皆様からのお便り 1

筆者が若きエンジニア時代情熱を注いだスペイン・コンポステジャ発電所を訪れ、「我が娘」といとおしむタービンと41年振りに再会した話
(その1)、そしてその機会にスペイン・サンチャゴの道を巡礼した話(その2)をまとめたものです。3重工合併、高砂新鋭工場竣工等による
影響で、長船の大型タービン受注のチャンスが激減した当時、このコンポステジャ330MWタービンに始まるイラクハルサ以降の中東・中南米の大型
タービン受注は正に長船の救世主であったと言われています。(事務局 A.T.)

 ○ スペイン紀行         河合武久様    New! 

その1.ENDESA COMPOSTILLA発電所 訪問記


スペイン・コンポステジャ3号330MW蒸気タービン。この名前は
長機会のメンバーにとって忘れられない名前だろう。このタービンは
当社のヨーロッパ輸出第一号機で、当時の相川課長が、単身で年間
5回もスペインを訪問し、既納のWHやGE・Parsons等に打勝って
受注した記念碑的タービンである。1970年10月24日工場での
過速度試運転中に低圧タービンローターが材質欠陥の為に破裂すると
いう痛恨極まりない大事故が起こった。しかし、この惨事を乗り
越えての、その後の当社のスペインタービンの輸出は20数台に
及び、更に、その実績で中東・中南米への輸出も拡大したことは
皆さんの良く知る所である。イラクハルサに始まり、クエイト・
イラン・メキシコ・コロンビア・エクアドル等々への拡販が其の
一環である。

私は、このタービンの設計主任福田さんの下で、アシスタントとして
設計に携わり、ローター爆発事故三年後に受取り性能試験の責任者
として、久米指導員と一緒に現地で働いた。2014年6月に41年
ぶりに本発電所を訪問したので報告する。




若い頃情熱を燃やして取り組んだ蒸気タービン設計技術者が、
「嫁がせた娘がまだ元気で働いて居るか確認したい」という申し出を
発電所は快く受け入れてくれた。スペイン人の優しさである

三菱の3,4,5号機は全てほぼ定格出力で順調に運転中で、軸振動も
良好な値を示していた。2号機(ウエスティングハウス製)は来年廃止
するが、三菱製の3,4,5号機はまだ当分運転継続の予定。
特に3号機は隣接するダム貯水湖から直接冷却水取水するため真空が
良くプラント中で一番効率が良い(4,5号機は冷却塔のため真空
悪い)。かって、石炭火力はベースロード火力であったが、風力、
太陽光と不安定電源が増えたので、これら自然エネルギーの変動に
合わせ、石炭火力が出力調整を頻繁にせねばならない。3号機は昨年
までで1000回以上の発停を経験した。負荷変動の激しい運転に
いかに対応するかが今後の課題という。

 



若い頃、情熱と希望を持って携わった蒸気タービンが、40数年経った
今も現役で活躍し、スペインの人々に電気を供給し役立っている。
後世に残る仕事が出来、我々の仕事は素晴らしいものだとつくづく
感じた。



 








 Fernandez発電所長、Maceiras保守担当、Carlos技術担当の皆さん
 と、ワイン付スペイン式昼食をご馳走になりながらの会話
 「ホールの真ん中に飾ってあるサムライの鎧兜を、何故三菱はエンデサ
 に寄贈したのか」ローター破裂事故時はまだ生まれていなかった30代
 のMaceirasさんの質問に「良くぞ聞いてくれた」と前置きし、下記
 話した。

 コンポステジャ3号機蒸気タービンには、当時、世界最大直径の低圧
 タービンをエンデサに提案し、高中圧・低圧・低圧タービン・3車室の
 客先指定を、高中圧・低圧タービン2車室に変更させて、大幅なコスト
 ダウンを推奨した。エンデサはこの三菱重工の新技術への挑戦を高く
 評価し、当時はまだ無名の極東の一メーカーである三菱重工に発注
 した。残念なことに製鋼所の鍛造技術力が一歩及ばず、大直径の低圧
 タービンローターが工場の過速度試験中に破裂した。4名の死者を
 出す、産業史にも残る大事故であった。
 普通であれば、エンデサは多額の賠償金を三菱に要求して、両者の関係
 は終わっていたであろ

 しかし、エンデサは極めて寛大であった。あくまでも三菱の新技術
 への挑戦を支援し、三菱が原因究明、確実な新技術開発に必死に
 なって取り組むのを辛抱強く待ってくれ納期は1年遅れた。しかも、
 改良した3号機の順調な運転を確認するや否や、次々と同型機を当社
 に発注してくれた。その数は私の記憶する範囲内でも21台にも
 なる。更に、このローター事故原因究明や対策研究により、世界の
 大型ローター鍛造技術は格段に進歩した。

 三菱は新技術開発に果敢に挑戦するサムライである。同時に、
 エンデサにもそれを理解するサムライの精神と、武士の情けを我々は
 ひしひしと感じ取った。武士道では、弱い者をいじめてはならぬ、
 としている。苦境に陥って、苦心して努力する我々を、武士の情けで
 見守ってくれたエンデサに我々は大いに感動したものである。

 事故当時、コンポステジャ3号プロジェクトの責任者であった
 相川賢太郎課長が、その後昇進して会長に就任してから、エンデサ・
 三菱重工・友好30周年記念兼謝恩パーティーをマドリードで開く
 ことを念願し、当時のエンデサの武士の情けに対する感謝の一環
 として、エンデサというサムライにふさわしい、日本の鎧兜を
                                   贈った。 それがご質問の、「ホールにあるサムライの鎧兜」である。

この話の後、Fernandez所長から、エンデサが如何に新技術開発に積極的に取り組んで、今まで大いに発展してきたか、三菱重工が今やシーメン
スと組んでGEに対抗しアルストムを買収の話がでるまで成長できたのも、この時のエンデサの武士の情けのお蔭である、などなど、エンデサ・
三菱重工の関係に話が盛り上がった。

今回の見学では、エンデサの現状についてのプレゼンテーションを含め、2時間も隈なく案内して頂き、帰りには持ちきれぬほどのお土産も
頂いた。一介の退役技術者をこのように暖かく迎えて頂けるのも、相川相談役、久米指導員をはじめ、スペインのタービン製作工場バサン社の
協力など、これまで多くの先輩方が築いてこられたエンデサ・三菱重工の良好な関係、そしてそれをキチンと継承して頑張っている現役の皆さんの
お蔭であると深い感謝の気持ちでコンポステジャ発電所を後にした。

その2.スペイン・サンチャゴの道 巡礼記   
    (Camino de Santiago)       
        2014・6・26(木)~7・2(水)

フランスとの国境ピレーネ山中のサン・ジャン・ピエ・ド・ポ-から、イベリア半島西端の町サンティアゴ・デ・コンポステラまで延々780km
一本の道が続いている。千年以上に亘って何百万人の人々が、様々な思いを胸に、この道を聖地サンチャゴに向かって歩いてきた。
全行程を歩くと一か月半は掛かる。今回私は「ラスト・ウオーク」サリアから終着地聖地サンチャゴまでの114kmを歩いた。最短100km
歩くと、巡礼証明書が貰えるので昨今この行程は極めて人気が高い。それでも、途中のんびり歩いたこともあって、6月26日から7月2日まで
7日掛かった。
実は、この道はかのコンポステジャ発電所の傍を通る。「その1.ENDESA COMPOSTILLA発電所 訪問記」で述べた発電所見学を終えて、巡礼
道をスタートした。



                              
1.道・・・Camino

 
 道は基本的に1~3m幅の土と石 ころの道。所々村に差し掛 かると簡易舗装された
 村道を通る。
 特に、ラスト・ウオークの114kmは、ガリシア地方の美しい森の中を進み、清涼な
 渓流を渡り、森を抜けると眼前に広々とした牧場が広がり、気分壮大になる。歩いて
 いるだけで楽しくなる道だった。









 
 道はかなりアップダウン有り、一日20km歩いて標高差300~400m位だった。













 
 渓流の多い土地で、中世に作られたという石作りの橋が風情を醸す。













ガリシアは雨の多い地方である。降り出すと風も強まり、その降り方は半端
ではない。山道は滝となり、平場は泥とぬかるむ。快適な行楽の散歩道は一転
して難行苦行の巡礼道となる。このような時はただ黙々と歩む他ない。




 

 

 

 

村々には小さな教会と巡礼者が一休みするカフェテリアが有る。思い思いの飲食を楽しみ、疲れた足を伸ばして、トイレを済ませて旅を続ける。


要所要所に石作りの道標が立っている。右の写真は出発地点サリアの
村はずれ、「K.110」とある。
目的地サンチャゴまであと110kmという意味。サンチャゴに近く
なると、この数値がどんどん小さくなるのが楽しみだった。

 

 

 

 

 

 

 


2.人:巡礼者・・・Peregrinos

蟻の熊野詣 という言葉が有る。サンチャゴの道もこれに似ている。蟻の行列の様に途切れることなく森、平原、村の中の一本道をただひたすら
人々は歩いている。
2012年の統計では19万2千人の人が巡礼したそうだ。徒歩、自転車、馬で行くのが巡礼者として認められる。驚いたことに、2012年は
馬で歩いた人が281人居たそうだ。
同じ道を同じ方向に向かって歩いているのだから、同じ人々に良く逢うことになる。言葉が通じなくとも、「Buen Camino(良い巡礼を)」と声を
掛け合うとぐっと親しみが増す。


左上の写真は、左がドイツ人の夫、右がスペイン人の妻、真中は途中合流の中近東の人。この御夫婦はたいしたもので、三歳の子供をどちらか
一方が背負い、もう一方は二人分の荷物14キロを担いで歩いていた。明るく元気溌剌と見えた。サンチャゴで別れる時、これからマドリッドの
病気の母を見舞うのだと珍しく寂しげだった。
右上の写真は、ノルエーの父娘。何か訳有りのようで、二人の会話は英語、娘は明らかに東南アジア系だった。養子にしたのはいいがしっくり
行かず、巡礼道で絆を確かめ合っているのだろうか。

左上の写真はドイツの片田舎から来たご夫婦。先方は英語もスペイン語も分からず、当方はドイツ語が分からない。身振り手振りの会話だが、道々
この御夫婦に再会すると、なにがなし心温まるものを感じた。
途中一回だけ道に迷った。サンチャゴの道から分かれて宿へ行くべき道を見過ごしてしまった。地図を見ても分からない。途中見つけたカフェ
テリアに入って道を尋ねた。行き過ぎだ、2km戻るべし、とのこと。20km歩いた身には、もう2km歩くのはしんどい。見かねたか、丁度休み
になるので送ってやるよ、とて車で宿まで送ってくれた。歩くと長いが、車だとあっという間だった。文明の利器の有難さが身に染みた。親切な
カルロス君。写真右上。
珍しい出会いも有った。途中、「日本人か?」と嬉しそうに語りかけてくる中年男性に会った。聞くと、神戸に7年住んでとても楽しかったとの
こと。なんと、フランスAreva SAの原子力エンジニアで三菱重工神戸造船所で新型炉の共同開発に携わったとのこと。 私も三菱重工で、長崎
造船所でタービン設計エンジニアだと自己紹介したら、すっかり打ち解け話が弾んだ。


3.食事・・・Comida


 スペイン料理は日本人の口に良く合う。特に、ガリ
 シア地方は海が近いので海産物が美味い。
 蛸の足を窯で茹で、鋏で豪快にぶつ切りにし、ニン
 ニクとオリーブオイルでサッと炒めたのを、新鮮な
 サラダと共に生ビール、赤ワインで食べると一日の
 疲れは飛んで行く。
 道中食べた海産物:蛸のオリーブオイル炒め、イカ
 のリング揚げ、小エビのオリーブオイル炒め、
 ムール貝、サーモン・ステーキ、メルルーサ・
 ステーキ、イワシの塩焼き、ホタテ貝塩焼
 その他:イベリコ豚の生ハム、マッシュルーム・
 オリーブオイル炒め、新鮮野菜のサラダ、スペイン
 オムレツ etc.










4.人は何のために巡礼道を歩くのか

歩き始めて最初の頃、何人かに表題の質問をしてみた。あまり明解な回答は帰ってこなかった。皆明るく楽しそうに歩いている。まるで遠足の
様だ。しかし、おそらく、人は皆、心の奥に様々な思いを抱えて巡礼道を歩いているのだろう。その思いは、簡単には言い表せないのだと思う。
この様な質問をしないのが、エチケットなのだろうと気が付いて、途中からこの質問はしないことにした。
終着地サンチャゴに近づいた頃、達成感と共に、もう終わるのだと一抹の寂しさを胸に歩いていた時、ふと見上げた壁に下記のような落書きが
有った。この詩が、巡礼者の気持ちを良く言い表しているのではないだろうか。

ここに私の拙訳を記すので御笑覧あれ。

ああ サンチャゴの道よ
砂塵と泥濘、照りつける太陽と篠突く雨
千年以上にもわたって何千人もの巡礼者が歩んできた

巡礼者よ 誰がお前を呼んでいるのか
どんな隠れた力が、お前を導くのか
天の川にきらめく星たちではない
偉大な大聖堂に魅せられたわけでもない
ナバレ王国を彩る英雄譚でもない

ガリシアのホタテ貝でもない
リオハ・ワインの豊潤さでもない
カスティリアの広大な野原でもない

巡礼者よ、誰がお前を呼んでいるのか
どんな隠れた力が、お前を導くのか
巡礼道で出会う人々でもない
村々の風習でもない

歴史や文化でもない
カルザダの伝説の雄鶏でもない
ガウディの築いた宮殿でもない
ポンフェラダの城塞でもない

これ等全てのものを巡礼道の道すがら
私は見た 素晴らしかった。しかし、
巡礼の道へ私を呼ぶ声は、心の奥底から聞こえて来る。

巡礼に駆り立てるもの、その力は口では言い表せない。
巡礼へと引きつけるもの、それは神のみぞ知る。