『クラヤPh-II 現地 相川社長ご視察』 1991年4月20日 大森安芳
1990年8月から始まった湾岸危機、続いて1991年1月には湾岸戦争が始まり、工事を中断して現地工事指導員は全員西海岸
のジェッダ市の南100㎞にあるMT-1 P/J(海水淡水化)の工事用仮設Campに避難したが、白井現地所長、末続計電工事責任者、
及び大森(機械工事責任者)は志願頂いた3名の協力会社指導員と共に停戦(2月28日)までスカッド・ミサイルが頭上を
飛び交う中現地に留まった。尚、停戦翌日の3月1日には全ての指導員が西海岸から現地に戻り工事を再開し客先から感謝された。
写真はその後の4月20日に相川社長と内田営業部長を現地にお迎えした時の1枚です。
前列左端から筆者、内田部長、相川社長、白井現地所長、末続計電工責です。
後列には(故)矢竹主任や(故)臺(うてな)主務も写っています。
皆様からの「想い出の一枚」 『クラヤPh-II 現地 相川社長ご視察』 大森安芳様
大森様は何度も投稿頂いておりますが、長年サウジアラビアでの大型プラントに従事された時の想い出の一枚です。
30年前、湾岸戦争の真っ只中でもプラントに残り業務を遂行されており、停戦後にサイトをご訪問された相川社長を
お迎えした際の貴重な写真です。【伊藤】