皆様からのお便り 「関西電力殿 三宝発電所の想い出」 藤川卓爾様 

 藤川様が入社後最初の出張で苦労され、同年運開した三宝発電所は同氏退職の年に廃止されたという事で、
サラリーマンとして活躍した同じ年数、同発電所は社会に電気を送り続けたと言う貴重な想い出を投稿頂きました。(伊藤)    

    「関西電力殿三宝発電所の想い出」       藤川 卓爾

 私は昭和44(1969)年4月に入社し、長船火力プラント部計画室に配属された。8月に初めて出張があった。
 関西電力三宝発電所に納入した15万6千キロワットタービンの性能試験である。三宝発電所は新日本製鐵(当時)堺製鉄所で発生する高炉ガスを重油と混焼して使用することができる発電所である。
 長崎から大阪へは普通なら「あかつき」で行くが、お盆過ぎの繁忙期で寝台が取れない。一緒に出張する私の先輩は
飛行機で行くことになった。
 
 私も初めて飛行機に乗れると喜んだが、会社はそんなに甘くはない。部長の一言「新入社員に飛行機を使わせるな」
で探し回った結果、ようやく「さくら」の寝台が取れた。「さくら」は東京へ行く列車である。大阪に着いたのは
早朝の4時頃であった。始発電車を待って一旦実家に帰った。


 父は突然の息子の帰郷に驚いていたが、
かって自分が勤めていた関西電力に関わる
仕事と聞いて嬉しそうであった。

 この出張は非常に厳しいものだった。

性能試験は予備試験から始まって、
4/4負荷本試験、3/4負荷、2/4負荷、1/4
負荷と各種の負荷試験がある。

 昼間は発電所で計測をして、夜は宿で計算
をする。今のように電卓やPCはなく、
タイガーという手回しの機械式計算機
を使って計算をした。1週間弱の出張で毎日
の睡眠時間は3、4時間くらいだったと思う。

  
     《入所式の写真(昭和44年4月10日)》
  《2列目、左から5人目 この写真には同期で元長船所長の愛川さん(2列目 右から2人目)も写っています。》

 この最初の出張が厳しかったので、その後の出張は余り苦にならなかった。苦労の甲斐があって好成績で性能試験が
終わり、帰りに思わぬ余禄があった。なんと飛行機で帰ってもよいといわれ、YS11に乗ることができた。
 YS11は1964年の東京オリンピックの聖火輸送にちなんで「オリンピア」と呼ばれていた。

 三宝発電所にはこれから9年後の昭和53(1978)年に定期検査でタービンの軸振動対策工事のために出張した。
この発電所は電力需要に応じて出力を変動するサイクリック運用に供されていたが、急激な負荷変動時にタービンの
軸振動が過渡的に大きくなる問題を抱えていた。
 定期検査での停止中にロータの非破壊検査を実施し、異常がないことを確認した後、現地で高中圧タービン~低圧ター
ビン間、低圧タービン~発電機間のカップリング結合精度改善工事を実施し、再起動時にフィールドバランス
(軸振動調整)を実施した。
 何日間も昼夜兼行の仕事になるので宿に帰らずに事務所のソファで仮眠することもあったが、幸いに結果は上手く
行き、私にとって思い出に残る成功体験になった。

 その後、三宝発電所は平成15(2003)年3月31日に廃止された。この発電所は私が入社した年に運転を開始して、
私が定年退職した日に廃止されている。今改めて振り返ると、私のサラリーマン生活はこの発電所と完全に重なっていた
ことに気が付いた。

 退職から5年余りが過ぎて、長崎からの飛行機で大阪伊丹空港に着陸する前に堺市上空を通過したときに、三宝発電所
跡を遠望し昔を思い出した。


  先日、大阪に住む従妹の家に泊めて貰った。大和川に臨むマンションのベランダからは対岸に日本製鉄関西製鉄所が
 見えた。関電三宝発電所は今はもうないが、とても懐かしかった。