皆様からのお便り 「第19代長船所長 故喜多喜久一様の曾孫・喜多咲月様からのお便り」 伊藤一郎

 長機会ホームページの編集責任者として非常に嬉しい連絡がありました。その顛末を『曾祖父「喜多喜久一様」からの贈り物』と題して曾孫・喜多咲月様から投稿頂きました。
 喜多所長は昭和4年(1929年)に三菱造船に入社され、造船設計者として戦艦武蔵などの設計に携われ、昭和34年10月~
昭和39年5月まで長船所長を歴任されました。ご本人と関係のあった方はもう殆ど居られませんが、長機会の長老の松永巌様が
当時の様子を書かれた曽祖父「喜多 喜久一」様の記事2件を手掛かりに下名に連絡があり、松永巌様との面会が出来き、
その内容を下記に掲載いたしますので、多少長いですが、ご一読下さい。起承転結の整った素晴らしい文章でその聡明さに
感心致しました。編集著 伊藤一郎


    曽祖父「喜多 喜久一」からの贈り物     喜多咲月

 2025年1月5日、家族で鎌倉霊園へ曽祖父曽祖母の墓参りに。我が家には節目節目に家族で墓参りをする習慣がある。
 家族それぞれが感謝と近況報告を済ませた。その後曽祖父がかつて戦艦武蔵の設計に携わっていたことが話題となり、
実際に戦艦を観に行きたくなった。
 帰りに横須賀基地まで足を延ばし、昼食を済ませ、いざ軍港めぐりへ。初めて護衛艦や潜水艦とご対面。大きさに圧倒され、
その美しさや佇まいに魅了された。戦艦武蔵に関わっていた曽祖父のことが誇らしく思えてきた。

 曽祖父のことを更に知りたくなったが、父や叔父叔母の生前に他界しているため情報が得られない。祖父は青年期、厳格な
曽祖父から逃げるため、長崎から東京の大学に進学したと聞いたことがある(笑)。
 父曰く、祖父は曽祖父の話をしたことがないとのこと。よほど厳しかったのだろうか。ちなみにその祖父も私から見れば
厳格である(笑)。

 その日の晩、インターネットで曽祖父や戦艦武蔵、三菱重工 長崎造船所について調べていたところ、長機会HPに掲載された
松永巌様の記事に辿り着いた。97歳になられた今も尚、曽祖父のことをお慕い続けてくださっていることを知り、
是非ともお会いしてお話したいと思った。

 どうしたら松永様とお会いできるのか考えを巡らせ、長機会のHP担当の伊藤様にメールでご連絡させていただいた。
翌日すぐにお返事をいただき、松永様にお繋ぎいただけることになった。
 伊藤様より早々にご高配賜ったことで、心の中が嬉しさでいっぱいになった時のことは今でも鮮明に憶えている。
 それから3日後、松永様ご本人からご連絡をいただき、成人の日にお会いできることになった。まさか思い立って1週間後に
実現できるとは思っておらず、現在のネット社会に大変感謝をしている。

《松永巌様の喜多 喜久一様関連記事:伊藤掲載》

 



 1月13日(月)成人の日、父と共に松永様のご自宅に伺った。松永様はマンションのロビーでお待ちだった。
 冒頭、互いに自己紹介をし、その際に松永様が曽祖父が亡くなった当時仕事の都合で曽祖父の葬儀に参列できず、今でも
それがずっと心残りで悔やんでいることを涙ぐみながら打ち明けてくださった。
 本当に曽祖父のことをお慕いくださっていたことが伝わってきた。松永様は父と私に会えたことで、喜多所長が蘇ったようで
心残りが少し晴れた気がすると仰っていた。
 きっと曽祖父が今の松永様と私にはお互い出会うことが必要だと判断し引き合わせてくれた気がしている。思いつきで横須賀
の軍港めぐりに行ったのだが、松永様とこのタイミングでお会いすることはどうやら必然であったように感じた。

 ロビーで挨拶を済ませた後、マンション上階のスカイビューラウンジや徒歩圏内にある近所の喫茶店に場所を移し色々と
お話をした。
 松永様が新築購入の際に曽祖父が書いた表札や、松永様ご自身が執筆された記事や俳句が掲載されているホトトギスを
見させていただいた。俳句は60年続けられておられ、これまでに約6万句、一日に最低3句は作句されているとのこと。
驚きと共に松永様の衰えぬ記憶力や思考の回転の速さの要因の一つが作句にあると気づかされた。

 他にも、曽祖父と働かれていた課長時代や東京本社に異動されてからのお話、米国三菱重工設立のエピソードなどの三菱に
関する話題に止まらず、同郷出身の山本五十六連合艦隊司令長官のお話や、これからの日本や世界について危惧されていること
など約4時間たっぷりとお話を伺うことができた。

 松永様は非常に知見に富み聡明でユーモアのある素晴らしい
お方だ。何事にも物怖じせず、"こうした方が良い"と思われたことを
素直に実践されてこられたようだ。終始柔らかい笑顔でお話されて
いる姿に感銘を受けた。その笑顔には松永様の人柄だけでなく、
人生が表されている気がした。

 私も松永様のように、世の為人の為にできることを考え、軸を
もって自分らしく生きたいと思う。

 最後に伺ったお話は特に感銘を受けた。
「人間は生まれた時から葬式を考えているが、例えば車を作る時に
車がどうなるか考えて作ってる人はあまりいない。何でもそうだが
作りっぱなしにならないように、壊れる時、ダメになる時を考えて、
モノも墓場を考えておかなければならない。いつか人間の寿命より
地球の寿命の方が短くなる時がくるかもしれない。
 皆がそういうことを考えて、国境とか言葉を取り払って皆が地球人
として協力して生きていく、そういう哲学があるといいけど何故か
ない。
 恐らく、人間の我がそうさせている。坂本龍馬みたいな日本を一つ
にするように動いた人が、現代にもいたらいいのだが。」
 このお話をきっかけに、これまでの私の思考にはなかった宇宙視点で物事を考えるようになった。

 もし松永様が私と同じ26歳に戻れたらどうしたいかと伺ったところ、「旗を上げて、同じ考えの人を集め、できることを
やっていく」とのお返事。私も曽祖父や祖父のように何歳になっても学び続け、先人たちの志を受け継ぎ、何か一つでも地に
爪痕を残すようなこと、後世に残るようなことをしようと強く決心した。
 我が人生において忘れ難い貴重な日の一つとなった。

 人生を変えるようなチャンスは日々の生活の中に転がっている。そのチャンスを掴むには、小さなことや疑問、関心のある
ことに目を向け、まずは動き出してみることが大事だ。うまくいくかはわからないが、何かしら得られるものはあるし、
起こること全てに意味があると思っている。

 最後に、今回貴重なお時間とお話をいただいた松永様、問い合わせに即快くお返事くださった伊藤様に、この場をお借りし
厚く御礼申し上げます。
 松永様との出逢いは曽祖父から私への大きな贈り物となりました。 喜多咲月 著