牧浦秀治様


史蹟は嘘をつく:立神ドックの完成日 (牧浦 秀治 様) New!

新日鐵住金やJFEには社員だけでなく工場の掲示物にも、“鉄は国家なり”との誇りを見出すことができる。“造船は富国の原動力なり”。長崎造船所に入社してそう奮い立たせたのは立神ドック建碑を見た時だ。ドック完成を記念して現在の第二ドックに入る崖面に十六菊の御紋章と碑石がはめ込まれている。長崎造船所が国家と共に歩んだ証だ。

 長崎製鉄所は安政4年(1857)10月10日、蒸気船の機関の修繕工場として
 起工された。製鉄所の一期工事が完成した文久元年(1861)ごろから船の
 建造をもと立神ドックが計画された。着工は二度中止になり、明治7年(1874
 年)の着工は三度目だ。明治10年完成予定で工事が始まった。明治4年に完成
 した横須賀1号ドックで働いていたフランス人ワンサン・フロランを採用して
 工事を担当させた。工事は遅れた。完成間近の明治11年6月30日、午後9時頃
 の満潮時にドック入口の潮止めが破壊して、海水がドッグ内に流入し戸船
 (ドックゲート)を壊してしまう。戸船はイギリスに手配し最終組立中のもの
 だった。木製水門を設け海水を組みだし壊れた戸船を修理して立神ドックが
 完成したのが明治12年5月のことだ。しかし碑石には「明治七年創業、同十年
 竣工」と刻まれている。なぜこんな違いがおこったのか。垂涎の的だったドッ
 クが手に入る。関係者は嬉しかったのだろう。計画通りに必ず完成すると期待
 して渠壁に嵌め込む碑文も「明治七年創業、同十年竣工」として手配された。
 事故が明治11年だから潮止めの決壊が無くても完成は一年遅れたことになる。

 ところで横浜京急線には「安針塚」という駅がある。三浦按針の墓があると
 いうので行って来た。確かにあった。按針が亡くなって178年後に建立された
 墓という名の骨が埋められていない供養塔だった。史蹟はポピュリスト、建立
 時の風潮に左右される。歴史研究者によると碑石の文は疑って掛かれが鉄則ら
 しい。 頷ける身近な例だ。ちなみに三浦按針のお墓は平戸にある。
 参考文献:長崎製鉄所(中公新書 楠本寿一著)P196~P197)

  以上