皆様からのお便り(馬渕洋三郎様)

インド合弁会社(インドJV)の設立体験記 (その1)      馬渕洋三郎

2007年本館会議室に経理の近藤さんが飛び込んできて、「インドに会社を本当に創るのですか。ブラジルCBC社の苦労を解っているでしょう、同じことをインドで遣るつもりですか」詰問してきた、近藤さんはブラジルCBC社で要職を務められ大変苦労された方で無理もない、この年にインドの建設最大手ラーセン・アンド・トウブロ(L&T)社をパートナーとして超臨界圧ボイラを生産する「L&T - MHI ボイラ」、蒸気タービン・発電機を生産する「L&T - MHI タービン・ジェネレーター」のインドJVを設立することを決めていたのである。
当時、インドは電力需要の拡大に対し電力供給が追いついておらず、さらなる経済成長を遂げる上での大きな障害となっていた。それまで国営の重電機メーカーが発電設備の大部分を供給してきたが、拡大する電力需要に対し発電設備の生産能力が不足していた。この為、インド政府は自国の産業育成という観点からも発電設備を製作できるインド国内の企業を増やす方針を打ち出した。我々は他社に先駆けてこれに対応するべく長崎が得意とする高効率発電のボイラ、タービン発電機の工場建設を含めたインド合弁会社(インドJV)の設立に踏み切った。
営業の久保さん、五十崎さんとムンバイにあるL&T本社を訪問しインドJVの設立条件を決めて行った。出資比率は51:49でマイナ出資だが、超臨界圧ボイラ、タービン発電機の経験の無い相手に任せず三菱側が主導で進めて行くことが重要であった。
L&T幹部ナイクさんチャタワニさんからの期待と要求は大きなものであった。ボイラの設計・営業のオフィースは優秀なエンジニアが採用し易い
ニューデリー近郊ハリアナ州ファリダバッドにした。工場は3つの候補地の中からL&T の既存工場に隣接するインド西部グジャラート州スーラット市郊外のハジラに決めたが日本からのアクセスが悪く近くに当時は空港が無かった。ハジラは空港があるバドーダラーから車で5時間、ムンバイから車で6-7時間、酷暑期の気温は40℃を超え雨季には激しい雨の日が続き蚊や蠅の発生によるデング熱、マラリヤ、食中毒など衛生面でも気を使う地域であり、時にはデング熱を患った派遣者をニューデリーへ緊急搬送したこともあった。

【両工場ともインドの北西部、グジャラート州(Gujarat)ハジラ(Hazira)地区の工業団地内にあり、L&Tの工場に隣接している。】

最初に常駐したのがタービン設計の横田さん、タービン工場の島崎さん、ボイラ工場の窪田さんであり、工場の建設と2008 年に受注したアンドラプラデシュ電力開発会社向け80万KW蒸気タービン発電機2基、続けてジェイプラカッシュ電力会社向け66万KWボイラ、タービン発電機一式各2基が重なり、多くの派遣者の住居、食事、健康管理と日常生活の立ち上げまで並々ならぬ苦労があった。
インド市場で我々が目指したものは、現地生産の下で「日本と同等の高品質、高信頼性の物をインド価格で提供する」である。日本的「ものづくり」の浸透を狙いとして、先ずJV社長のランバさん、ダスさん幹部を長崎へ呼びボイラ及びタービン工場を視察してもらい、プラント及び各機器についても勉強してもらった、それから彼らの我々への信頼は変わっていった。その後、ニューデリーの設計オフィースへボイラ、鉄骨、プラント、建設、制御装置の各設計指導者、工場では地元採用者を3年間かけてボイラ組立・溶接、タービンの組立・機械加工技術などを育成していくためにピーク時は90名の技術者を派遣していった。JV契約から3年後の2011年1月に多くの来賓を迎えてボイラ、タービン発電機工場の竣工式が行われた。

               【中央は大宮当時三菱重工社長及び佃原動機本部長です】