皆様からのお便り 2.A 「ボランティアの入口」 その1 築地 洋一様
今回築地洋一様より退職後に多彩な活動をされている経験を投稿頂きました。大学の聴講、裁判所へのボランティア活動と音訳の
ボランティア活動と中々真似の出来る活動ではないですが、皆様の今後の豊かな生活へのご参考にして頂ければと思います。
なお今回は長編の投稿頂きましたので来月号と2回に分けて掲載に致しますので楽しみにして頂ければと思います。(伊藤)
「ボランティアの入口」 その1 築地 洋一
長機会の記事や年賀状の便りをみると大勢の方が多様な定年後生活をしていることが窺えます。私も地味ではありますが、
いくつか活動をしています。その経験から、これから活動を始めようとする方達へのエールとメッセージをお届けしようと
思います。
メッセージというのは、ボランティアなど何か人のお役に立とうとする場合、あるいは自分の趣味で活動を始めようとする場合
でも、最初の入口というか「関門」があって、それを乗り越えなければ前に進めないことが多いということです。
仮にボランティアの場合でも、よく来てくれましたと諸手を挙げて歓迎されてフリーパスになるとは限りません。しかし
われわれ長機会の会員はそういう時の突破力が持ち味だと思っています。
ここでは私の拙い経験でちょっとした「関門」をどうくぐってきたかというお話をしてエールとします。これが何かのお役に
立つとよいのですが。
私は65才で定年後直ぐに群馬県高崎市に移住して今まで約15年間、
3つの活動を中心にして来ました。
① 最初から今まで続けているのが、大学の聴講です。
② それと平行して最初の10年間は、民事調停委員や司法委員として、
高崎の裁判所のボランティアしていました。それが75才で定年に
なりました。
③ 今は高田馬場の日本点字図書館で、視覚障害者のために本を読む
「音訳」のボランティアをしています。
最初に、これら3つを始める時にどんな「関門」があって、どう突破したかを
お話します。その後でその3つがどんな活動なのかということを10月号で簡単に
お話します
(最近の築地様 高崎のご自宅にて)
① 大学の聴講の場合は、日大文理学部の社会人聴講生の受け入れ面接が「関門」でした。希望科目は地球科学と生命科学
でした。試験官の一人は物理学の教授で、「あなたは文系の出身ですが、微積分などはついて行けるのですか?」との厳しい
ご質問。「物理の先生に聞かれて大丈夫ですとは言い兼ねますが、一応はやっています」とか、そこは冷や汗を隠して平然と
にこやかに反論の筋を考えていました。その膠着を破ってくれたのが同席していたドイツ語の教授で「純粋物理の講座ではない
ので一度努力してもらって結果をみるということでどうでしょうか」 この助け船で一応合格しました。
時間を使って粘っていると新しい局面が開けるというずるい智慧ですね。これが社会人。
②民事調停委員の場合は、まだ東京にいる時に東京地裁に申請書を出したのですが、地裁の事務長という人から「既に
充足していますので残念ですが採用できません」とすげなく言われて終わりました。ここで諦めて他の道に行くことも考え
ましたが、まてよ、移住先の高崎の裁判所に申請してみようと思い立って、申請書を書き直しました。今度は、自分がなぜ
調停委員としてお役に立つと思うか力説した(誇張した?)我ながら名文(迷文?)を作って持参しました。しかし高崎でも
充足していますと言われ、一応書類は見て下さいと頼んで東京に戻りました。
すると翌日「裁判官がお目に掛かると言っておられます、直ぐ来て下さい」という電話がありました。その翌日裁判官と
いろいろお話をして、採用となりました。
なかなか諦めない気持ち(なんとかなるんではないかという楽観的な気持ち)と自己PR文書のお陰だったと思います。
ダテに会社員をやっていたのではないので、採否のポイントはなにか、自分の動機と能力をどのように説明するか、
そして評価させるかという手練手管(ちょっとズルイかな?)では負けません。
③音訳(視覚障害者のために本を読むボランティア)の場合は、高崎市立図書館に申請をだしたところ、採用の制限年齢は
60才までです、といとも簡単に断られました。そのとき私は75才でした。そんなものかなと思いながらネットで
検索すると、この分野の総本山は高田馬場にある日本点字図書館(今では点字だけでなく録音図書が主流)だと判りました。
そこに電話して係の人につないでもらったら、採用制限年齢は65才、活動の定年は75才とのこと。75才の私が受験する
というのは相当の無理筋ではあります。ただし私が希望する、法律・科学・商業文・英文などの分野は読む人が少ないので、
時には例外もある。お約束はできないが講習を受けた後で日本点字図書館の試験に合格してから、改めて採用の可否を話し合
おうというお話でした。あとでわかったのですが、この人は図書制作の部長さんでした。それから朝日カルチャーセンター
(新宿)の講座を2年間にわたって受講しました。「初級」講座が週1回1年間、「処理」講座は月1回1年間、「応用」講座
も月1回1年間。
1年目の終り頃、日本点字図書館の対面朗読の募集があり先生に相談したところ、先生が担当検査者に「この人は年齢という
理由だけでは落とさないで下さい」と言ってくれていたので合格し、音訳の活動を始めました。講座がすべて終了した時点で
録音図書製作のうち「びぶりお工房」という自宅録音の部門を受験して合格しました。ここではもう一人の講座の先生が、
この人は役に立つと熱弁をふるってくれました。このように多くの方の応援を受けて音訳活動をすることになりました。
また、諦めない気持ち、何とかなるのではという気持ちも通じたと思います。
歳をとるとやることは段々たどたどしくなります。しかし一生懸命にやっていると何かしら解決の道が開ける、救いの手が
来る(呼び寄せる)というのは仕事でも定年後の活動でも同じだと思います。そうやって、自分が是非やりたいと思っている
ことをやらせくれる日本の社会をありがたいと思います。また少しでも世の中の為になりたいという気持ちは楽しい定年後生活
の支えになってくれると思います。みなさんもそうだと思いますが、私もおよばずながら非常に楽しい定年後の生活を送って
います。どこまで健康寿命があるのかわかりませんが、許されるならば永いこと続けたいと思っています。
私はこの他にいくつかの異業種交流会や学校・職場のOB会に参加しています。こういう会はメンバーの高齢化や学校・職場
の組織変更によって解散することがよくあります。私の場合では小中高校はいずれも統合や一貫校化などで消滅し、大学だけが
元通り残っています。職場の元の組織もご承知のとおりどんどん替わっています。異業種交流会も残っているのはわずかです。
歳をとってくると活動したり参加することが体力的・精神的・経済的にも負担になり、億劫に思うことがあります。
しかし会のほうはこちらの意向にかかわらず自動的に減ってゆきます。歳をとって身辺を整理することは大切ですが、億劫だと
いう理由で縮小することは避けて、続けられる限り活動や人との交流を続けて社会とのつながりを持ち続けることは楽しい
定年後生活の大きな支えになると思います。
こういう活動に興味をもっておられる方に10月号で簡単な活動の紹介をします。(続く)