皆様からのお便り 『増田さんと花田さんの思い出』 藤川卓爾様

増田さんとの思い出は長機会7月号に書きました。花田さんとは、私(牧浦)は会社時代、お話する機会はありませんでした。親しく声をか
けて頂いたのは、2008年、私が長崎代表として長機会総会で講演した時だと思います。「君は歴史に興味があるようだな。この本は面白いぞ。君にぴったりだ」とノートに書いてくれた本は『日本近代技術の形成』(中岡哲郎著)でした。
花田さんは最後まで本の虫だったと伺っています。藤川さんが病床に計算結果をもってお見舞いする。さらに質問するお姿が想像されます。

ところで、紹介された本は、本棚の目立つところにあります。沢山の付箋紙を貼っています。その付箋紙も今も増えていくばかりです。
                                                      「牧浦記」
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増田さんと花田さんの思い出
                                                 藤川 卓爾

今年6月に増田信行さんが亡くなりました。また令和元(2019)年12月に花田公行さんが亡くなりました。お二人に共通するのは
長船第一工作部長と本社副社長を歴任したこと、お名前の漢字4字中2字(「田」と「行」)が同じということです。私は入社以
来設計部門に勤務していましたが、平成6年4月から平成8年3月まで第一工作部長を拝命しましたので、私にとってお二人は大先
輩です。

増田さんとの出会いは、昭和56(1981)年1月に海外タービンメーカーの工場視察でご一緒したときです。当時の第一工作部の永
石部長と増田次長、組立課の花田課長の3名がアメリカのウェスチングハウス社とイタリアのフランコ・トシ社とスペインのバサ
ン社のタービン工場を視察しました。設計から誰か付き添えということで私が同行しました。


増田さんは第一工作部の第一機械課で大型プラノマティックを導入しました。それまではタービン車室の平面部はフライス盤、円
周部は中ぐり盤、穴はボール盤と別々の機械に乗せ換えて加工していましたが、大型プラノマティックでは1台の機械で平面加工
も円周加工も穴加工もできるようになりました。
第二機械課ではFMS(フレキシブルマニュファクチャリングシステム)を導入しました。自動工具交換式の多軸NC工作機械と搬送
ロボットによって、ねじり翼などの複雑な形状の翼を24時間無人運転で加工できるようになりました。
平成7(1995)年6月に社長に就任され、9月の長船来所時に第一工作部にも来られました。

花田さんは組立課でタービンの重要部品であるロータの製造担当でした。ロータ完成後の高速バランス試験で軸振動が大きくなる
ことがあり、私は呼び出されて徹夜でバランス調整をしたことがあります。長船副所長就任後も時々タービンのことについて電話
でご下問がありました。関東では第一工作部首都圏OB会があり、私も横浜に移ってから何回か新年会に出席し、増田さんや花田さんをはじめ多くの先輩、後輩とお話ししました。残念ながらコロナ禍以降は開催されていません。


花田さんが平成30(2018)年の秋に入院された時、病院から電話がありました。タービン車室の保温の厚さと停止時の車室温度降下の関係についてEXCELでシミュレーション計算をした結果を持ってお見舞いに行きました。それから1年余りして亡くなりました。
増田さんは一昨年の長機会総会に出席され、お帰りの時にタクシー乗り場までご一緒したのが最後でした。
改めてお二人のご冥福をお祈りいたします。


                         
                                    以上