皆様からのお便り 『玉井幸久様の百歳を祝って』 菱田正志様


これは、菱田さんが『玉井幸久様の百歳を祝って』で総会でスピーチしてくれた原稿を編集したものです。
菱田さんのスピーチを聞きながら、30代当時、「君たちは世界に幸せを届けるために行くのだ』といわれて、誇りをもって海外の現地に出向いたこ
とを思い出しました。全ての国で「素晴らしい発電所を納めてくれてありがとう」と感謝の言葉がありました。

発電所の濫觴は、一枚の白い紙と一本の鉛筆、そして設計者のアイデア。現役時代は建設部という製品の最終段階で仕事をしていた私にとって製品の
始まりは、全く想像のつかない世界でした。
一枚の紙と一本の鉛筆を使ってエネルギーの世界を変えてきた玉井さんたち。歴史を辿る時、その歴史をを作った人たちはほとんど鬼籍に入っていま
す。エネルギ‐の世界を変えてきた玉井さん、百歳となって今も身近に元気でいる。自分も、エネルギー社会に貢献した一員のような気分になりまし
た。                                                         「牧浦記」
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 『百歳を祝って』
                                                   菱田 正志

菱田です。昭和52年入社で、長崎は2005年から4年ほどの短い期間でしたが原動機の受注部隊の事業所配置に伴い原技センターから異動し火プ設部、ボ技部、火プ計部で勤務し、その後本社横浜ビルで勤務、定年後の雇用延長期間中では日立のボイラ部門との統合業務やバイオマスガス化ジェット燃料合成プロジェクト等に携わり2020年まで勤務しました。

今回、馬渕さんより、玉井さん100歳を祝いボイラ設計先輩へ一言述べよとのご指示有りました。私が入社したのは昭和52年、田町の原動機第一技術部に配属されると、当時としては多分珍しかったと思いますが部長室から各課まで仕切りなく見通せるワンフロア―配置で、JR側の窓側には年配の3人が扇型に並んで座っておられ真ん中に飯田部長、両側に構えていたのが玉井さんと宇治田さん、要は長船と神船を代表するボイラ屋が並んでいたわけです。
そんな訳ですから実際の仕事でのお付き合いはここに居られる方々の方が濃いと思いますので、一言述べよと言われて受けたものの、さてどうした物かと悩みました。

玉井さんの足跡を辿るには何か文献が無いかと探した所、昭和55年発行の火原協の協会誌に『ボイラ技術の歩み』というタイト
ルで何と玉井さんと宇治田さん共著で53ページに亘り昭和20年代からの火力発電技術の進歩を主にボイラの視点から纏めた資料
が見つかりました。

       48年経っても変わらぬ玉井さん  前列左から二番目玉井さん、後列右から三番目 筆者菱田 
                                         昭和52(1977)年撮影


私は昭和52年入社で現在73歳、玉井さんが100歳ですから引き算しますと玉井さんは昭和25年以前の入社と思います。戦後の混
乱から丁度火力発電を取り巻く環境が大きく変化する中で入社され、その後の火力発電の急成長の真っ只中を先頭に立って歩ま
れたことになります。
そこでその資料に沿って玉井さんをはじめ皆様が将来を見越した技術開発に奮闘された様子を想像してみようと思います。

    昭和25年  今の火力原子力発電協会、火原協の前身の火力発電研究会創設
    昭和26年~ 欧米諸国メーカーとの技術提携
   (昭和29年  火力発電技術協会発足
    昭和30年代 水主火従から火主水従へ変化し、火力発電急増。燃料が石炭から重油へ、

そして大容量、高温高圧化へ。出力40MW級から250MW級へ。
圧力60kから169k、温度480℃から566℃、 非再熱から再熱へ。 

    昭和40年代 超臨界圧ユニット1000MWユニット登場。GTCC実用化
           SOx、NOx公害対策自主技術開発
           大型化に伴う日本特有の耐震設計制御技術 

オイルショック、原油価格高騰に起因する燃料多様化 石炭ガス化、COM、石炭液化、等新技術開発加速輸出案件急
拡大へ
    昭和50年代 大容量超臨界圧変圧運転ユニット
            燃料多様化加速

この資料は昭和55年当時までの火力発電の展開を支えた玉井さんをはじめここに居られる皆様の苦労を物語るものと思います。
そしてこの資料の中で繰り返し強調されているのは、自主技術の基盤、将来を見据えた技術基盤が有ったからこそ機会を生かし
急成長をなし得た、という事でした。私などはその時その時精いっぱいでしたが今の現役の皆さんが読み返しても良いかなと思
いました。

本来、ここで漢詩を読まれ後輩に檄を飛ばされる場にしたかったのですが100歳祝賀会が続くので連日はきついとの事で僭越ながら私が、玉井先輩の歩みとボイラ技術の歩みを重ねてご紹介させて頂きました。
                                  
                                                    以上