長船よもやまばなし 『長崎っ子もビックリ!小菅修繕場の威力」』

1867年4月、パリ万博が開催します戊辰戦争開始(1868年1月)の直前で、この博覧会に幕府と薩摩そして肥前が出展します。
「我こそは日本の代表なり」と世界へ正統性を訴える駆け引きです。この時、薩摩のパリ博代理人がモンブラン(ベルギー貴族でフ
ランス国籍シャルル・ル・モンブラン伯爵)でした。
彼は、薩摩主導の小菅修繕場の建設計画にも携わります。しかし、トーマス・グラバーの介入で、モンブランは計画より追い出され
てしまいます。その後、この設備の75%がトーマス・グラバーのものとなり、明治2年3月、12万ドルで明治政府に売られます。トーマス・グラバーが得た利益は粗利175%(投資金額の1.75倍ということか)なったとのことです。      牧浦記」
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