皆様からのお便り  想い出の一枚 【極寒の哈爾賓(ハルビン)と友情】  馬渕洋三郎様

      極寒の哈爾濱(ハルビン)と友情      馬渕洋三郎

左側写真】哈爾濱ボイラの正門にて: 写真左側から山口良博さん(陸用ボイラ設計)、 沈進如副総工程師、著者、       呉一権総工程師、  月野隆さん(陸用ボイラ設計)、 工芸処(生産技術課相当)の田林宝処長。
【 右側写真】 凍結した松花江(ハルビン市街北側を流れるアムール川最大の支流)にて  


  北京冬季五輪は私達に多くの感動を与え、選手の活躍を伝えるテレビ画面には冬の大自然が映し出された。
 さて35年前(1987年)の12月、私は北京の市場で防寒帽を買い求めていた。その時店員さんから「そんな恰好で
哈爾濱 に行ったら凍え死ぬよ」と言われたことを覚えている。その翌日には中国北部ロシアにも近い黒竜江省哈爾濱市
へ向かった。 陸用ボイラ設計の山口良博さんを団長に、月野隆さん、通訳の内野さんと私の四人であり、ボイラ部品の
調達が目的であった。

 北京を離陸し哈爾濱空港に着陸した時は既に日は暮れていた、外気はマイナス10℃~20℃雪の積もった市街地まで
の夜道 を 1時間以上猛スピードで走りスリップ事故にハラハラしながらやっと薄暗い街に入った。
 宿泊したのは1949年創設のスワンホテルであった。

 翌日、所々にロシア建築が目立つ市街地を抜け哈爾濱ボイラへ向かった、ブロック造りの2階建て事務所に併設して
ボイラ工場が並び、あちらこちらからスチーム暖房の音がする、工場区画だけでなく地域一帯を工場からの蒸気で
暖房している という。

 最終日には街を流れる松花江の辺に立った、アムール川に注ぐ大河なる松花江は既に凍結しており、マイナス30℃
の 凄い寒さを体感し北京での店員さんの忠告を思い出した。これが私の哈爾濱ボイラとの始まりである。

 やがて、1990年代後半にボイラ工場診断から始まった活動は、本格化し両社の製造技術交流会や工事融通を通して
深い友情 を育み、更に2004年100万KW級及び60万KW級の超々臨界圧ボイラライセンス供与、2006年には中国初
の100万KW 超々臨界圧ボイラ玉環の運開を達成し、両社の合作により中国に53缶を納入するまでに至った。
 哈爾濱ボイラとのwin-winの関係は相互の友情をベースに今日迄35年間続いている 。

【ご参考 ハルビン市】