澤本嘉文様


■長船での駆け出し時代の思い出   New!
○澤本嘉文様  
(事務局付記) 澤本様からは3つのエピソードを投稿頂きましたが、ここでは紙面の都合上、末永副所長の思い出2件を紹介します。
     あと一つは銅座で飲んだ挙句の武勇伝でしたが、これは皆さんそれぞれの時代の武勇伝をお持ちでしょうからそれを思い出してください。


 昭和37年(1962年)春、学卒として当時の三菱造船に入社し長船での集合教育を受けて 会社生活をスタートした仲間は約130名であった。
2年後には三菱東日本重工、新三菱 重工と合併して三菱重工となった事もあり、これらの仲間は各地に広く散らばっている。 私自身も長船生活
7年を経て本社に転勤し、以後本社で営業や管理部門、更にや海外での 勤務等が中心の会社生活を送ることになった。「玉石会」と言う同期会を
作り、折に触れ て親睦の機会を設けてきたが、大量の同期入社だったので、玉も石もごっちゃ混ぜの玉石 混淆の集団だとしての命名だったと
記憶している。会員の夫々は自らを「玉」と意識していたか「石」と思っていたのか・・・・・?今年の五月、入社55周年を記念しての行事で
5年ぶりに長崎に集結したが、私も、今回は少し余裕を見て滞在し、思い出の地なども 多く訪れて新入社員時代の感慨に浸った。
 記憶の中から当時副所長であられた「末永さん」(後に所長、社長)との心に残るエピソードにつき触れてみたい。
(我々駆け出し社員にとっては、末永副所長は将に雲の上の存在。しかし当時から、「汚れ皇太子」とか言うニックネームが我々の耳にも入ってきていた副所長は、何となく親しみを感じさせられる存在でもあったので、敢えて「末永さん」と呼ばせていただきたい。)


〔その1〕: 当時、我々新入社員の平戸小屋寮は水の浦の長崎研究所へ向かう
 門を入り、坂を上った丘の中腹にあり、木造2階立てのお世辞にも立派とは
 言えぬ建物であった。夕食後は頻繁に街に飲みに繰り出していたが、会社帰り
 に門の脇にあった「社倉」近くの小さな飲み屋に立ち寄って帰る事もあった。
 海に流れ出る直前の幅5~6m程の川に店の半分をせり出すように屋台に毛の
 生えた様な小さな飲み屋があり、確か「君松」とか言う名前で、6~7人も
 入れば満員となる程の狭い飲み屋だったが、何故かこの店には当時の末永
 副所長も良く顔を出されていた様だ。入社して間もない頃だから、当然ながら
 我々見習いと末永さんとに仕事上の接点はある筈もない。その日も仲間3人
 程で、この店に寄り道すると既に末永さんが、某部長と共に作業着のままの
 服装で飲んで居られた。我々も 飲む程にボルテージが上がり酒の勢いで遠慮
 無い会話のやり取りをさせていただいた。お二人がお帰りになる頃、末永さん
 から突然尋ねられた。「君達はウイス キーは飲むのか?」…「飲みますよ!
 安月給では、そんなに高いものには手が届 きませんが……。」 
さて、翌朝の自分の職場。(当時の見習い甲としての私の配属は原動機営業部の「一般機械課」で長船の機械部門の中で原動機、舶用機械を除く
“その他の機械”を扱う小さな所帯だった。)

 当時営業や管理部門は現場や設計部門より始業時間が30分遅かったが、この日も時間ぎりぎりに出勤すると、机の上の箱に入った
 ウイスキー(当時「だるま」と言われていたサントリーオールド)が目に飛び込んだ。??。「これ、どうしたんですか?」と
 訝しがる私の質問に対し、課の先輩が逆に不思議そうに教えてくれた。」「何だか知らないが、朝早く副所長がぶらりと来られて、
 君の席を確認して置いて行かれたよ!!」 私自身は昨夕のやりとり等すっかり忘れてしまっていたのに副所長は覚えていて下さっ
 たのか!…と只々恐縮するばかりで頭が下がる思いであった。 今回この近くも訪れてみたが、「労働組合長﨑支部」や「三菱長崎
 信用組合」等は立派な建物になっており、回りの雰囲気は様変わりしていた。

 

 

 〔その2〕: その日は、私の所属する一般機械課が窓口で納入した機械のトラブル対応方針決定の為の会議が開
  かれており所長室隣の会議室で楕円形のテーブルを囲む形で営業、設計、管理関係の幹部等10数名が出席し、
  末永副所長も出席して居られた。(この様な重要な会議に私の如き駆け出しの若造が出席する事などは普通は
  有り得ないのだろうが、層の浅い一般機械の営業担当として、客先との事情などに精通していた私も記録係的な
役割も含めて出席を求められたのであったろう。) 暫く会議が続いている間、末永さんは始終目を閉じて聞いて居られる様に見え、眠っている
ようにさえ見えた。「昨夜も飲み過ぎて眠たいのかも…」と余計な心配が私の頭を過り始めた時、突然トンデモナイ光景が目の前に展開した。何と
末永さんがポケットから小さなネズミを取り出してテーブルの真ん中に投げ出したのだ。「殿、御乱心!」皆がギョッとして息を呑んで見守る中
で、副所長はそのネズミを悠然として掴み直して再びポケットに仕舞いこみ、一言捨て台詞的に言い残して会議室を出て行かれた。「ライオンは
ネズミを捕まえる時でも全力で飛び掛かるちゅーからな……。そいじゃー後は宜しく頼む。」 そのネズミはゴムで出来たおもちゃで、想像するに
多分前の夜にでも何処かのクラブのホステスからでも貰って来たものであったのだろう。それからの会議は熱を帯びた。「末永さんは、こう言う
意味で仰ったのだ、いやこう言う事を言いたかったのだ…」と皆が発言の意味を最良の結論を導き出せるような形に「忖度」して熱心に議論を続け
て充実した会議となった様に記憶している。 具体的な指示をする事なく、全員の知恵を結集して良い結果が出て来る様な包容力に満ちた導き方
は、リーダー像として当時の私には新鮮で、この場面は今でも鮮明に私の脳裏に焼き付いている。
                                              以上