皆様からのお便り 「日本語教師」 後編 (冨永明様)
日本語あれこれ 「日本語教師」 後編 冨永 明
9月号の前編に引き続き「日本語教師」後編をお送りします。
3.横浜の日本語学校就職
インターネットで求人募集のある学校をいくつか見つけて「ビジネス日本語」 (ビジネスマンに必要な日本語や日本の流儀を
教える) を得意分野 として願書で申し込みをしましたが、日本語教師としての実務経験がゼロなので書類審査で落とされました。
そのための経験を積もうとすれば 海外の実習プログラムに参加する等の必要があり海外旅行並みの数十万円の費用が必要になります。
一方、中国や東南アジア等の求人募集は ネット上に沢山ありますが、近くに日本人が誰もいない外国の僻地に数年間ひとりで住んで
日本語教師に専従するというところまでは踏み切れ ませんでした。採用されなければ経験は積めないし、経験がないと採用されないし、
鶏が先か卵が先かで困りましたが、幸い横浜山下町の日本語 学校が未経験の私を採用してくれた(拾ってくれた)のですぐそこを選び
ました。後から伺ったところでは、ビジネスマンや外交官向きの男性教師 を求めていて、面接後即採用を決めたということでした。
横浜は長崎同様私の大好きな港町で、近くに山下公園、元町そして中華街があります。
その学校は長年通っている生徒さんやその同僚、子弟が多く、生徒思いでスチューデント・ファーストとでもいうべき校風を持つ
質の高い学校です。 難を言えば個人的なことですが自宅からドア・ツー・ドアで1時間半もかかるという点でした。
この時期、ボランティアでやっていた音読がそうであったように日本語教育でもテープからCDへの転換等教材のディタル化が求め
られる時代 であり、授業以外でも協力してこれを推進しました。その延長と言えるかも知れませんが、今から約10年前、校長先生に
依頼されて学校のホーム ページを作りました。以下私が先生方と協力して作ったホームページからの切り抜きを添付し、ご覧頂きなが
ら学校の活動状況をご紹介します。
表紙には重工現役時代、火力のビジネスでも使用した「ホームドクター」というキーワードを選びました。
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レッスン風景
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【授業を離れたイベント紹介】
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4.日本語教師を経験して
教師は10数名、うち男性は1~2名。ここも私が所属する音訳のボランティアグループ(男性会員は1割程度)と同様、女の先生中心
の花園職場 です。マン・ツー・マンのレッスンが中心で相手は外国資本の会社の幹部・中堅社員、外交官およびその家族、横須賀在住の
米国軍人等。それに 横浜のインターナショナル・スクールの先生や父兄、児童。 長船への通勤は昭和寮時代は始発のバスがあり、
結婚後は長与の自宅からの自家用車 通勤が多かったので通勤ラッシュの経験はほとんどありませんでした。
しかし第2の仕事では早朝(生徒出勤前授業)、夜遅く(生徒の勤務終了後 授業)が多く都会の通勤ラッシュの厳しさを経験しました。
MHI横浜ビルの後輩に何度か電車で会ったこともありました。
教授法はいわゆる直説法と呼ばれるものを基本にし、授業中は英語のような媒介語を使わず原則日本語漬けです。(私が個人的に英語
で話したい と思った時以外は)英語は新しい単語の導入時や微妙なニュアンスを伝えるときに補足的に使う程度です。すでに学習した
ところまでの日本語を フルに使って会話をしたり、あとは身振り手振りやツールとして説明図、地図、写真、実物等を使います。
学校は山下町にあり、授業は基本的には そこで行いますが、みなとみらい、新横浜、横浜駅周辺、天王町等近郊にある生徒さんの会社、
横浜山手の米国国務省日本語研修センター等々 いろんなところに出向いて出張レッスンをしました。
またある時期からオンラインレッスン(スカイプ)を始めました。教師になりたての頃は教えること、生徒さんと会話することが
面白く、遠隔 通勤もあまり気にはならなかったのですが、年齢を重ねるにつれだんだん往復3時間が負担になってきました。
偶々教えていた生徒さんが長崎に 転勤になったため、それを機会に提案してオンラインレッスンを始めました。
今年の新型コロナウイルスの流行に際してはzoom等のソフトを 使ったリモートレッスンも積極的に活用されるようになりました。
私が教えた生徒さんは次のように年齢、職業、国籍、日本語能力、いずれもまちまちです。
年齢: 10代から60代。男性も女性も。
職業: 一般のビジネスマン(含むウーマン)、ロイド船級協会検査官、米国外交官、米軍人・軍医、自営業、学生
国籍: 筆者の生徒さんは米国、英国、スイス、ベルギー、オーストラリア、ブラジル、韓国、・・。
学校全体の生徒さんとしてはアジア、 ヨーロッパ、アメリカ、南アメリカ、アフリカ、オーストラリアの50ヶ国以上の
国々から。
教え方:マン・ツー・マン 生徒は一人または同レベルの数人(夫婦あるいは同僚) 直説法
日本語能力レベル: 生徒さんが受験する「日本語能力試験」(国際交流基金と日本国際教育支援協会が実施)は簡単な方から
N5,・・・,N1と 5段階に分かれています。私は初級から上級までの授業を経験することができましたが、
その中でも全くの初級よりも中級から上級者に 日本のビジネスを教える方が得意でした。
最初に担当したのはブラジル人のGさん。何時間か校長先生の授業に同席して勉強し、その後一人で担当するようになり
ました。ブラジルの 自動車会社の日本駐在員です。CBCの関係で私自身何度も足を運んだ国ですし、彼の明るい人柄もあって
観光地、サッカー・ワールドカップ、 オリンピック、食べ物等についてフリートーキングの話題は尽きませんでした。
長船の造船・機械部門が昔からお世話になっているロイド船級協会の検査官も2人教えました。そのうちの1人Nさんは横浜
では 重工以外の船会社 担当でしたが彼を2年間教え、その後、長崎に転勤になったので、オンラインレッスンを提案し上海に
転勤するまでの2年間続けました。彼は菱重 興産が経営していたホテルトレディア中島の跡地にできたマンションに住んで
いました。長船の検査は勿論ですが大島造船、名村造船等にも泊り がけの出張で検査を担当していましたが、この間も
レッスンは続けました。私がOB会のため長崎に行ったとき、彼を誘い長崎市内や史料館はじめ 長船の中を案内しました。
勿論、構内のいくつかは彼自身の仕事場でもありましたが。学校のホームページには「生徒さんの声」の欄を設けて
いますが、次に示すのはそこに掲載した彼の自己紹介です。
その他、これから日本に赴任する米国国務省の外交官を教える機会もありました。生徒さんは中堅から上級の外交官です。横浜の山手
にある 国務省の日本語研修センターに毎日出向いて、2ヶ月間午前、午後の集中レッスンをしました。生徒さん自身はワシントンDCで
1年間、日本で 1年間日本語学習に専念する中の2ヶ月です。生徒さん5人を担当しましたが、研修終了後、無事卒業し1人は総領事
として、残り4人は一等書記官 としてそれぞれ国内の任地に赴任されました。
気が付いてみれば教え始めて10数年経ちました。今は後期高齢者となり教師も開店休業状態ですが、振り返るとほゞ所期の目的が
達成でき 楽しい日々でした。これは学校の先生方や生徒さんに恵まれたお陰と周囲の皆さんに感謝しています。
以上長くなりましたが経験の極一部しかお伝えできませんでした。ここで筆をおきますがもし興味をお持ちの方がおられましたら
ご意見、ご質問 を頂ければ幸いです。
冨永 t-akira@dj9.so-net.ne.jp