皆様からのお便り 

十二指腸がん     松永巖様   New!  


 昭和48年(1973)本社で新機種開発を担当して居た時の事である。日本のX線器械の性能が、未だ良くなかった頃フランスのCGRと言う会社の
器械が優れて居る事を知り、技術提携をする事を考えた。
 それにしても、その器械の現物を見て、性能を試して見る必要があると思い、色々手を尽して調べた所、幸にも近くの三菱商事の本社に、その
器械の在る事が解った。早速その筋を通して事情を話し、調査する承諾を得た。そしてその日は社医としてのがんセンターの先生の来る事も知ら
された。それではと、当の自分がモルモットになり、本格的にバリュームを呑んで、CGRの器械で胃のX線写真を撮る事にした。
 当日がんセンターから来た医師は小黒八七郎先生と言い、柳田邦男の小説「ガン回廊の朝」に実名で出て居る有名な先生で、オリンパスエ業と
胃カメラに目盛を付けるなど、開発改良をされた、胃がんの権威者である。
 当日11月26日、小黒先生指導の元、X線撮影が終った。結果を見るのを楽しみにして居たが、返答が遅く、商事を通して先生に問い合わせた所、
先生から直接電話が掛って来た。答は予期せざるものであった。
「影像に怪しい影があるので精密検査をしたいから、築地のがんセンターに来て下さい」と言う事であった。
とんでも無い結果に、大いに当惑したが、取り敢えず、11月28日がんセンターの小黒先生を尋ねた。先生は「胃ではなく、十二指腸に影がある。
十二指腸がんは滅多に有るものでは無いが、念のため、更に詳細に検査をするので、胃カメラを呑んで下さい。若し十二指腸がんなら学会ものです」
と言われ、12月8日に来院せよと日時迄指定された。さあ大変! 新機種開発所では無く、自分がどうなるか解らない。 ・
 検査後直ちに入院、手術になるかも知れない。自宅に帰って家内に話をし、下着、洗面用具など入院の準備をさせた。家内は話す言葉も涙声に
なって終って居たが「未だ決まったわけではない。心配するな」と励ましたが、自分自身も不安に満ちて居た。
 当日家内は連れず一人でがんセンターへ出掛けた。小黒先生が手際良く説明して呉れた。
 先ずX線搬影であるが、胃ではなく、十二指腸迄確実にバリュームを入れる必要があるわけで、X線技士が、直径7mm位、長さ1m以上のビニー
ル管を持って来て「これを呑んで下さい」と言う。「こんな長い物をどうやって呑むんですか」と言ったら「口を大きく開いて下さい」と言うや
否や30cm位管を喉に投げ入れる様に突込んだ。「げ-つ」と吐きそうになるのを堪えて居ると、食道を擦り乍ら入って行くのが解った。技士は
途中で、その管に針金を入れ始めた。モニターを見乍ら幽門を探し当てる。彼は「口から幽門迄約1mはある」などと話し乍らビニール管を十二指腸
迄届かせた。そして大きな注射器で、バリュームを注入し、色々な角度から撮影した。その日には入院はなく13日に胃カメラを呑む事になった。
 胃カメラは小黒先生ではない担当医が行った。やはりモニターを見乍ら幽門に誘導し、十二指腸迄届かせた。先端が幽門を突き抜ける時は、胃袋
に孔を開けられる様な感じであった。胃カメラのスコープは1m20cmあるそうだが、カメラが口の直ぐ前にある感じがした。例に依って空気を
送って胃袋を膨らませて居るのが辛かった。前述の様に十二指腸がんは稀にしか無いと言うので小黒先生始めインターンの学生など数名が代る代る
覗くのに時間を取られて閉口したが、一応撮影が済んでホッとした。
 最終的に小黒先生の説明では「普通の人の十二指腸はCの字の形で胃と腸が繋がれて居るが、貴男のは非常に稀にしかないε(ギリシャ文字のイプシロン)の形をして居て、この曲部にバリュームが残ったもので、がんではありません」と言うものであった。
「良かった!」天にも昇る気持で、真っ先に家内に電話をした。家内も電話の向こうで喜んで居る様子であった。
 技術提携の話は、色々検討の結果、実を結ばなかった。
 この記事を書くため調べたのだが、小黒八七郎(おぐろやなお)先生は私と同郷の新潟県のご出身で、1929年生れ、東大医学部をご卒業、がん
センター、東大、東邦大などに勤務、赫々たる業績を残され、1997年68歳の若さで他界されて居る。

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