「ヴィードル」(Veedol)号　　　　　松永　巌

　私が大学を卒業した昭和25年（1950年）第五次、第六次計画造船なるものがあった。戦後世界の景気が上向き、油の移動が
激しくなり、大型油槽船（タンカー）の需要が増大したためと、戦争中に沈没した船舶の補充が急務で、政府は造船に対して
経済的な支援をしたものであった。
　当時は1ドル360円の超円安レート、特にタンカーの輸出に力を入れて居た。
　そのためもあり私の東大機械の同級生７０人中10名が横浜、神戸、長崎等造船所がある三菱重工に就職した。3年の大学院を
修了して私が長崎造船所に入った時は英国船主の２６,５００トンのスタンバック・ジャパン、スタンバック・サウスアフリカ
と言う姉妹船のタンカーを第一、第二船台で建造して居た。
　昭和28年1月入社し、直ちに発電用水車の設計製造に携わり、多忙を極めて居たので工場内を見学して歩く余裕などは全く
無かった。一年程して漸く時間が取れそうだった頃に、当時、あの戦艦「武藏」を建造した第二船台で、超大型タンカーを
建造中である事を聞かされて、是非見学したいと上司の係長に相談した。その係長は、黒縁の眼鏡を通して優しい笑顔で話し
掛ける人で、面倒見の良い方であったが早速造船工作部に連絡取って呉れて、見学の日程が決まった。
　「第二船台」とは長崎造船所に六船台ある最大の船台で「武藏」建造の話は新潮社発行の吉村昭著「戦艦武蔵」に実名入りで
詳細記載されて居るので割愛するが、艦長２６３メートル、最大幅３８．９メートルの巨艦を６８０メートルの長崎港に衆目を
避けて進水させた船台である。
　さて、当日になり造船工作部を訪ねた。事務・管理をする者が数十名居り、担当者が出て来て、建造中のタンカーに就いて
説明して呉れた。　船主は米国タイド・ウオーター・タンカー社、船名は「ヴィードル」、タンカーとしては世界最大の
４５，８００トン、全長２１３メートル、幅３０．５メートルと言う巨船。
　その日可成り強い雨が降って居り野外の工場見学には相応しくないは無かったが、作業は続けられて居るので、傘を
さして船台まで歩いて行った。当時はまだ溶接技術が未熟で接合はすべて大型のリベットで行われて居て作業場は数十か所も
あり、リベット・ハンマーの音が遠くまでして居て、船台の所では耳を劈く様で見学者も耳栓をすることになって居た。
　船台には屋根がなく、皆フード付き雨合羽を着て作業して居た。先ず雨宿りをする様に船台の盤木に乗って居る「ヴィードル」
号の船底に入って驚いた。船底はボートの様な船型を想像して居たが、飛んでもない事で、見渡す限り真っ平な鉄板であった。
　次に見たのはリベット打ち。地上に小さなコークス炉を置き、リベットを赤く焼いて一個を火挟みで掴んで上の作業者に
投げる。
　上方の作業者は火熨斗の様なもので受け取って穴に差し込む。内側で待機して居る作業員がエアー・ハンマーで打ち潰し
外側はリベット頭を当て金で押さえ続けて、一本の鋲打ちが終わる。このリベットはタンカー一隻で数万本、気の遠くなる
ような話である。然し、このリベット建造も溶接技術の進歩により、工場内で数百トンのブロックにし、これをドックの中で組立てて行くブロック建造に変わって居る。この事又の機会に譲る事にしたい。
　後日談であるが、この「ヴィードル」号は昭和30年（1955年）8月7日の進水で大トラブルがあった。２６３メートルの
「武藏」を６８０メートルの対岸にぶつけずに進水させたのに「ヴィードル」号の時は、進水の朝、担当技師が対岸に衝突する
と言い出し大問題になった。あらゆる手を尽くすにも手遅れで、本当に対岸に衝突した。船の進水はプロペラを付けた船尾が
先に行くので、そのプロペラが破損してしまった。数日後ドックのある佐世保に送られたが、点検中に転落事故があり、
死亡事故にまで発展、新聞に大きく報じられ、関係者は重い譴責処分を受け社報にも載り公表された。しかし「ヴィードル」号
は三カ月後の11月1日無事引き渡しが済み、世界の海で活躍した。　2020年6月10日著

【長崎造船所150年史　第３編製品技術　第一章　船舶・鉄鋼P３７４より】
第一節 新造商船　１　新造船事業の変遷
三菱造船時代：　終戦から昭和39年まで　生産状況
　[太平洋戦争により壊滅的打撃を受けた当所の造船部門は、小型造船の建造
から復興の道を歩み始めた。この時期、仕事量不足を補うため炭鉱向けの
炭車なども製造した。昭和22年（1947年）からの計画造船により、2,000
重量トン級の国内船主向け貨物船など、船型も徐々に大きくなって回収の兆しを見せ始めたが、生産量はまだ低い状態であった。しかし、その後勃発した
朝鮮動乱を契機に。３０－３２年（１９５５－５７）に第一次タンカーブーム
が起こり状況が大きく好転した。当時の戦後初のタンカーは昭和28年
（1953年）に引き渡したイギリス向けの「STANVAC-JAPAN」（2万６，５
００重量トン）であり、昭和31年（1956年）までに「VEEDOL」
「MAFRA」（いずれも4万５，０００重量トン）を含む19隻を竣工し、同年
には単独造船所として進水量世界一（24万２，０００総トン）を達成した。
貨物船「讃岐丸」「高忠丸」もこの時期の船である。(以下略)　]