皆様からのお便り 『沈黙』 、転び神父のその後(その 1、フェレイラ神父)牧浦秀治様

何事にも研究熱心な著者が今回遠藤周作の小説「沈黙」から二人の主人公を考察した大変面白い連載記事ですのでご一読下さい。(伊藤)

   『沈黙』、転び神父のその後(その 1、フェレイラ神父)   牧浦秀治

 私が、フェレイラの名前を知ったのは遠藤周作の小説『沈黙』だ。小説に出てくる神父にはモデルがいる。
ポルトガル神父クリストヴァン・フェレイラであり、もう一人がイタリアン人神父ジョゼッペ・キアラ
(小説ではポルトガル人セバスチァン・ロドリゴ)だ。

実在する二人の神父。その1では“フェレイラ神父”、その2では“キアラ神父”のその後を追ってみた。

 フェレイラ、1580 年ポルトガル生まれ。イエズス会に入会しマカオのコレジオ(collegio英語の college か)で
4 年間神学を学び、1609 年(慶長 14 年)に日本にやってきた。捕縛されるまでの 24 年間、日本にキリスト教を布教した。
 九州での信徒迫害の状況をローマに報告している。捕縛されるときはイエズス会日本管区長の地位にあった。

 1633 年(寛永 10 年)10 月 18 日クルス町(現櫻町)の拷問所から日本人神父中浦ジュリアンとポルトガル人神父
フェレイラは西坂の処刑場に向かった。処刑場では穴吊りの刑が待っていた。汚物を入れた穴に、体を縛って逆さに入れる。
即座に絶命せず、苦しみを長く与えるために、耳の後ろに穴をあけそこから一滴一滴、血が滴るようにする。

 天正遣欧使節として派遣された 4 人の少年の一人である中浦ジュリアンは、「私はローマへ行った中浦ジュリアン神父
である」と代官に向かって叫び、3 日後に殉教した。
 フェレイラは拷問 5 時間後に転んだ(棄教した)。多くの日本人に洗礼を与え、迫害下で神の教えを説いた 20数年の栄光は
この瞬間に消え去った。日本管区長フェレイラが棄教したことは、殉教を英雄視していたヨーロッパの人々に衝撃を与えた。
彼は日本で最初の「転びバテレン」となった


フェレイラを回心させるために、宣教師が日本に送られる。
その宣教師の一人が、小説『沈黙』の中のセバスチァン・ロドリゴだ。
尊敬する師フェレイラが棄教したとの報を疑い、真実を求めて日本に潜入
する。日本上陸直後に捕まり、長崎に護送され師のフェレイラから棄教を
勧められる。小説の中で師と弟子が最初に対面したのは長崎の上町に
る西勝寺だった。

フェレイラは棄教後に長崎晧臺寺の檀徒となり、沢野忠庵の名をもらい、
中国人豪商の寡婦となった日本人妻をあてがわれ、三十人扶持で宗門吟味役
として長崎奉行所でキリスト教の取り締まりの任にあたった。1650 年
(慶安 3 年)11 月上旬、長崎で死去、享年 70歳。二人の子供がいた。

 


『走馬燈(その人たちの人生)』(遠藤周作著)の「長崎〈フェレイラの
こと〉」に、晧臺寺でのフェレイラのお墓探しのことが書いてある。
晧臺寺の過去帳に「本五島町」と死去とあるが墓は見つけることができ
なかった。その翌年、成蹊大学でフェレイラの話をしたところ、一人の女子
学生に声をかけられる。彼女はフェレイラの子孫だった。

フェレイラは南蛮医を学んでいた弟子の杉本忠恵(後の杉本忠庵)に娘を
嫁がせる。杉本家の子孫により長崎晧臺寺のフェレイラのお墓は、品川の
海寺に、東海寺から谷中の瑞輪寺に移されていた。

遠藤周作の足跡を辿って、7 月の 3 連休の一日、瑞輪寺を訪ねた。
JR 日暮里駅を降りて南口から谷中方面に歩く。紅葉坂を登り終えると
谷中霊園に辿りつく。瑞輪寺は霊園を通り越して 10 分ぐらい歩いた所
にあった。


谷中は寺の町だ。長崎のお寺は風頭の裾野に這って円弧を描いている。
谷中は丘全体にお寺が建っていた。徳川家から葵の御紋の使用を用を
許されたお寺だけあって遠くからでも目立つ。

7 月の晴れの日にしては風が心地よく汗をかかない。墓標のうしろで風が
ヒューヒューと音をてる。時々、卒塔婆がコトコトと音を立てる。
苔むしたお墓もあれば、はっきりと名前の分かる新しいお墓もある。
大きなお墓もあれば、墓石の角は風雨で削り取られて丸くなって小さく
なっているのもある。一本の大きな路から数百本の行き止まりの小路が出て
いる。その小路の両側に夥しい墓標がある。
「杉本」という姓と墓石の古さを頼りに探した。本堂から木魚に合わせて
お勤めの読経が聞こえてきた。
「杉田」「杉村」・・・。探し始めて 6 時間後に高さ 2,3 メートルの
樹木がある「杉本家」のお墓を見つけた。

墓碑にはフェレイラの娘をもらった弟子忠恵の名前があった。墓碑の横に「忠庵浄光
先生慶安三年十一月十一日」の文字が刻まれている。フェレイラの亡くなった年と
一致する

『沈黙』の西勝寺の対面でフェレイラは棄教を拒むロドリゴに次のように語る。

「そうだとも。私は役に立っている。この国の人々の役に立っている。全ての知識に日本人は富んでいるが天文学や医学では
私のような西洋人はまだ助けることができるからな。」”(『沈黙』より)

フェレイラは棄教後に天文学や医学を教えた。娘婿になった杉本忠恵もフェレイラに医学を学び、南蛮外科医として幕府に
仕えた。墓碑には忠恵を初代として5 代の法名が刻まれていた。

その墓碑の前に天保丙申年八月初七日「醫王院殿法印不老日仙居士」杉本宗春院平良敬之墓と書かれた大きな墓標があった。
宗春院は杉本家の 6代目で、江戸城西の丸侍医になった人物である。(注:天保丙申 1836 年、第 6 代目宗春院は養子で
名を良敬という。)

日本人として神父になるほどの中浦ジュリアンの才能は殉教で消えてしまった。クリストヴァン・フェレイラは転んで
(棄教して)、天文学を広め、医学教育で弟子を通じて多くの命を救った。宗教が弱き者を救うのなら、転んだフェレイラが
多くの人を救ったといえるのではないだろうか。

帰り道、上野の森まで来たら蝉の声が聞こえてきた。小説の中で、主の助けを求めて牢の中で祈ったロドリゴが何度も何度も
聞いた蝉の声である。 以上