皆様からのお便り 「国産第1号蒸気タービン」 藤川 卓爾様 

 世界遺産に指定されている史料館に展示されている重要な展示物の中でも三菱重工の技術進歩の歴史で非常に重要な
「国産第1号タービン」についてご紹介頂きました。【伊藤】  

     国産第一号蒸気タービン             藤川 卓爾

 長崎造船所史料館に国産第1号蒸気タービンが展示されています。このタービンは私が入社した1969年(昭和44年)には
第一工作部組立工場の詰所の前に保管されていましたが、史料館の開設と同時に史料館に移され、上車室を開放して内部が
良く見えるようにして展示されています。(写真1、2)
 英国のパーソンスは1884年に7.5kWの軸流多段タービンを製作しました。これが近代的な反動タービンの始まりです。
米国のウエスチングハウスは1895年にパーソンスから蒸気タービンのライセンスを得ました。それから9年後の1904年
(明治37年)には三菱長崎造船所がパーソンスと技術提携して1908年(明治41年)に500kWの国産第1号蒸気タービンを製作
しました。同じ年に義勇艦桜丸の舶用タービンを製作しており、これよりはほんの少し遅いですが、発電用としては、
国産第1号蒸気タービンです。
 写真2の低圧部の動翼は細長い翼の頂部付近に周方向部材を嵌め込み,ちょうど垣根のようにワイアで連結しています。
低圧長翼のラッシングワイアの呼び名はここから来たと思われます。現在のようなNC工作機械などがない時代に手作りに近い
芸術品のような製品を作り上げた先人の技術力に感心します。


 写真3に1898年(明治31年)の長崎造船所の様子を示します。画面の左端に造船所の中央発電所が写っています。
ここでそれ まで運転されていた往復式蒸気機関に代わって1907年(明治40年)にパーソンスから輸入した500kWタービン、
翌年に国産 第1号蒸気タービンが運転を開始しました。

 

 1988年(昭和63年)にNEI(Northern Engineering Industries)社の会長とNEI Parsons社の幹部が長崎造船所を訪問
しました。史料館視察の様子を写真4に示します。この時に一行がタービン発電機の一般配置図(図1)とパーソンス社の
ライセンスのもとに三菱合資会社で製作されたタービン、発電機の台帳(表1、2)を持参しました。80年の時を経てもきちんと残されていたのです。

  国産第1号蒸気タービンならびに続いて製作されたタービンの仕向け先が表2の中程のName and Address of Purchaser
 に記されています。
 1台目はBuildors own Power Houseで 所内中央発電所向けです。
 2、3台目のSado Mineは読めるのですが、もう一つの方が読めません。
 4、5台目も読めません。三菱マテリアルに問い合わせたところ、筑豊の新入炭坑と鯰田炭坑であることが分かりました。
 6台目はthe Imperial Steel Works Kyushu Japanで官営八幡製鉄所二瀬炭坑であることが分かりました。


 パーソンスの最初のタービンから24年後に日本人の手によって初めて製作された国産第1号蒸気タービンはその後の
日本におけるタービン技術発展の礎となり、2007年(平成19年)に日本機械学会の「機械遺産」に認定されました。

【注】本稿の内容の一部は火力原子力発電技術協会発行の「火力原子力発電」2010年8月号に掲載された「蒸気タービンの歴史
   (2)」から部分転載しました。