増田信行様

■お便り

このコーナーは新入会員の自己紹介の他、皆様からのお便りを掲載します。「私が今取り組んでいること」,「ちょっといい話」なんでも結構です。事務局にお寄せ下さい。

連絡先  小笹源水  

  メールアドレス gensuikozasa@yahoo.co.jp  住所 106-0047 港区南麻布1丁目26-5-101  電話 090-4981-9402 

 

増田信行様 New!

20年前東京に来て2年くらいの頃のパートIとその後のことを書かれたパートIIを一挙掲載します。ドライブの話が中心ですが、しょっちゅうドライブを楽しみながら56年間も無事故無違反という筆者は正にギネスブックものです。 ゴールド免許になかなか辿り着かない凡人は大いに見習いたい
ものです。(事務局)


 パート I 東京の田舎もん  (20年前に執筆)
            
光陰矢の如く歳月は流れ,卒業以来,長崎在住30年余と人生の大半を過ごしその後,広島2年余,下関2年余,そして東京2年余とはや37年余
が過ぎた。

私の趣味の一つはドライブである。昭和36年に運転免許をとり33年間無事故・無違反を誇っている。
 長崎時代は家族連れでドライブ。 しかし長崎は日本の西の端(車を走らせて行ける所として),どこへ行くにも朝日を目にして東へ走り,夕日
を目に受けて西へ帰る。行く所もだんだん少なくなり,いつの間にか正月は太宰府へ初詣,盆に郷里の墓参りが,習慣になった。
 7年前,住み慣れた長崎をあとにして広島へ,続いて下関に移った。子供達は家を離れ家内と二人の生活となり ドライブの範囲も大巾に広がっ
た。助手席に家内を乗せ,気ままなドライブを楽しんだ。東は尾道,鞆の浦,北の大山,松江に鳥取の砂丘,南に四国一周と瀬戸大橋。初めての土地は面白い。事前に地図を広げて計画をたてる。これも楽しみの一つ。目的地に通過ポイントと距離,時刻。ノートに計画対比で実績も記入する。
実に念が入り且つ正確だ。とは言っても道を間違えることはある。地図を見直し,夫婦ケンカをしながらのドライブも振り返ると楽しい。
迷句も沢山出来た。2~3紹介する。

・ 叱られて 地図を見直し Uターン
・ ナビゲータ 老眼鏡の 目もかすみ
・ ボケてないゾと 大歩危小歩危 見て走る

注:大歩危小歩危(おおぼけこぼけ) 徳島県西部、吉野川が四国山地を横断する渓谷、深淵と絶壁・奇岩の景勝地

35年間、西の田舎に住んでいた私にも思いもかけぬ東京暮しが始まった。これまで,「東京は人が住む所ではない,人ばかり多く空気も濁った
ゴミゴミした所で生活の場ではない」と日ごろ言っていた私も覚悟を決めた。麻布が生まれ故郷の家内は生き生きしている。 品川に住む家内の従妹からは「ポーと東京に出て来て大役を仰せつかって大変ネエー」と同情された。車も持ってくるべきか迷った。都内は道が狭く曲がりくねっている。一方通行も多い。右へ曲がり右へ曲がり右へ曲っても元の道に戻らない。遠出は駄目だ。渋滞で時間の計算がたたない。運転はいやだとやらない東京人も多い。
 しかし,慣れると満更でもない。結構緑も多い。 武蔵野の森林や,人だかりの銀座にもよく出掛ける。 車もデイアマンテに買い替えた。
 助手席の家内からは,もう60年も東京に住んでいる人みたいだと言われるこの頃である。


  パートII その後の田舎もん (今年、その後のことを加筆したもの)

 今年、平成29年は、昭和で言うと92年になる。私は昭和32年に長船入社、62年に長崎を離れたので、入社以来前半の30年を長崎、後半の30年を広島、下関、そして東京に住んだことになる。
 25年も東京に住んでいると長崎の田舎もんもすっかり都会人らしくなり、「ポーと田舎らから出て来て大変ネェ-」とは言われなくなった。
 趣味のドライブは相変わらずで、行動範囲は更に広くなった。北海道など遠方のドライブはレンタカーを利用することにした。 
 80才を過ぎると歳のせいか疲れやすくなり、最近は首都圏、即ち、神奈川、千葉、埼玉、静岡県など近場のドライブが多くなった。沼津生まれの私は静岡県特に熱海や箱根、伊豆半島一周などが多くなった。
 ナビゲーションシステムは当社の第1号を装着し「神船ニュース」にも掲載された。ドライブも大変便利になり、地図は殆ど見ず、計画実績も記録しなくなった。しかし歳をとると記憶力もだんだん薄くなり、この稿も写真集を引っ張り出したりしてその時の景色を思い浮かべながら書き上げている。
 毎度いろいろな面白い経験やハプニングがあり、話の種は尽きないが、ここでは北海道ドライブの最初の2つだけを紹介することにしたい。
(「ドライブコース」を参照されたい)

①ノサップ岬と北方領土
北海道ドライブを計画していた平成3年、4月16日ソ連大統領ゴルバチョフが来日し、北方領土返還の話が出た。返還される前の外国である北方領土を見ようと計画にノサップ岬を入れた。

注:1991年(平成3年)はソヴィエト連邦消滅の年
     3月  ゴルバチョフ 初代ソ連大統領に就任    4月16日  ゴルバチョフ  来日          6月 エリツィン ロシア大統領に当選       
     8月  ゴルバチョフ 書記長辞任         11月   エリツィン 共産党解散の大統領令    12月25日    ゴルバチョフ ソ連大統領辞任

 

  下関造船所は長距離フェリーを造っており、当時、東日本フェリー㈱は最高の顧客であった。
 東日本フェリーの社長から自分が造った船で行かず、航空機で行くとは何ごとかと言われ、青森
 から函館まで下船製フェリー「びるご」で行くこととした。船室で家内から「下船(しもせん)」 と書いてあると言われてみると「下船の際はお忘れ物ないようご注意下さい。」とあって「しも
 せん」ではなく「げせん」であることが分った。
 出港してしばらくすると私達は別の船室に案内された。そこは東日本フェリー㈱の社長が乗る
 最上級の船室であった。
  結局、函館に一泊を余儀なくされ、翌日登別温泉からドライブがスタートしたが、札幌まで
 の2日間は当初の計画にはないものであった。

  北海道の田園風景は素晴らしい。はるか彼方まで広がる丘陵、時々顔を出すお花畑や白樺林。
 北の大地とはこのような景色かと見とれる。丘陵地帯は大きな海原みたいなもので、うねりの
 高い所では遠方まで見渡せるが、低い所では丘の上までしか見えず、よそ見などしていると突然
 目の前に車がせまってくる。あとで北大出身の上林常夫さんから聞いたところによると、北海道
 は交通事故死亡率が一番多いとのことでなるほどとうなづけた。
当時は高速道路はなく(長崎県もない)、PAもないため昼食は途中で見つけた食堂に入った。まだ暑くて蠅が多かった。勿論クーラーも普及しておらず、牧場もあるので、蠅も多かった。

根室の空は晴れていた。遅く着いたホテルの夕食には「花咲蟹」のさしみがついていた。食べかたの講習もあって、足の太い方をハサミで切り、節は折り目をつけて細い方を引っぱると骨?筋?が出て来る。身を少し出して醤油をつけ、口を上に向けて開け流しこむ。実においしいものだ。
日本一早い日の出(5時03分;91年9月21日)を見ようと勇んで床に着いたが、飲み過ぎのせいか翌日目を覚ますと太陽がまぶしく輝いていた。いそいで朝食をとり、朝日に向かって車を走らせた。
 今回の旅の目的は北方領土を見ることである。ノサップ岬から双眼鏡でのぞくとかすかではあるが歯舞島が見え、満足して帰途についた。
 ドライブ記録では総行程800kmのドライブで費用は17万円であった。若かったせいか今思うと強行軍に思えるが、全く疲れなかったと記憶して
いる。



②旭川兵村記念館と模型飛行機「隼」の初飛行

  加藤隼(ハヤブサ)戦闘隊と言えば私より年配の人で知らない人はいないと思う。隊長は“軍神”加藤建夫少将であり、隼戦闘隊長として特に有名であった。彼は北海道旭川市東旭川の出身で、郷土にある「旭川兵村記念館」で没後60年記念の「加藤隼戦闘隊長特別展」が平成14年4月29日から10月20日で開催されていた。
 工藤五一さんは同じ東旭川出身で、昭和40年から名古屋機器製作所のディーゼル機関設計課に勤務しており、同郷のよしみで戦前戦中の航空機に凝っていて、「ゼロ戦」「隼」「神風」の模型飛行機(ラジコン)を兵村記念館に寄贈した。彼からこれらの初飛行をするのでぜひ来て欲しいと頼まれ、行くことにした。
 せっかく旭川に行くのであればすぐ東にある網走にも足を伸ばし、刑務所とオホーツク海も見ることにして計画した。
 私は旭川は初めてであるが、生まれる前に家族は旭川に住んでいたことがあり、長姉は「啓明小学校」を卒業している。小学校はまだあると聞いたので、兵村に行く前に訪問した。立派な小学校であった。
 「兵村記念館」では芦原嚴夫理事長から丁寧な御案内を頂き、東旭川兵村は戦前戦中の日本の航空界を代表する4名の巨星の出身地であることも分った。


 当日は曇り空ではあったが模型機のフライトには差支えない。大勢集
まった地域の人、関係者と模型飛行機に囲まれて挨拶を頼まれた。旭川は
初めての私は話の種は持っておらず、三菱重工の紹介と兵村記念館、模型
機のフライトの話だけでは3分もかからない。啓明小学校を見て来たと話
をすると「オー」とどよめきの声が上がった。歴史のある有名な小学校
なのだろうと感じた。話だけではつまらないので、歌を歌うことにした。
「私は旭川は初めてであるが、隼戦闘隊の歌を60年前に歌ったことがあるので歌います。」

 エンジンの音ごうごうとハヤブサは行く雲の上、翼にかがやく日
 の丸と 胸に画きし荒鷲がしるしぞわれらが戦等隊

 歌いはじめると皆合唱して歌い出した。しかし私が2番 を歌うとだんだんと声が少なく小さくなった。そこで ついでにラバウル航空隊の歌まで歌った。


 銀翼つらねて南の前線 ゆるがぬ守りの海鷲たちが・・・


60年振りに歌ったのであるが、声を出すと次々と歌詞が頭に浮かび歌い終えることが出来た。皆感激して拍手喝采であった。
芦原兵村記念館理事長と工藤五一さんへの礼状には次の句を書き添えた。

   兵村の空に舞いたる隼に歓声あがるよろこびもまた







 先に80才を過ぎると歳のせいか疲れやすくなると書いたが、目の疲れから腰や背中が痛くなる。2時間の運転でひと休みすることにしているが、
この頃は1時間で休憩をとる。街なかの人が多い通りでは良く周囲を注意して見る。
 最近、「高齢者の運転は事故が多く危険である。免許証は返上してやめるよう」言う声が多くなった。高齢者の事故は大々的にニュースで取上げ、肩身の狭い思いがする。しかし56年も無事故無違反の私にとっては高齢者を十把ひとからげで言って欲しくない。イスラム教はテロリストだという声もあるがイスラム教徒にとっては甚だ迷惑なことだろう。

 

 しかしながら、ヒヤリとしたり、ハッと思うことはだん
だん増えてきたと感じる。「ハインリッヒの法則、300/29/1」というものがある。
ヒヤリハットが300件あれば、小事故29件、大事故1件発生
するという。
 車がないと不便この上ないが、いずれ事故を起こす前に
免許証を返上して運転をやめる時が来るであろう。


 最後に迷句もたくさん作ったので少し紹介する。

・ よそ見して叱られ走る北海道
団体を押しのけ絶景うつし撮る摩周湖にて増田夫人を写す
・ 渋滞で協議の結果引き返す
・ 晴れた空 朝日に向かってノサップへ


 <ドライブコース:北海道>
 ① 登別温泉-オロフレ峠-有珠山昭和新山-洞爺湖-支笏湖-札幌-(千歳空港-女満別空港)-美幌峠-川湯温泉-摩周湖-阿寒湖-弟子屈町-釧路湿原-釧路-根室
   -ノサップ岬-霧多布岬-厚岸-釧路空港 (H3.9.15~9.21)
 ② 女満別-網走-小清水湿生花園-北見-層雲峡-富良野-美瑛-旭岳-旭川(旭川兵村記念館) (H14.7.18~7.21)
 ③ 千歳-定山渓-倶知安-ニセコ-岩内-小樽-札幌  (H23.8.4~8.8)
 ④ ウィンザー洞爺湖-室蘭-岩内-泊原子力発電所-積丹半島一周-小樽-札幌 (H24.8.19~22)
 <ドライブコース:東北>
 ① 郡山-猪苗代湖-旧滝沢本陣-飯盛山-芦ノ牧温泉-会津若松(鶴ヶ城、勝常寺)-五色沼-白布峠-白布温泉-米沢(上杉神社)-上山温泉-山寺(立石寺)-山形(霞城公園)
  -仙台 (H5.4.29~5.2)
 ② 青森(ねぶたの里)-八甲田山-睡蓮沼-蔦温泉-銚子大滝-奥入瀬渓流-十和田湖(乙女の像)-発荷峠-湯瀬ホテル-八幡平-小岩井農場-仙台 (H6.7.22~24)
 ③ 奥沢-軽井沢-鬼怒川温泉-日光-益子-奥沢 (H7.4.30~5.2)
 ④ 下丸子-御殿場-山中湖-蓼科高原荘-日本ピラタス横岳-蓼科湖-白樺湖-女神湖-軽井沢-万座温泉-白根山-志賀高原-嬬恋高原-軽井沢-下丸子 (H7.8.13~16)
 ⑤ 下丸子-大洗(原子燃料再処理研究所)-水戸(瑞龍山、西山荘)-偕楽園-旧水海道小学校-笠間-下丸子 (H8.2.24~25)
 ⑥ 下丸子-真岡-那須荘-軽井沢-熊谷-小金井-下丸子 (H14.4.30~5.4)
 ⑦ 下丸子-足利(足利学校、善徳寺)-那須荘-茶臼山- 中禅寺湖(金谷ホテル)-湯元温泉-霧降高原-日光 -大谷(大谷石)-下丸子 (H16.10.12~15)
 ⑧ 下丸子-山名町(グリーンピア)-伊香保-榛名湖-軽井沢-下丸子 (H18.10.13~16)
 ⑨ 下丸子-宇都宮-壬生(独協医大)-宇都宮-中禅寺金谷ホテル-戦場ヶ原 -日光-下丸子 (H26.7.22~24)