皆様からのお便り 「造り育てた発電所を訪れる旅」  緒続 真人様

 

      造り育てた発電所を訪れる旅    緒続 真人

 

 ここは知る人ぞ知る隠れたタイのリゾート地サメット島。 タイ東南部ラヨーン(バンコクから車で2時間)の沖合
浮かぶ島である。手つかずの自然が豊かに残り、「鳴き砂」として知られる真っ白なビーチに真っ青の海。
ここに今回、妻を伴い訪れたのだ。

このタイ旅行とは何だったのか、を以下に述べる。

1.タイBLCP発電所に常駐  

 私の社会人生活での最後の三菱重工との関りは2007年から2016年にかけて長崎サービス部でアジア地区担当として
働いたことである。 その前半の5年間はマニラを、そして後半はバンコクをそれぞれ拠点に活動した。
 後者(バンコク拠点)ではタイ及び近隣諸国全般をみながら、多くの商談を決めてくれるBLCP発電所【下記注ご参照】
を頻繁に訪問し関係強化をはかった。

   【注】BLCP発電所について

 タイ南東部のラヨーン(Rayong)県にあるマプタプット臨海工業団地内に建てられた出力700MW2基
(亜臨界ユニット)の石炭焚火力発電所。三菱重工が設備(ボイラ・タービン等主要コンポーネント一式)の供給
と建設を担当し、2006年、2007年にそれぞれ完成し商業運転が開始されている。
 発電所運営はタイのIPP(独立発電事業者)のBLCPパワー社BLCP Power Limited)である。
 尚、同社と三菱重工との間には、2011年に長期保守契約(LTMA : Long Term Maintenance Agreement)
が締結され、その後、更新を重ね、現在2032年までの契約下にある。
 また、同社と三菱重工との間でアンモニア混焼の導入に向けた事業化調査(Feasibility Study:FS)を開始する
ことで合意がなされ、石炭使用によるCO 2 排出量の削減に向けた取組も具体化している。

 その後、BLCPとのさらなる信頼関係醸成のため、バンコクからBLCP発電所のあるラヨーンに居を移した。
そして、この職からリタイヤーすることになる2016年夏までの丸4年間をこの地で過ごしたのである。

 この間、発電所本館オフィス保修部の一角に席を構えBLCP社員の如き処遇を受け、ユニフォームは違え一体感を
もって業務した。
 最も重要なイベントである休転定修工事では、本邦から派遣された技術員を率い、BLCP保修部と汗水を垂らした。
胃が痛くなるような切迫感、そのあとに迎える達成感をBLCPの人々と共に味わい、喜びを共有した。

 本邦からの打合・商談出張者の来訪も多く、その受け入れと準備・根回しにも追われた。
 予期せずして発生する問題や懸案事項の解決に向け、本邦側関係者間とのオンラインでの打合を企画し、
コーディネートすることも重要業務であり、ここでは、やりがいを感じる日々を送った。

 その中で、発電所や各グループが主催する催しにも呼ばれ、若い人々に混じって共に楽しんだことも一生忘れること
ができない思い出である。



2.BLCP一行の訪日時の対応

 一方、BLCPでは社長(=発電所長)以下の幹部に関係社員数名が同行しての本邦出張が不定期ながら頻繁に
行われていた。
出張の名目は打合と関係施設・機関の視察であったが、社員の励みとする意味合いもあった。

 大事なお客様であるだけに、このスケジュール案画と対応要領を本邦関係者と詳細検討することも私の重要な役割
であった。
 私は先に帰国し、本邦(成田空港)でお迎えし、以降、一行と行動を共にすることが多かった。
 通常、本邦最終日(翌々日の福岡発便に搭乗)のスケジュールは長船での打合や工場見学となる。
 その日の夜の行事もすべて完了した後ホテルに戻るのではなく、「それでは」とばかりに城山台(稲佐山公園付近)
の拙宅を訪れることがいつしか恒例となっていた。

 そこで芸達者な人が揃うBLCPの皆さんからはギター
ピアノそして、歌も飛び出し、大はしゃぎの夜を存分に
楽しんだ。

 この拙宅訪問は回を重ねること4回にも及び、都度
対応してきた家内も、BLCPの皆さんにはすっかり
顔なじみとなっていた。
(特に毎回来日する社長以下の幹部には)


(左写真)
 拙宅訪問時のひとコマ(2015年9月11日)
この時のBLCP訪問者は6名、隣接する洋間のピアノを囲み
大合唱となった。画面中央は当時の社長プラパン氏、ギター
を弾くのが現社長のユタナ氏


3.BLCPとの別れ、そして再会

 2016年夏、長崎サービスの業務をリタイヤーすることなった。
BLCPを離れるとき、「奥さんを伴い、必ず訪問してくれ」、と社長以下の幹部らから口ぐちにいわれ、
私もこのことを約し、この地を去った。
 その後も、BLCP一行の訪日はあり、退職した私にも声がかかり、会うこともあった。
ところが、コロナ渦で訪日も途絶え、メールやLINEで時折、季節の挨拶を交わす程度の関係となってしまった。
 そして、今般、そのコロナも落ち着き渡航には問題がなくなったことを機に、かねての約束を果たすべく、
実行したのが今回の旅であった。
 訪問の日は2023年5月9日。私がBLCP発電所を離れてから7年もの歳月が過ぎていた。
 コロナの影を引きずり、人々は皆マスクを着用し見慣れぬ人相となるも、懐かしい面影をすぐに見出し、
歓喜の声をあげた。
 そして、当時の私を知る人々からの大歓迎を受け、共に再会を祝したのであった

 

    【PR館での概況説明】
       筆者はよく承知するものの、発電所は初めての家内に対して社長自らの懇切な説明があった。
       左からユタナ社長、担当社員、家内、筆者

4.結び

 仕事で得た交友関係が退職後も続き、こうして家内まで招待をうけ、今ここにいる。
 造り育ててきた発電所は、今もなお堂々と運転を続け、この国の発展にも大きく貢献している。
 人生でこういう仕事に巡り会えた私は何と幸せな人間か。
 支えてくれた妻にも感謝したい。以上

  追記:
    その後、発電所のあるラヨーンをベースに、近郊のリゾート地パタヤ、サメット島(冒頭の写真参照)にも
    宿泊滞在、最後にバンコクに立ち寄り、10日間のタイ旅行を満喫し5月17日に帰国した。