長崎Now!

このコーナーでは三菱重工、MHPS、舶用機械エンジン他長崎の皆さんの活躍や地元のニュースを伝えます。

 

1.三菱重工、MHPS、舶用機械エンジン他のニュース

 1)長崎造船所長交代

  2月1日付で長船所長が横田所長から宮﨑所長に交代。

 宮﨑正生新所長は長崎市出身。長崎造船所造船工作部長、立神工作部長、船舶海洋事業部副事業部長他を歴任。執行役員フェロー。

宮崎新所長 横田所長の見送り式 紹介は宮崎新所長

 

2)所内駅﨑伝﨑﨑崎

2)所内駅伝大会

  恒例の所内駅伝大会が1月17日、167チームが参加して行われました。優勝したのは日立より参加したMHPS日立タービン製造部でした。長崎から送  られてきた写真と上位の成績表、並びに毎日新聞地方版(デジタル)の記事を添付します。重工及びMHPSの長崎工場は特組Aの5位が最高でした。
横田所長に宣誓 一斉にスタート 襷リレー

 

以下毎日新聞のニュース(地方版。デジィタル)の抜粋です。

 

 

3)硬式野球部のその後

新生MHPS野球部 後藤監督が 三菱日立パワーシステムズインダストリーズ(MHPS-IDS)訪問

   報告者  牧浦秀治(昭和55年長船入社火力プラント建設部所属 横浜製作所長を経て現在MHPS-IDS社長)

注)MHPS(Mitsubishi Hitachi Power Systems) : 三菱日立パワーシステムズの略称
  MHPS-IDS(Mitsubishi Hitachi Power System Industries) :三菱日立パワーシステムインダストリーズの略称。産業用火力担当の会社

  関係先リンクをご参照ください。


新年1月10日、新生MHPS野球部後藤監督が、三菱日立パワーシステムズインダストリー(MHPS-IDS)にご挨拶にやって来てくれた。
『平成13年10月14日、第28回日本選手権優勝 “ダイヤモンド旗”獲得』
“三菱重工長崎が投打に東芝を圧倒。都市対抗優勝戦で2度の涙をのんだ雪辱を果たし、初優勝を飾った。三菱長崎の先発の後藤は速球にスライダー、フォークを織り交ぜ、東芝打線を2安打完封した。”“「公式戦で完封した経験がないんです。 いつも終盤に壊れるから。だから気合いが入りました。」…
…九回に2本目の安打を許し、2死ながら初めて三塁に走者を背負ったが、シュートを連投。4番に四球を与えても、おくせずに次打者を遊ゴロに仕留め、8年ぶりの「優勝完封」を成し遂げた。
(毎日新聞:平成13年10月15日より)

 三菱重工長崎の後藤にとって、東芝の赤いユニホームに向かって投げたのはその時が2度目。初対戦の試合は忘れたくても忘れることができないという。2年前の平成11年の夏、都市対抗の優勝戦だった。投手の後藤は先発として投げた。結果は0対12の大敗。
“「勢いに任せていきました。今よりも少し若かったから。」が、先頭打者に得意のシュートを二塁打される。ならばと切り替えたフォークはワンバウンド。振り逃げで傷口が広がり3連打された。わずか20秒、1死をとっただけでKOされ、チームは大敗した。”
『長崎市(三菱重工長崎)打線が沈黙』『先発、中継ぎ陣も打つ手なし…悔しさはバネに』 都市対抗戦翌日の毎日新聞のスポーツ欄の見出しだ。
その雪辱が平成13年の日本選手権での同じ東芝との決勝戦だった。日本選手権も後藤が先発。結果は5対0で完封し勝利投手となる。
当時の投手二大看板は杉内投手と後藤投手だった。10歳年下の杉内はダイエーホークスに入り、 31歳の後藤は三菱長船野球部にエースとして残り、その後、監督となる。

 99年の三菱長船野球部の歴史が閉じ、平成13年の日本選手権の完封勝利投手の後藤隆之氏が、新生MHPS野球部の監督として15名の選手とともに横浜にやってきた。
1月、新年のお客様廻りをした。ほとんどのお客様で話題になるのは政治でも今後の経済動向の見通しでもない。元旦の実業団New Year駅伝の話だ。「妻に私たちが一緒にやっている会社だ。MHPSとは三菱と日立が合併した会社だよと説明しました。応援しました。」とか、社内からは「九州大会で優勝してくれたので北九州市に申請に行ったとき、あのMHPSですかと申請がスムーズに行った。」という話を聞く。そんな言葉の中に長崎だ、横浜だ、グループ会社だという意識はない。“MHPS駅伝が4位になった。あと5秒で3位だったのに”と嬉しさと悔しさがあるだけだ。

 横浜の選手に長崎からの15名と今年の新人9名が加わって、新生MHPS野球部は選手45名になる。
「長崎で100年目を優勝でとの思いもあります。でも自分は監督で来て、また15名の選手が横浜まで付いてきてくれて有り難いことです。私の役目は彼らを東京、大阪のドームでそしてプロで活躍する選手にすることです。長崎の経験を明日に活かします。」後藤新監督の言葉だ。
応援の多さは、チームの力にも奇跡の力にもなる。会社の纏まりの結果でもある。
『三菱重工長崎、初の頂点』『8年ぶり後藤が優勝完封』日本選手権で優勝した時の見出しだ。
『頂点』「優勝完封』、この二つの文字が後藤監督率いる新生MHPS野球部でも見られる時を信じて長い目で見守ってやりたい。ちなみに西関東予選が行われる横浜スタジアムまでは当社MHPS-IDSから歩いて10分。4月からは新人も含めて当社から3名の選手が新生MHPS野球部の選手となる。

      横浜に移る15人の侍