことが困難な人々のためにカセットに代わるデジタル録音図書の国際標準規格として、
50ヶ国以上の会員団体で構成するDAISYコンソーシアム(本部スイス)により開発と維持が行なわれている情報システム。
DAISYコンソーシアム公認のソフトを使ってデジタル図書を作ることができ、専用の機械やパソコンにソフトウェアをインストールして
再生をすることができる。国内では、点字図書館や一部の公共図書館、ボランティアグループなどでDAISY録音図書が製作され、主な記録
媒体であるCD-ROMによって貸し出されている。
従来のカセットテープ (90分テープ5本) デイジー録音したCD(1枚)
このソフトで録音したものには本の目次、ページ、章や節などを書込むことができ、読む人はそれを使って必要なところを聴くことができます。
このソフトはいろんなニーズを入れて進化しています。私が属しているボランティアグループではリスナー(音訳の聴き手)が約100人おられ
ますが今は全員CD(DAISY)に変わりました。
最後に数年前リスナーからのリクエストで音訳した「シルバー川柳」から2句をご紹介します。後期高齢者の仲間入りした我が身には、納得の
いく句ばかりです。
飲み代が 酒から薬に 変わる年
名が出ない あれこれそれで 用を足す
注:この文章は朗読ボランティアグループの会報に投稿した「共通語ってな~んだ ― たかがアクセント、されどアクセント」を、一部流用
しました。
尚、日本語教師の話はまた塙を改めて 「日本語あれこれ その2」 として後日(皆様からの投稿が途絶えた頃)ご紹介したいと思います。