皆様からのお便り 『團野廣一様を偲んで』 冨永 明様、 福居 明夫様

    「團野廣一様を偲んで」         冨永 明、 福居 明夫

    冨永 明

 多くの人が「だんちゃん」と敬愛した團野さんが2024年8月逝去された。90歳になっても若々しくスマートで、ずっといろんな仕事をされていたし、前年2023年の長機会総会でもとてもお元気な様子だったので訃報が届いたときはびっくりした。
私は團野さんより10歳年下の設計畑で、長船時代も團野さんのお名前は耳にしたが仕事の上での接点は全くなかった。團野さんは長船の後、本社の原動機輸出部、国際部、社長室等で要職を勤められ、さらにその後三菱総研に移籍され副社長として活躍されたことは多くの皆さんご存知の通りである。
 團野さんにはいろいろと講演をして頂いたので、多方面にわたるお話を何度かお聞きした。花田長船所長時代、伊王島で泊りがけの長船幹部研修会をやった際、総研に移られていた團野さんを講師にお招きしてグローバルな話や重工の現状についてコメントを頂いた。講演の少し前に重工の建設現地を回ってこられており、「他の事業所も頑張っている。今や現地工事は長船の独壇場ではない。他の事業所にも学ぶべし」という趣旨の話をして激励された。これに対して建設部の高橋伯さん(故人)が、すぐ立ち上がり「1日や2日現地を訪問したくらいで本当のことがわかるはずはない!」と異論を唱え議論になった。その場だけでは収まらず、宿泊する部屋に何人も集まって酒を飲みながら延長戦の議論を戦わせたことを懐かしく思い出す。團野さん初めそれを取り巻く参加者はみんな本当に若く、仕事熱心で、純粋で、正に一丸となって司馬遼太郎の「坂の上の雲」を目指した時代だった。
 私は現役を離れたあと、子供達が居る関東に残ることに決めた。さて関東と言っても知識がなかったのでいろいろと見て回ったが、最終的に比較的子供たちの住まいに近い川崎の今の場所に決めた。小田急線の最寄り駅は新百合ヶ丘である。 決めた後、同じ町内に團野さんと元副社長の田代さん(故人)とが住んでおられることが分かった。お二人にご挨拶したところ「よく来た、よく来た」ということでそれぞれに食事に誘って頂いたり、地域のことを教えて頂いたり、大歓迎を受け大変お世話になった。

 

  左は私が仲間と新百合ヶ丘で定期的に行っている油絵作品展の様子

  團野さんはご夫妻で何度もお越し頂いた。背景は冨永の愚作4点。

 

 

 

 

 團野さんは長機会の先輩でもあったのでホームページへの投稿をお願いした。團野さんは引き出しが多く、「候補として〇と〇と〇・・・がありますが、そのうちどれにしますか」と言われた。みんながあまり知らない團野さんの一面を紹介したいと思い、敢えて趣味のコーラスをお願いした。團野さんの仕事を離れたコーラス愛と造詣の深さをそのとき初めて知ることとなった。

仕事に全力を尽くし、また趣味でも幅広く活動された生涯だったと思います。心からご冥福をお祈りします。 

  

 

福居 明夫

 團野さんの事を語る場合、多岐に渡る博識をお持ちで、国際感覚に優れた方だったということをまず思い浮かべる。グローバリズムの台頭をいち早く察知され身をもってこれに対応された。後年三菱総研に移られてもその能力が存分に発揮されたものと拝察した。
重工時代、仕事の上では飯田原動機事業本部長(後に社長、会長)の信頼が厚く、出張へのお供も多かった。感心したのは帰国と同時に出張報告を配布されたこと。 これは出張前から打合せの展開を予測し入念な準備をされていたことの証だと思う。独特の丸っこい字でびっしりと几帳面に記されていたのに感心したことを思い出す。
 一方、健康維持には不断の努力を惜しまないお姿を随所に拝見した。週に3回はノーアルコールデイとの事で当時の重工手帳にそれを明示されていたのを見せて頂いたことがある。毎日腹筋100回ということで、酒席の途中で腹筋100回などのデモンストレーションをされる場面もあった。
また仕事を離れては多趣味な方でもあった。長機会のホームページにも記載されているが、コーラスへの取り組みは大変なものがあった。とある酒席でのカラオケだったと思う、小生の歌に合わせ突然ハモリで歌われた、しかも半端でないハモリ!驚いた。團野さんはその時「僕は人が歌うどんな歌でも瞬時にハモレるよ」と仰ったが、後に長年グリークラブの歌い手だったと知り納得した次第である。

 

                     数年前に頂いた名刺の裏面

  記載されている関与事業・サークルの役職一覧等、いかに幅広く活躍されたかを示している。



              平成5年6月17日團野さんが総研に移籍されるときの原輸部送別会の写真 

 前列左から4番目が團野さん。同時期に退職・移籍された木幡特別顧問と山崎部長もご一緒であった。

改めていろんな場面で我々をご指導頂いたことを思い出しています。どうか安らかにお眠りください。