「思い出の二枚」 藤川 卓爾
今年1月17日に相川賢太郎さんが亡くなりました。その後を追うように4月3日に高橋 伯さんが亡くなりました。
相川さんは私が入社した時の直属の上司でした。相川さんの思い出は沢山ありますが、思い出の一枚として入社した年
の火力プラント部計画室ソフトボール大会の写真を示します。
前列中央が相川さんです。左から河合武久さん、上杉昌棋さん、佐藤(平尾)文子さん、相川さん、樫山さん、
田原 護さん父子、右端は檜原勇多賀さんです。
後列は、左から森 三郎さん、福田征孜さん、筆者、渕上光二さん、原 信彦さん、川口 巌さん、肥爪彰夫さんです。
樫山さんの名は覚えていませんが、彼女はその後キャセイ・パシフィックのCAになりました。田原さんは地熱発電の
プロでしたが、3年ほど前に亡くなりました。福田さんは2010年に亡くなりました。森さんと原さんも亡くなりました。
翌1970年に、オーストラリアGladstone発電所向け27.5万キロワットタービンの入札に河合さんが出張しました。
この案件は東芝が受注しましたが、帰途に立ち寄ったメキシコ向けの30万キロワットタービンを受注しました。
そのタービンの据付工事に行かれたのが高橋伯さんでした。メキシコCFEのTula発電所です。
もう一枚の写真はTula発電所の近くにあるピラミッドでの写真です。
左が筆者、右が高橋伯さんです。
両側にはトルテカの戦士像、遠景にはTULA発電所のボイラが
写っています。
筆者は1975年当時米国フィラデルフィア副駐在員でした。
チワワのFrancisco Villa発電所向け3万キロワットタービン
(火災事故で焼損した欧州製タービンの代替機として受注、
長船のメキシコ向け最初のタービン)の性能試験加勢のために
メキシコに行った際にTulaを訪問しました。
Tulaのタービンを鏑矢として、その後CFE向けに数多くの
30万キロワットタービンが納入されています。
相川さん、高橋さん、お二人のご冥福をお祈りいたします。