長船150トン扛重機(こうじゅうき)と私 ※1 花田 公行 New!
1960年から70年代、この時代、陸用/舶用タービンやディーゼルエンジン共、急激にその単機容量が上がり、高度成長期の中、生産量も飛躍的に増加していきました。造機の最終工程である組立課でも、昼夜をおかず突貫工事で多くの製品を世に送り出していました。その製品の多くは、当時船渠課で管理されていた150トン扛重機により、艀や船に吊り込まれ、世界中へと届けられて行きました。時代の移り変わりとともに、組み立てられる製品は変化していったが、丹精込めて造り上げた製品達が、その静かな佇まいの扛重機の圧倒的な力により済々と吊り上げられ、世の中に送り出されていく姿を仲間と見送りながら、安堵と共に達成感を味わってきたことは今でも鮮明な印象として残っています。
時代が進み、機器もさらに巨大化し、今では扛重機では賄いきれない製品も多いということですが、振り返れば、この巨大なランドマークは、私の人生の道標として、また友として、進むべき道を潜在的に示してくれていたような気がします。
ここでその思い出に触れてみたいと思い筆を執りました。
※1:世界遺産になったジャイアントカンチレバークレーンのことですが、私が長船にいるときは扛重機(こうじゅうき)と呼ばれていました
ので、ここでは扛重機とさせて頂きたく。
写真① 筆者中学3年修学旅行
上の写真①は、昭和27年10月、熊本県山鹿の中学三年の修学旅行で長崎に来て造船所を見学した際、向島岸壁に於いて、当時飽の浦岸壁にあった
扛重機を背景に撮った記念写真です。この時、私はこの工場のダイナミックさに魅了され、こんな工場に勤められたらなぁと思ったことが、長船に
入りたいと思い始めたきっかけでした。その後、大学三年の時に、第一機械課(一機)で実習する機会に恵まれました。その時の一機課長が末永
聰一郎さん(後の重工社長)、指導員が増田信行さん(同じく後の重工社長)でした。このお二人のお人柄と熱心なご指導に感動し、さらに工場
の雰囲気も思っていた通り私に合っているような気がして、入社の思いはますます強くなりました。
入社試験を受け幸いにも合格できましたが、その年には希望していた一機は採用がなく、組立が二名を採用、私がタービン係、同期の山口昌彦君が
ディーゼル係に配属になりました。
入社した昭和35年は、戦後経済が回復しつつある時期で、機械・組立工場の合理化を目的とした設備投資計画(マル新工事)により、工場増設と
工作機械の更新がスタートして間もない時代でした。造機工場拡張のため、工場の南側を埋立て、現在のA、B棟を新しく増築、そのために扛重機
も飽の浦岸壁から現在の水の浦岸壁へ移設されようとしていました。下の写真②をご参照下さい。
写真② 扛重機移設
写真③ 分解して地上におろしたジブ上の筆者 写真④
写真③は移設のためにジブを解体中の扛重機であり、降ろしたジブの上に乗っているのが私です。その後ろに見えるのが建設中のB棟、更にその
後ろには新しいボイラ煙突も見えます。写真④は、新A、B棟の建設現場でのスナップです。鉄骨の後ろには旧ボイラ室とその煙突も見えます。
当時の私は、組立工場の蒸気試験場の担当となり、扛重機の横にあった6~7缶の石炭焚ボイラを廃却し、重油焚ボイラに換装する工事を担当していました。
あの頃は、工場中が生産と建設で入り乱れテンヤワンヤでした。私も同時にガスタービン、陸・舶の蒸気タービン、現地据付、スタートアップ等の
担当を任され、半ば工場に住んでいた感があります。しかし仕事が苦痛だった思い出は無く、充実した楽しい日々でした。これを起点に組立課
には22年間勤務しました。辛い思い出や苦しい日々が無かったといえば嘘になりますが、いかなる時でも本音で仕事をする組立マンとの交際が、
その後の私の人生の何よりの財産であり、心から感謝しています。そしてそれらは全てこの扛重機の下での思い出であります。
時は流れ、平成20年3月、第一工作部のOB会に出席した私は、扛重機が造船部門(当時の修繕課)から組立課に移管されるという話を聞きました。
扛重機の使用用途の殆どが組立課のためになったというのが理由だが、受け取る側の組立課は、運転はおろか保守保全のノウハウもなく困っている
ということでした。私は、古くはなっているだろうが、長船の思い出が詰まったこの扛重機を、何とかしっかり使い続けてくれるよう願いました。
そしてその願いは後輩達が苦労をしながらも叶えてくれました。
写真⑤ ライトアップされた世界遺産ジャイアントカンチレバークレーン(扛重機)
そして平成27年、この巨大な重機は世界遺産に登録されることになりました。同年、再びOB会のために長崎を訪れた私は、この古い友人に
登ってみようと思いました。残念ながらとても上まで辿り着く体力はありませんでしたが、中ほどまで登り、その荘厳な風格を肌で感じることが
出来ました。長船の歴史を見守り続けてきたこの巨大な友人に、私もまたここまで関わることが出来たことを誇りに思っています。
最後にユネスコ事務局長イリーナ・ボコバ氏による世界遺産に関する条約を引用して結びとさせて頂きたい。
世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約 世界遺産委員会は『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』を世界遺産一覧表に記載した。 この一覧表に記載することは人類共通の利益のために保護されるべき文化遺産または自然遺産の顕著な普遍的 価値を証明するものである。 世界遺産一覧表への記載日 2015年7月8日 ユネスコ事務局長 イリーナ・ボコバ |