ダンス. (伊藤一郎様)

 

■ダンス

〇伊藤 一郎 様

ラストダンスin長崎 ~ 社交ダンスの想い出とコロナ禍   2020.11.01

1.社交ダンスとの出会い
 私が社交ダンス(現在は正式には「ボールルームダンス」と言いますがここでは分かりやすく「社交ダンス」と言います)を
始めたのは1983年2月で長崎・鍛冶屋町にスタジオがあった「長崎ダンスアカデミー」(令和2年12月末に閉鎖)に夫婦で
通い始めたのが最初です。あれこれ37年間習っていました。とは言っても海外出張や海外駐在(メキシコ、コロンビア、米国)
もあり、また10年前には東京に移動しているので、継続的なキャリアがあるわけではないですが、今や自分の人生でゴルフと
並んで一番長い趣味になっています。
 そもそも何故社交ダンスを始めたかと言えば、メキシコで語学留学中に有名な観光地アカプルコに旅行に行った際、
死のダイビング(ラ・ケブラ-ダ)で有名な湾にあるレストランで食事している時、野外のダンスステージで多くの外国人が
夫婦や友人同士で踊っておりました。我々日本人は指を加えてみていただけですが、その最後に「ラストダンス」のコールが
あった際、その大勢いたカップルの中から皆で目配せして一組の白髪老人夫妻だけがステージに残されて「ラストワルツ」の
音楽と共に本当に仲睦まじくワルツを踊り、周りのお客様からから大変な拍手喝采を浴びたのを見た時の衝撃的な印象が動機
でした。その時外国で働くには「常識」としてダンスが出来ないといけないと思いました。
 その後長崎に戻り上記スタジオの門を叩いた次第です。主宰者の青木信之先生との出会いがその後社交ダンスを生涯スポーツ
として続けるきっかけとなりました。青木先生は後に日本ボールルームダンス協会の九州総局長や全日本クラスの審査員として
活躍されている方で、本当にダンス技術に優れているだけでなく人柄も明るく親身になって対応してくださり、女房と一緒に
習い始めてから今日に至るまで心のおける家族の一員のような関係を続けております。長崎での貴重な先生であり、友人です

2.社交ダンスを通じての長崎での想い出
 社交ダンスは日本では歴史的に明治初期1880年台の鹿鳴館時代から社交の手段として欧米諸国と交わる必須科目でその後
長く戦後復興期には庶民の趣味として広く流行っていましたが昨今は若者がヒップホップやシュートダンスなどの速いリズムで
自由に振付ができるダンスに人気があり、社交ダンスを習う若い人も少しは増えていますが決まったステップで踊るダンスは
今や高齢者の老化防止の「趣味」として広まっていると感じます。私が始めた当初はまだ若い人も多く、勤務していた
長船機械営業部の新入社員なども興味ある若者がいて、その内二人の部下をスタジオのグループレッスンに連れて行ったら、
なんと二人ともその中の女性とその後結婚して、私が二人の結婚式の最初に「愛のキューピット」で挨拶することになったと
いう事もありました。我々は毎週土曜日の夜に夫婦で青木先生に個人レッスンしてもらい、ご指導のお蔭で色んな大会で常に
決勝に残ることができました。優勝した時の喜び、皆さんからの応援の声援は今でも心に残っています。

             2010年 長崎県大会に出場した際に長崎新聞で掲載された写真

3.社交ダンスは生涯楽しめる効果的なスポーツ
社交ダンスはルンバやサンバなどの「ラテン」とワルツやタンゴなどの「スタンダード」の2種類がありますが、私と女房は「スタンダード」をメインにペアー組んでいます。
社交ダンスは非常に健康に良いスポーツでその効用は、
(1)姿勢が良くなる。踵から腰、背骨、首、頭まで真っ直ぐ立つことが基本。
(2)音楽に合わせてRise&Fall(アップダウン)する上下動の激しい屈伸運動で体力増強に非常に役立つ。
(3)ステップを覚えて踊るので「ぼけ防止」に良い、
(4)後ろ向きに下がって移動するステップで踊ることがあるので脳の活性化になる。特にパートナーの女性は殆ど後ろに
下がるステップで踊る。
(5)人前に出るので自分を美しく見せながら度胸がついて自閉症など無くなる。
など数多く今は文科省で100歳まで出来る生涯スポーツの一つと位置付けられています。

3.社交ダンスの盛衰とコロナ禍
 1996年に大ヒットした映画「Shall We ダンス?」で日本でも社交ダンス人口は増え、2004年に同じストーリーが米国にて
映画「Shall We Dance?」でリチャードギアとジェニファー・ロペスの競演で世界的なヒットになり、そのころは長崎でも
社交ダンスは流行っておりました。
更に2012年ロンドンオリンピックに社交ダンスが競技に入るか議論されていた頃が頂点だと思いますが、時代の流れで次第に
ダンス人口は減り、長崎での中心的スタジオだった長崎ダンスアカデミーも先生と生徒の高齢化が進み、残念ながら昨年12月
に37年続いたスタジオを閉じることになりました。
その「Farewell Party」をホテルニュー長崎で昨年12月1日行なうにあたり、東京に居る私たち夫婦にも出演と生徒代表の
挨拶の依頼が来て、にわか仕込みで練習して二人でタンゴを踊らせてもらい生徒代表として挨拶させてもらいました。
今となればコロナが来る前で、長崎生活での忘れられない「ラストダンス」の想い出となりました。
 それに加え今年に入ってからのコロナ禍で、社交ダンスはコロナ感染の拡大と相まって,非常に厳しい状況に置かれています。
東京では各駅前にある多くのスタジオは三密の典型で、営業を中止しているが多いと聞いております。
 音楽に合わせて、人と人との接触で気持ちを伝え同調したステップで踊る社交ダンスが今後コロナ時代にどう生きて行くのか
心配で、このまますたれて行くのは残念でならない気持ちで一杯です。
「社交界の華」とはならないまでも人生100年時代で「生涯スポーツ」の一つとして堂々と二人が踊り、拍手喝さいを受けることが出来るように、コロナが早く完全に収まり、思いっきり踊れる日が来ることを祈るばかりです。

上 ;筆者夫婦で踊った長崎での「ラストダンス」(タンゴ)
下 :出演者との集合写真 前列右から5番目が筆者女房、中央 右端が筆者、右から5番目が青木先生(主宰者)

 

伊藤一郎さんから、楽しい投稿をいただきました。文章もリズム感があり、さすが、ダンスは良いですね!(事務局)2019.10.01

Shall We Dance ?
   結婚した1980年から2011年まで長崎に31年いましたが、沢山の思い出と多くの出会いに恵まれ、私の第二の故郷となりました。その中でも一番の財産は東京から一緒に来た女房と二人で趣味として始めたボールルームダンス(所謂社交ダンス)です。
 長崎市内鍛冶屋町にある「長崎ダンスアカデミー」の青木信之助先生(のちに日本ボールルームダンス連盟九州総局長となられました)の親切で熱心な指導のおかげで長く続けることができました。
 今でも顔を出すと笑顔であたたかく迎えてくださるのは非常に嬉しい限りです。
 長崎県や九州での競技会や発表会にも出るようになり、1997年には九州大会アマチュアノービス部門で準優勝するまでになりました。社交ダンスはステップを覚え、音楽に合わせて踊るだけでなく、相手へのリードも身体の中心からの微妙な動きで次の動きを伝える必要があります。
 体幹を意識して姿勢よく動くというのが、もう1つの趣味のゴルフと共通していると思っています。
 
 社交ダンスは、体力増進だけでなく、足腰も鍛えられ、姿勢もよくなり、特につま先立ちになったり、後ろに下がったりする運動はボケ防止、老化防止にも大変役立ちます。社交ダンスやっている人は皆さん姿勢がよいせいか、周りの人より若く見られる人が多いのではないでしょうか?
 また二人で踊る ので、けんかもありますが、相手への思いやりも大切になってきます。 
 特にクルーズ客船に乗れば昼はダンス教室もあり、夜には多くのダンスファンが集まるので楽しみの一つです。
 年齢に応じて踊ることができる生涯スポーツとしての社交ダンスを皆さん今からでも始めてみませんか? 伊藤一郎