秋吉清司様

■お便り

このコーナーは新入会員の自己紹介の他、皆様からのお便りを掲載します。「私が今取り組んでいること」,「ちょっといい話」なんでも結構です。事務局にお寄せ下さい。

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秋吉清司様  New! 
 北海道支社で長らく活躍された秋吉さんが東京に戻られました。早速、入社間もない長船の思い出を投稿頂きました。(事務局)

 インドネシア・スラバヤ火力の思い出

インドネシア国スラバヤ市へスラバヤ火力建設工事のアドミとして勤務したのは、昭和52年9月から同54年3月までの約1年半でした。
スラバヤ火力建設工事は単機容量5万kwの3・4号機を増設するもので、土木工事は客先手配でしたが、ボイラ・タービン/建屋建築工事一式を含むセミ・ターンキー工事でした。

 

私は昭和48年長船勤労部入社、同51年にローテーションで同原動機営業部原動機輸出課に異動、当時は中東プロジェクト室にて、イラク・ハルサ案件に従事しておりました。しかし、同52年の夏のある日に課長から、“スラバヤ火力建設工事のアドミの交替要員として君に行って貰うことになった。“との話。私はいずれイラクへアドミとして出向くものと考えていましたが、急きょインドネシアへ赴任することになりました。その時私は27歳で独身でしたので、課長からは“1年以上現地に滞在するが、無事に単身で帰国するように。“と諭されたものでした。

それからインドネシアのビザ取得とか、出張準備とか等でバタバタとした日々が過ぎ、9月にタービン据付SVである組立課の方と一緒に羽田から出発しました。羽田空港を昼ころに飛び立ちましたが、インドネシアの首都にあるジャカルタ空港への到着は夜になっていました。空港には三菱商事のジャカルタ事務所の方が出迎えに来てくれていて、我々二人を空港から事務所近くのホテルまで案内してくれました。翌日ジャカルタからスラバヤ空港行きの国内線で移動、約1時間のフライトでようやくスラバヤ市に到着しました。

スラバヤ市は当時人口は約100万人のインドネシア第二の都市、スラバヤ沖海戦(第二次大戦で日本軍が連合国軍に完勝した海戦)があった所でもあります。人口の殆どがイスラム教徒のため、あちらこちらにモスクがありました。毎朝早くにモスクからお祈りの放送があり、いわば目覚まし代わりでした。我々長船からの派遣者は当時12名位でしたが、3軒の借家に分散して住んでいました。インドネシア語で家のことをメスと言いますが、各メスにボーイとメイドを雇い、炊事・洗濯・掃除などの家事をやって貰っていました。私は建設所長の野田さんと一緒のメスの2階の部屋に住みましたが、天井にヤモリが数匹ウロウロしているのには驚きました。ヤモリはマラリアをうつす蚊を食べるので、部屋の中にいた方が良いとの話でしたが、毎晩寝る前にヤモリが天井にへばり付いているのを見て、寝てる最中に落ちてこないか心配しながら寝ていました。

写真左:当時の市内風景。人力車みたいなものが写っていますが、ペチャと云って、人力車の自転車版です。市民の足として重宝されていました。
写真右:インドネシアの民族衣装・バティックを着用した秋吉さん(むかって右)。左は計装S/Vの荒木さん。中央はボイラ据付S/Vの野口さん。

インドネシア語についてですが、最初ジャカルタについたときに、三菱商事の方から簡単に覚えられる4つの言葉を教えて貰いました。それは、“人はオラン、飯はナシ、魚はイカン、菓子をクエ“というものでした(それぞれがインドネシア語を表しているが、日本語の文章としても覚えやすいので、今でも頭に残っています)。後は単語を組み合わせて語彙を増やすわけですが、例えばオラン・ウ―タンとは森の人、ナシ・ゴレンは焼き飯と言う風になります。現地建設工事は地元の業者を活用したので、長船のSVの皆さんは地元業者の作業員へインドネシア語で指示するなど日常会話ができるレベルでした。私はアドミとして、現地での調達もあるので、野田所長のアドバイスもあり、家庭教師を自費で雇って週に2回メスでインドネシア語を教えて貰いました。そのかいもあってか、最後には現地の流行歌を歌える程度にはなりました。

写真左:通気式で司会をされる秋吉様
写真右:3号タービン通気式の様子

スラバヤ3・4号機建設工事については、雨季の豪雨によるトラブル等いろいろな苦労もありましたが、無事に完成・引き渡しすることが出来ました。私にとっても、この3・4号機はドラム揚げから完成・引き渡しまで約1年半に亘り従事した、大変思い出深いプラントとなりました。

 

事務局注
 写真は建設OBの猿渡さん、荒木さんからご協力いただきました。ありがとうございました。
 又、文中の野田所長は数年前にご逝去されたそうです。ご冥福をお祈り申し上げます。