『増田信行様を偲んで』


  『増田元相談役の思い出』                   光畑 英哉

増田元相談役に初めてお会いしたのは、私が長崎から東京の原技センターに来てからずっと後のことです。増田さんは私が長船
いた時代、一機に在籍され、建設部の私はお会いする機会はありませんでした。
私は湘南CCのメンバーでずっとゴルフをやっていましたが、増田さんを中心とする仲間の会「信九会」(ゴルフ+懇親会:長船
OB+九大卒)が発足した際に『熊本も九州だ』と優しい言葉で仲間に入れて頂きました。それから湘南で楽しい時間を過ごすこ
とができました。有難く思っています。


              増田さんを囲む信九会の懇親会(写真右下が私)

 
増田さんが三島に別荘を作られた折、設計を手伝わせて頂きました。第一の希望は『風呂場から富士山が見える様にする』事
でした。完成して最初は設計通り美しい富士山がお風呂から見られました。その内、近所に別の建物が出来、すっかり見えなく
なり大変残念がっておられました。
また庭造りが大変楽しみな様でした。しかし腰が痛いので中腰での作業はできません。庭や畑の場所に穴を掘られ、中腰になら
ないように、その中にご自分が入り畑仕事をしておられました。
また、日本酒がお好きで珍しいお酒を一緒に探すのも私の楽しみでした。ゴルフは腰を使うので痛めては悪いと横振りで力強い
球を打っておられました。何でも佐賀の米所の出身で鍛えられていて重いものは得意だと話しておられたものです。腕は丈夫な
がらペースメーカを入れておられ無理はできない様でした。

91歳で亡くなられました。私にとっては若くしてお亡くなりになったと大変残念に思います。もっとお話しが聞きたかったもの
です。私の家には増田さんが剣道で使う折の手ぬぐいが置いてあります。今や形見になりました。大切に飾っておきます。
       
どうか安らかにお眠りください                                            
                                                     以上