皆様からのお便り 「軽率な発言が招いた緊迫の日々」~ハマスのイスラエル襲撃に思うこと 緒続 真人様
軽率な発言が招いた緊迫の日々~ハマスのイスラエル襲撃に思うこと 緒続 真人
パレスチナ情勢が深刻化し緊迫の度を増している。パレスチナ人といえば、30年以上も昔の話にはなるが、今も後悔の念に
苛まれる出来事が蘇る。これを振り返り、そのうえでパレスチナ問題への思いを述べる。
(1)厄介なことになった
「Mr. Otsuzuki、これは厄介なことになった」と、ローカル紙(アラビア語)を携え、入ってきたのは、クウェートに長く住みつき、この国の事情に精通するインド人の古参スタッフ(総務担当)であった。私が現地副所長として従事していた
アズール発電所建設事務所の始業時のことである。 見せられたのは私の顔が大きくアップされた記事であった。
アラビア語に堪能な、このスタッフによれば、前日のクウェート空港に於ける、私と記者との次のやりとりが大きく報道
されているという。
記者:「犯人はどんな人間と思うか」
私:「パレスチナ人ではないかと思う」
記者の英語での質問に、私は確かに、こう答えていた。この発言が、厄介なことになろうとは・・・
(2)ハイジャック事件に遭遇
私は、休暇の為の一時帰国を終え、建設現地に戻るクウェート航空機でハイジャック事件に遭遇した。
1988年4月5日のことである。
ハイジャックされた航空機が最初に着陸したのはイランのマシャッド空港であった。ここで、クエート人を除く57人の乗客
が解放された。その翌々日には、私も含むこれら乗客は、手配された特別機で当初目的地のクウェートに向かったのだった。
この事件の顛末は、これまで語る機会も多くあり、ここでは省略する。(下記リンクも参照戴きたく)
(3)ハイジャック犯推測の議論と記者への発言
ただし、今回の話をするにあたり、これに付け加えておかなければならないことがあった。それはイラン・マシャッドで
解放されたときのことである。提供された宿舎では、アイルランド人、ドイツ人の乗客と相部屋になった。
彼らは今回のハイジャック犯の議論をはじめ、「パレスチナ人が犯人のようだ」、と結論じみた話となった。
これを聞いていた私も、この印象を強くもつことになったのだ。解放された乗客を乗せた特別機はクウェートに到着、
空港内で警察の入念な取り調べがあり、犯人の特徴などをしつこく聴取された。
これを終え、空港を出たところに、各国の報道関係者が待ち構えており、その中で、このやりとりとなったのだった。
(4)私の発言が及ぼす影響
では、「犯人はパレスチナ人ではないか・・・」と言った私の発言がどうして「厄介なこと」になるのか。
同スタッフによれば:
”この事件で、犯人はクウェート王族を人質とし、条件を飲まないことへの見せしめに、クウェート人乗客(公務員)を
次々に殺害するという行為にまで及んでいる。かかる卑劣極まりない犯人を「パレスチナ人ではないか」とする私の発言に、
この国にひっそり身を寄せ合い暮らしているパレスチナ人はどう思うか。
記事をみたパレスチナ人が私を探しだし、危害を加えよるような事態もありうる、”
との同スタフの意見があった。
そこで、当分の間、万が一に備えキャンプの警備を強化したうえで、自室内に閉じこもり、工事現場への移動や外出を避ける
とになった。
(5)キャンプでの緊迫の日々
この時から、ハイジャック事件に遭遇した時とは、異なる恐怖に襲われることになった。
ハイジャックのときは、個人の意思が全く及ばない状況だっただけに、運に身を任せるような達観した境地にもなりえた。
しかるに、この時は、現実的な危険が目の前に迫る恐怖感があり、車の走行音やドアの開閉音に身構えた。
こうして、約一週間、キャンプ内の自室に閉じこもる日々が続いた。幸い、私の身辺には何事も起こらなかった
(6)後悔と反省そして誓い
私の発言はクウェートに住むパレスチナの人々の心も尊厳も傷つけてしまったに違いない。パレスチナ問題への関心も薄く、
知識に乏しい私が、あの時、共に人質となった仲間の意見に迎合し発した軽率な発言、それもパレスチナ人も多く住む
クウェートにおいてである。
なんという愚かで無思慮な発言だったのか、自分の浅はかさをこれほど恥じ、後悔したことはない。
そして、今後はパレスチナも問題に深く関心を持ち、虐げられた民の苦境と悲しみにも思いを馳せ、自分の信念のもとに
しっかり向き合っていこう、と固く誓ったのである。
(7)パレスチナ情勢の悪化・深刻化に対して
ハマスのイスラエへの越境攻撃に端を発し、中東さらに世界を巻き込む紛争に発展する事態も危惧される。
イスラエルとパレスチナの紛争には長く複雑な歴史があり、一朝一夕には解決できるものではなく、これに関して敢えて
私見は挟まない。
今、出来ることは、人道が最優先され民間人、特に子供たちの犠牲がこれ以上増えないことを祈り続けることである。
この祈りが力になり、いつかは届くよう、事の成り行きに目を背けることなく、しっかり見守っていきたい。以上