長船よもやまばなし『スクラップ寸前だった『竪削盤」』
長崎海軍伝習所(安政2年10月開設)の総取締役永井玄番頭尚志(なおのぶ)は長崎製鉄所の建設を決め、安政二(1855)年11月にオランダに発注します。
発注された機械や資材類は二年後の安政4(1857)年6月に長崎に到着し翌年の安政5年3月ごろから荷解きが始まります。発注時の資料は蒸気器械一具あるいは二具とおおざっぱで、製鉄所を知らない幕府は全てオランダ側に詳細を任せていたものと思われます。
現在、史料館にある「竪削盤」には“NSBM FYENOORD 1856"の銘板がありオランダFYENOORD(地名)のNederlandsche Stoomboot Maatsschappiji(NSBM蒸気船会社)社で日本からの発注に基づいて製作されたものであることが分ります。
製鉄所の拡張のためNSBM社に「竪削盤」がもう一台発注され元治元(1864)年に到着しました。しかし、長崎製鉄所の拡張計画は中断(立神ドック建設中止)された為、島津藩に転売され、その後福岡県深川造船所を経て、若松車輛会社移設されます。平成10(1998)年まで現役で稼働し続けます。恐るべきオランダの工作機械の寿命です。“NSBM FYENOORD 1863"の銘板をつけたこの竪兼削盤は、現在、上野の国立科学博物館に展示されています。
「牧浦記」
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発注された機械や資材類は二年後の安政4(1857)年6月に長崎に到着し翌年の安政5年3月ごろから荷解きが始まります。発注時の資料は蒸気器械一具あるいは二具とおおざっぱで、製鉄所を知らない幕府は全てオランダ側に詳細を任せていたものと思われます。
現在、史料館にある「竪削盤」には“NSBM FYENOORD 1856"の銘板がありオランダFYENOORD(地名)のNederlandsche Stoomboot Maatsschappiji(NSBM蒸気船会社)社で日本からの発注に基づいて製作されたものであることが分ります。
製鉄所の拡張のためNSBM社に「竪削盤」がもう一台発注され元治元(1864)年に到着しました。しかし、長崎製鉄所の拡張計画は中断(立神ドック建設中止)された為、島津藩に転売され、その後福岡県深川造船所を経て、若松車輛会社移設されます。平成10(1998)年まで現役で稼働し続けます。恐るべきオランダの工作機械の寿命です。“NSBM FYENOORD 1863"の銘板をつけたこの竪兼削盤は、現在、上野の国立科学博物館に展示されています。
「牧浦記」
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