皆様からのお便り 『8年ぶりの長崎』 吉岡眞一様

 吉岡様が長崎を8年ぶりに訪問しその時の印象をレポートしてくれました。町も時間とともに変化していく。新しい
長崎駅が、若い人たちの‟ふるさと”になっていくのでしょう。長崎に良き思い出のある我々には寂しいですが。(牧浦記)
 

                  『8年ぶりの長崎』    吉岡眞一  
       

 11月23日、午前10時15分長崎空港(大村飛行場)に到着し、高速道路を通り長崎大の文教町、重工社宅のあった浜口町
経由長崎駅前の県営バス営業所に到着。途中、ジャパネットグループが建設した長崎スタジアムシティ(サッカー場、
アリーナオフィス、商業施設、ホテル)をバスの窓から横目で見ながら長崎駅に着き、駅前の以前から利用していた、
ニュー長崎に逗留した。

1.新しくなった長崎駅

 長崎駅前は、旧駅の位置が
約300m程稲佐山方 面に移動し、
新幹線とカモメの従来線の発着が
見られました。 駅前には大きな
広場ができ工事中でしたが、一部
の場所にはテントが多数張られ、
名産物(蜂蜜?、チョウコウ醤油
など)を販売していました。

 長崎駅の広場横には商業ビルが
建設され、1階にカモメ市場が
でき、名物の角煮饅頭、カステラ、
かまぼこ、エビはとし,長崎物語、
いちごケーキ 他、を売っています。食堂はちゃんぽん、皿うどんの中華、アジフライ、長崎牛丼の和食のお店が出店
しており、鯵フライは厚さ約1cm強(東京の鯵フライの2枚分に相当)と肉厚でそれが2枚あり、食べ応えのあるもので
した。
夜にはクリスマスツリーを模したイルミネーションが点灯し、駅横のビルの壁には藤棚のように垂れ下がって綺麗に
輝いていました。


2.消える古い町並み

旧長崎駅の建物は壊され形も残っていませんでしたが、大きなデザイン時計が壁の中央に掲げられ、印象に残りました。
ただ、長崎駅の戦後の古い建物の名残が無く、昔を偲ぶことが出来ませんでした。東京駅は煉瓦作りの駅舎が残り、
皇居への大使信任状奉呈の馬車が通るなど今も昔の面影が残っているのと比べると、若干寂しい気がしました。
 長崎駅前・ ・・工事は今も続いておりますが、市民に聞くと、どのようなものが出来るのか一切発表が無いそうで
皆不信感を持っているそうです。

 

 

長崎県庁は長崎鼻の突端から大波止の旧魚市場に移転し、バスの発着場所も無く不便であり、県庁の跡地の活用も
不明とのことでした。また、長崎市役所も国道34号線沿いから公会堂があった場所に移転し27階建ビルになりました。
水道局、環境部、市議会堂などを纏めたそうですが、市民からは、のっぽのビルが聳え立っているが、周りからの景観
が良くなく、不評だそうです。

 長崎市内の建物は、木造から殆ど鉄筋コンクリート作りになり、一般家屋がマンションに様変わりしており、昔の
落ち着いた雰囲気の街並みが堅苦しい感じになったように思います。観光都市として今後も発展させようとの意が
あるようですが、観光名所の案内などあまり目にすることもない状況です。

 長崎港に観光船が入港し、海外からの訪問客が増えているそうで、長崎駅前にも20人ほどの観光客がグループ行動
していましたが、皆さんはどのように行動しているのか分かりにくい感じがしました。


3.思い出の中か、三菱の隆盛 

 市内を歩いてみて、三菱重工長船との関係が、殆ど感じることがないのが寂しい気がしました。これは、市内の繁華街
が、浜ノ町、銅座町から浦上方面に移ったのも一因かもしれません。
香焼の百万トンドックが大島造船に売られ、三菱マークが無くなったことも影響しているのかも知れません。

 長崎市の人口は40万人を切って39万人になっているそうです。
小子高齢化は避けて通れない道ですが、三菱重工造船発祥の地としての企業の発展と、原動機 の今後の活躍を
祈っています。
                                                       以上