皆様からのお便り 「少年少女発明クラブ その1」 藤川 卓爾様
藤川様より生まれ故郷の淡路島での少年少女を対象にした「ものづくり」教育をご紹介頂きました。2回に分けてご紹介致しますのでご一読願います。【伊藤】
少年少女発明クラブ 藤川 卓爾
今から5年前の平成29(2017)年3月に一つの小学校が閉校しました。兵庫県の淡路島にある淡路市立江井小学校です。
江井は淡路島西海岸の中ほどにある小さな町です。天然の良港に恵まれ、江戸時代は舟運の一拠点として栄えました。
幕末から線香作りが盛んになり、周辺地域を含めると現在でも線香の全国シェア70%を占めています。ここでも
少子高齢化が進んで先ず保育所が閉所され、小学校閉校時には1年生から6年生まで合わせて全校児童数が48名になりました。
我が家の先祖は江戸時代から江井で寺子屋を開いていました。私の曽祖父の藤川 渚の代に明治維新を迎え、明治7(1874)年に
江井小学校の前身の桃江校が創立されたときに曽祖父が初代校長になりました。創立当時の小学校には他に職員がおらず、校長が
教諭と用務員を兼務していました。
江井小学校が閉校すると聞いて私は木下秀次校長に「140年の時を超えて初代校長の曽孫が最後の卒業生に授業をする」ことを
提案し、平成28(2016)年11月8日に6年生12名を対象に「エネルギーのはなし」の講義と「ミニ風車作り」の実習をしました。
また、翌年2月25日に開催された江井小学校の閉校式に出席しました。
私は5歳まで淡路島で育ちました。その後は大阪、京都、長崎、横浜とずっと島外で暮らしました。江井小学校が閉校して、
リタイア後の時間の幾分かを生まれ故郷のために使えないかと思い、平成29(2017)年から「淡路少年少女発明クラブ」の
企画運営委員兼指導員として、小学生を対象に工作の指導をしています。
「少年少女発明クラブ」は、発明協会創立70周年の記念事業の一環として、昭和49(1974)年にスタートした事業です。
現在、全国47都道府県に約200か所、約10,000名の子どもたちと約2,900名の指導員が活動しています。創立当時の
発明協会会長でソニー創業者の故 井深 大氏は、日本が将来にわたり科学技術創造立国として持続的な発展を実現するには、
「ものづくり」に携わる人材の育成が不可欠であり、次代を担う青少年に、「ものづくり」に親しむ環境を整えることが
重要であると提唱しました。
淡路少年少女発明クラブはそれから16年後の平成2(1990)年に創立されました。全国のクラブの中でも比較的古い方では
ないかと思います。
最初の年は「ミニ風車」、「コイルモーター」、「アクロバット人形」を作りました。「ミニ風車作り」は以前に長崎市の
中央公民館でシニア世代を対象にしたエコ講座実施時に初めて作ったものです。その後、大村市こども科学館や長崎市科学館で
子ども達を対象に実施しました。
「ミニ風車」と「コイルモーター」は大学の同窓会活動で九州の高校への「出前授業」をしたときに作りました。
「ミニ風車」は誰が作っても良く回ります。「コイルモーター」は一寸難しいところがあり、上手く回らない子がいましたが
色々と苦労した結果、最後にようやく回りました。「アクロバット人形」は材料の準備に苦労して指導員仲間の皆さんに
手伝ってもらいました。
次の年は市販のキットを使って「はばたき飛行機」と「ライト兄弟の複葉機」を作りました。
3年目は「縄跳び人形」と「メビウスの輪、ミウラ折り」を作りました。「縄跳び人形」は元東芝勤務の知人が考えたものを
教えてもらいました。
4年目は「観覧車」と「正多面体」を作りました。「観覧車」は大層手間がかかるので指導員が予め下準備をしてやりました。
3年生からクラブに入った子供たちは4年経つと卒業するのでそこで一巡します。5年目の昨年は再び「ミニ風車」を作りました。
少年少女発明クラブの活動を通じて曽祖父の志を引き継いでいきたいと思っています。以 上