長船よもやまばなし『 「身投岬」のいわれ』
下記のよもやま話にでてくる伊藤小左衛門が黄金島(長崎の古地図ではハダカ島と記載)で処刑されたのが江戸寛文7(1667)年11月
のことである。話はそれから200年後の事だ。
万延元(1860)年4月に長崎製鉄所の敷地にとなっていた黄金島(今の飽の浦タービン工場)に船舶標識の燈籠を設置しようとして
工事をしていたところ、地中より骨と櫛がでてきた。夢で近くにもう一つ男の骨が埋まっているのでそれも掘り出して私と一緒にし
て下さいとのお告げがあり、掘ってみると、確かに男の骨が出てきた。
これは、磔にされた伊藤小左衛門と岩瀬道から身投げした遊女定家だと、櫛と出てきた骨雄ひとつにして近くの梧慎寺埋葬した。梧
慎寺境内にある「比翼塚(ひよくづか)」が二人を埋葬した場所だと言われている。 「牧浦記」
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のことである。話はそれから200年後の事だ。
万延元(1860)年4月に長崎製鉄所の敷地にとなっていた黄金島(今の飽の浦タービン工場)に船舶標識の燈籠を設置しようとして
工事をしていたところ、地中より骨と櫛がでてきた。夢で近くにもう一つ男の骨が埋まっているのでそれも掘り出して私と一緒にし
て下さいとのお告げがあり、掘ってみると、確かに男の骨が出てきた。
これは、磔にされた伊藤小左衛門と岩瀬道から身投げした遊女定家だと、櫛と出てきた骨雄ひとつにして近くの梧慎寺埋葬した。梧
慎寺境内にある「比翼塚(ひよくづか)」が二人を埋葬した場所だと言われている。 「牧浦記」
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