皆様からのお便り 「4年ぶりの長崎 変わり行く 姿にびっくり!」 冨永 明様
タイムスリップしたような4年ぶりの長崎行のことを写真中心にお話ししたい。 街の様子は10月20日時点のものですから、現在はもっと開発が進んだものと思います。
尚、下記①、③、④は飯島史郎さんにお願いし彼の愛車で回りました。
①長崎駅の様子
(長崎駅 ながさきたびネットより)
駅前に着いて、さて長崎駅はどこ? というのが第一印象。 入社したとき寝台特急「さくら」で着いた頃の三角屋根の駅舎、そしてその後近代化された駅舎があったが今はどこに? 全く面影はありません。
電車通りから見える入口(東口:かもめ口)は少し浦上寄りに移り、西口(いなさ口)が新たにできて、構内は下記JR九州提供の配置図のようになっています。
周辺は建設中で上記の通り自分で写真を撮って見ましたが何が何だかよく分からない。下記長崎市公式観光サイト(約7分の動画)をご参照下さい。100年に一度の変革ということで、立派にに生まれ変わることを期待したいものです。
注1.全画面で見る場合は、カーソルをスクリーンに当て画面右下の拡大マーク(例:□)をクリック。元に戻すにはキーボードのEscを押す。 注2.動画停止時に関係ない広告が表示されますが、youtubeに付随したものであり異常ではありません。
②西九州新幹線と小学校のクラス会
長崎に着いた次の日、まず小学校のクラス会のため北九州市門司区まで往復共新幹線を利用して出かけました。長崎ー博多の所要時間が約1時間半で確かに速いのは速い、しかし従来は約2時間乗り換えの必要もなくひと眠りできたのに、今は必ず武雄で乗り換えが必要。従来のように、特級で乗り換えなしという選択肢はないようです。
ついでながら我が門司市立(当時)大里柳小学校のクラス会について少々。卒業するときは50人以上いたが今回は13人出席。勿論、私同様全員80歳。見かけは若いが話題は自分や連れ合いの病気の話に加えて、墓じまい(家族が少なくなり墓を守る子や孫がいない)、樹木葬等の話あり。 更に憧れの関門海峡に散骨する場合の和布刈り(めかり)神社のしきたりにも話が及びました。会場となった関門海峡に面した割烹(下船の対岸になる)の窓から貨物船に交じって飛鳥IIがゆっくりと航行して行きました。誰かが「冨永の造船所で造った船だ!」と叫んだのは少し嬉しかったが、発電所の場合はなかなかこうは言ってくれない。やはり三菱長崎は「造船所」なんだ。
関門海峡を悠々と航行する飛鳥II 対岸は下船 | 関門海峡 |
③幸町工場跡地開発状況
ご承知の通りジャパネットが大々的に工事を展開していますが、これもまた出来上がりの姿はよく分かりません。
紅葉亭(立山)のロビーを借用して写した風景 3~5には幸町工場跡地の開発状況が見える
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自分の写真だけで完成の姿を紹介する自信もないので新聞記事をご紹介します。
⑤OB会
コロナ禍のため4年ぶり。 長船時代職場をいろいろと変わったのでOB会も経歴順に「計装電気」、「プラント・配管設計」、「火プ建部」、「機管部」(集まりは母味会という小グループ)の4つになります。本当は同期会(昭和41年入社4141会)もありますが、あまりにも連日続くので今年はパス。
やはり何といっても人生の大半を過ごした長崎は懐かしい。昔を語り今を語りながらかつての戦友と連日楽しく飲みました。それでも若い頃に「これも仕事の一つ」と思って?一生懸命飲んだ時代に比べれば飲む量は激減。飲み放題のスピードにはとても追いつかない。 実に楽しい日々でした。尚、私から各OB会で「相川賢太郎様を偲ぶ追悼文集」を紹介し、相川さんと各部門との関わり等、想い出を語りました。 また各OB会とも私同様遠隔地からの出席者が多いことに驚きました。
⑥こぼればなし 変わらない長崎
1)ちゃんぽんとラーメンとトルコライス
長崎にいるときは長崎でしか食べられないものを食べたいと思って、まずはちゃんぽん。全国展開しているリンガーハットが自宅近くありよく行きますが、やはり長崎では本場のちゃんぽんをと思い、四海楼と江山楼に行きました。またとんこつラーメンは銅座三八ラーメンで、それぞれ本場の味を堪能しました。ホテルの近くのレストランに寄ったところ、トルコライスがあったのでこれも懐かしく食べました。
2)水辺の森公園の風景とダイヤモンドプリンセス寄港 水辺の森公園をゆっくり散策しました。対岸の造船所のたたずまいは20数年前の昔とあまり変わらない。松ヶ枝埠頭にはダイヤモンドプリンセスが入港、また広場は食のイベントで賑わっており、昔の姿そのままの感じでした。
変わらぬ長船の姿 | ダイヤモンドプリンセスが停泊中 |
沢山の出店と沢山の人出 | 全国を回っている曲芸のお兄さん |
3)いつまでもお若い芸子さん
長崎にいるときイベントやお客様の接待でお世話になった検番の芸子さんに福砂屋本店の前でバッタリと会いました。前回会ってからもう20年以上経っている。先方はまだ現役で当時と変わらぬあでやかさであり、すぐ気がつきました。それに比べて、こちらはただただ年だけを取って後期高齢者になりましたが、幸い覚えてくれていたようで、暫し立ち話をしました。長崎にはまったく予期しないこんな出会いがあるんだ!
今回が最後かもしれないと思っていましたが、やっぱりまた来年も出かけて来るかな? 一週間の滞在でしたが、名残りを惜しみながら長崎をあとにしました。