皆様からのお便り 「人工股関節置換手術体験記」 緒続真人様

 緒続様よりご自分の人工股関節置換手術の経験をご紹介頂きました。中々自分の病気を外に出す事は躊躇しますが
貴重な経験談をご投稿頂き感謝申し上げます。是非参考にしてより良い人生にして頂ければと思います。【伊藤】  

     人工股関節置換手術体験記    緒続真人   

 昨年の秋のことになりますが、長崎大学病院で人工股関節置換手術なるものを受けました。
 手術はうまくいき、手術から3か月を経過した現在、問題を抱えていた(左側)股関節は、痛みや違和感から完全に
解放されました。 
 階段の昇降、傾斜のある道路の歩行も問題なく、水泳、テニスの壁打ち練習も始めているところです。諦めていた
ゴルフも再開できそうで、季節がよくなるのを楽しみにしています。
 年相応のことが何でもできるようになったことで、残りの人生を精一杯楽しめるようになったのです。
 私に、こんな喜びをもたらしてくれたのが、この「人工股間節置換手術」なのです。

 本手術は国内で年間6万件にも及ぶ事例があり、今世紀中、最も成功した整形外科手術の一つと言われ、まさに、
医学の進歩のなせるものといえます。
 そこで、この手術体験を自分だけの思い出で終わらせるのではなく、これを語ることにより医学の目覚しい進歩の
一端を皆さんと共有いたしたく思った次第です。
 また、知人、友人(もしかしてあなた自身)のなかに、この手術に関心がある人がいれば、私の体験記は大いに
参考になるものと思います。

1.「人口股関節置換手術」とは
 まずは、人工股関節置換手術とは、どんな手術なのかを話しておきましょう。これは、従来備わっている
(親から授かった)股関節をチタンやセラミック、テフロン等でできた人工の股関節と、そっくり取り換えてしまう
手術のことです。次の図でイメージしてください。

                (これをクリックすると引用資料全体が見れます)

 物凄く大掛かりな手術であることがお分かりいただけると思います。股関節は歩行という人間の動作の根幹を
なします。
 股関節には通常歩行時は体重の2倍、階段を昇り降りする時などは3-4倍もの荷重を受けるといいます。そして、
左右のバランスをとりながらスムーズに動くことが不可欠です。
 従い、手術においては、切断・切除や、交換するパーツの組立やアライメントは寸分の狂いも許されません。まさに、
熟練した執刀医の技と関連スタッフとのチームワーク、ロボット技術や3次元画像解析等の最先端テクノロジーとの
コラボがなせるものといえます。

2.手術を受けるまでの経緯
 5-6年ほど前になりますが、歩行時、股関節に違和感を覚え、近くの整形外科を受診しました。レントゲン検査の
結果、「変形性股関節症」と診断されました。
 これは股関節の接触部を覆う軟骨がすり減り、摺動が、スムーズにいかなくなる疾患です。原因は先天的なものも
含め諸要因がありますが、私の場合、加齢により、この軟骨がすり減ったのが原因とのこと。この軟骨を再生する
ような治療は、今のところない、とされています。
 私が初めて診察を受けた時点では、歩行自体にはまだ、大きな障害もなかったことから、半年に一回程度診察を
受けながら状況を観察していくことになりました。
 その後、時間の経過と共に、長歩きすると、痛みを感じるようなことが出現し始めました。時としてびっこを
ひかなければならいないようなときもあり、その頻度も次第に高くなっていきました。このままでは痛みは常態化し、
早晩、日常生活に異常をきたすのでは、との不安がつのりました。
 このなかで何か打開の道はないかと、模索していたところ、「人工股関節置換手術」なるものがあることを
知りました。集めた情報には、本手術による、症状の劇的な改善事例が満載されており、すっかり、これに傾倒される
ことになりました。
また、人工股関節には術後15年から20年とされる耐用期間(寿命)がある、ことも知りました。
当時の私の年齢が70歳前半でしたから、少なくとも90歳近くまで、うまくいけば90歳を越すところまでは持つこと
になります。ここまで持ってくれれば、十分です。
 一方、手術を遅らせ、その分の年齢を重ねれば、体力自体が、この大手術、その後のリハビリに耐えられなくなる
恐れもあります。もう、これで決まりです。 「いつ手術を受けるか、今でしょう!!」
 早速、掛かりつけの整形外科にこの手術を受けたい旨、話ししました。ここで私の固い決心と強い希望を汲んで
長崎大学病院を紹介してくれました。
 長崎大学病院では、厳しい手術適合審査(問診、内科も含むかかりつけ医への照会等)を経て、手術は2021年10月
16日と決まりました。かくして、股関節痛が置換手術という究極の解決策が現実になったのです。

3.手術の状況
(1)採用された麻酔方法
 それでは、この手術がどんなものだったか、ということを述べておきたいと思います。これを語るには、手術に際し、
どんな麻酔が使われたかを述べておかなければなりません。こんな大手術、当然ながら全身麻酔であるものと信じて
いました。(同手術経験者の多くの体験談にも、そうあった)ところが、私の場合、「脊髄くも膜下麻酔」という、
背中からの注射による局所麻酔が採用されることになったのです。
 全身麻酔との比較では一長一短があり、私のおかれている(年齢、持病等の)条件を総合的に勘案し、決定された
麻酔が、これだったのです、

(2)麻酔開始
 そして、愈々手術の時を迎えました。手術台に横たわって見渡す視界は狭く、手術室に医療スタッフが何名ほどいる
のか、よくわからないものの、様子からは8名くらいはいたと思います。脊髄への注射・・・さぞかし痛いだろう、
と覚悟していたものの、その注射自体が痛くないようにその箇所近傍に小さい注射が打たれ、何事もなく終わりました。
ややあって、麻酔チームスタッフは氷の入った袋を私の皮膚のあちこちに押し当てます。
 そのたびに「感じますか」と質問され、麻酔の効き具合を確認します。生半可な返事をしていたら、手術で痛い思い
をすることになり、私も真剣です。
 私が何も感じなくなったことを見極めたのち、麻酔完了のサインが執刀チームに送られた気配を感じました。

(3)手術本番
 全身麻酔ではないから、意識はそのままです。会話は聞こえます。器具や工具類を確認中なのか、これらが接触する
ような金属音も聞こえてきます。でも、この聴覚は薄れ、次第に意識も朧げになっていきました。
 手術中は軽く眠った状態になるよう睡眠薬(安定剤)が点滴を通し投与されるようで、これが効いてきたのでしょう。
でも、完全に眠っていたのではありません。事実、手術中数回、意識が戻っています。そのうちの一つは、見ている夢
のなかで、停電発生(の夢)があったのです。手術中なのに大変だ、と慌てまくり、そして「夢なんだ」気づき、
安心したことは、しっかり記憶しています。そのとき、何かを私の体に打ち込む感覚がありました。
 これは、かねてより想像していた工具類を使っての手術のイメージが脳内に潜在し、現実とは無化関係に現れただけ
であったのかもしれません。

(4)手術完了
 意識が戻った(完全に目が覚めた)のは手術関係スタッフがが解散する雰囲気を感じたころでした。執刀した主治医
の先生が耳もとで「緒続さん、お疲れ様、うまくいきましたよ」との声がきこえました。
 「ありがとうございました」と言わなきゃ、でも、声がかすれ、思うように声は出ません。手術室から病室に運ばれ
ベッドで病室に戻り、ベッドで一息ついたころ、主治医の先生が訪問、術後のレントゲン写真をみせながら手術の状況
や結果を説明してくれました。
 「左右の脚長をぴったり揃えるのに手間取り、30分ほど時間が余計にかかったが、その手間の甲斐あって、狙った
精度に収めることができました」と、満足の表情でした。

右下の図がその時もらったレントゲン写真のコピーです。【手術直後のレントゲン写真で 右側に白く写るのが人工股関】
 確かに骨盤と大腿骨が「人工股関節」でしっかり繋がっており、これで、すべてが終わったことを悟りました。

これから一生、この股関節と共にいきていくのか、また、これが火葬場で焼かれても燃えないで残るのか、と, ちょっと感傷的な気持ちにもなりました。

4.術後の状況
(1)術後の痛み
 これまで集めた情報のなかでの体験者の話には、術後、麻酔がきれてから
の辛さが多く寄せられており、覚悟はしていました。
 ところが、予想していたような眠れないほどの痛みが襲ってくることは
ありませんでした。でも、さすがにその夜は術部にズキズキするような鈍い
疼きはあり、なかなか寝付けず、ベッドで悶々としたあげく読書で気を紛ら
わせ、やっと朝を迎えることになりました。

(2)歩行開始
 一夜明け、朝食を終え、ややあってから、看護師が歩行器を病室に運んで
くるではありませんか。看護師の介助によりベッドから脚を下ろし、床に立
ち、歩行器移動、胴体を入れ、両腕を歩行器側面にのせ、体重を腕でしっかり支えました。
 看護師は「(手術をした)左側の股関節にも全体重をかけていいですよ」と言い、歩行を促すのです。
 これには驚きました。臀部の皮膚を切り裂き、筋肉の合間を押し広げ、大腿骨の一部を切断し、人工骨頭
打ち込むといった凄まじく身の毛のよだつようなことがなされたばかりの股関節なのです。
 これを、実際に動かすのですから、医師の立ち合いのもとに、慎重に行われるべきもののはず、それが、
ごく当たり前というように、若い看護師だけに任されているのです。歩行器に掴まり恐る恐る歩いてみました。
 なんと、その股関節には、痛みを感じないのですこれには驚き、感動しました。以降、歩行器を使用することを
条件に室内は(点滴のチューブに繋がれてはいるものの)自由に歩くことが許されました。
 その後、数日間、理学療法士による歩行やマッサージのリハビリが行われました。同時に、採血検査を中心に術後の
状況が観察され、経過が順調であることが確認されていきました。

5.リハビリの為の転院とリハビリ専念
 この時点で、長崎大学病院での人工股関節置換手術医療は、ほぼ終えたとみなされ、今後、別の場所でのリハビを
継続するべく転院の話し合いが行われました。
 結果、転院先病院は長崎近郊(長与町)の徳洲会長崎北病院となりました。そして、術後11日目となる10月25日に
長崎大学病院から移動しました。
 当院は、その年(2021年)の5月にオープンしたばかり、回復期リハビリ専用病棟を有する総合病院です。この真新
しい施設と最新の設備のなかで(特記はインタネットが病室・病棟全域で利用可)、優しい医療スタフに囲まれ、快適な
入院生活を送ることが出来ました。

6.最終退院と日常生活復帰
 ここでのリハビリも順調に進み、約3週間後の11月18日には退院することが出来ました。
 こうして、長崎大学病院での手術からほぼ1か月を経て、自宅に戻りでいつものベッドで寝起きするという通常生活
への復帰がなりました。
 以降、翌日から車を運転し、スポーツジムへ通い、リハビリの為にプールでの水中歩行を日課とし、無理のない範囲
で歩行し、距離も延ばしていきました。

7.結び
 こうして3か月を迎えたところで纏めたのがこの体験記であり、回復状況は、冒頭に述べている通りです。
 老いても、積極的に活動できるように、との思いから、自らの強い意志で決断・選択した手術でした。
 「自分の今の過ごし方はその時の思いに沿っているか」
 このことを常に問いかけ、あのとき手術しておいて本当によかった、と思える生き方を目指したいと思います。