皆様からのお便り 『ブラジルと日本人と三菱』 松尾英二(ブラジルCBC社長)様

ブラジルと日本人と三菱

                                                松尾英二
1.はじめに

CBCはサンパウロから北西に約70km離れたジュンジアイ市に位置しています。1955年ドイツのThyssen社によってミナスジェライス
州バージニアに創立され、今年で70周年を迎えます。三菱との関係は、1963年に三菱グループ3社、三菱重工(当時は三菱造船)、三
菱商事、三菱電機が同社から買収したことから始まり、南米最大のボイラ工場として、これまで数多くのボイラや機器を収め、ブラジル社
会の発展に貢献してきました。現在のジュンジアイ工場は1976年に竣工し、現在に至ります。

               CBC全景(Jundiai市)

 

     左より:アマンジオ営業担当役員、松尾社長、ルイス設計・製造担当役員、立石総務・財務担当役員


私は、昨年4月にCBCの社長として着任し、ちょうど1年が経過したところです。ここに来るまでは建設部に所属し、国内・海外で火力発
電プラントの試運転、現地工事に携わってきました。主に中近東での仕事が多く、南米は今回が初めてです。
南米というと治安が悪いというイメージが先行してしまいますが(確かに治安は非常に悪いですが)、多くの日系の方が在住しており、我々
日本人にとって特別な国であることを感じています。今回は、ブラジルと日本、三菱の関係について、紹介したいと思います。

2.日本移民の歴史

1908年6月18日、最初の移民791人を乗せた笠戸丸がサントス港に到着しました。当時の日本は明治維新以降、特に農村部の生活が困窮
していた時代。一方、ブラジルは1888年に奴隷制度が廃止され、しばらくはヨーロッパ系の契約労働者により、労働力を確保していたも
のの、奴隷制度そのままの劣悪な労働環境からヨーロッパ系の移民が激減し、労働力不足に陥っていました。両国の思惑は一致し、国策と
してブラジルへの移民が行われていくことになります。ブラジルに行けば、日本の数倍の収入が得られる。そう信じて来た移民たちを待っ
ていたのは、厳しい現実でした。最初の移民が到着したのは、コーヒーの収穫が終わった頃で、また凶作も重なり、炎天下の中で朝から晩
まで働いても十分な収穫が得られませんでした。給与は収穫量に応じた歩合制の為、収入は少なく、生活用品や食料を農園の売店で買おう
とすれば、高値で売り付けられる。散々、働いて借金だけが残るという人も多かった様です。ブラジルは移民たちにとっては希望の国でし
たが、多くの農園主たちにとっては奴隷に代わる労働力でしかありませんでした。

 サンパウロにある旧移民収容所(現在は資料館)サントス到着の
 移民は一旦この収容所に入り各地の農場へと送られていった。
移民船として建造された「ぶらじる丸」貨客船12755総㌧
(ブラジル日本移民資料館) 昭和14年12月三菱重工業長崎造船所 建造


やがて、自分たちで農地を切り開き、自作農を始める人たちも出てきますが、ブラジルの大自然を相手に苦難が続きます。マラリアの流行
で村のほぼ半数の方が亡くなってしまうところもあれば、イナゴやアリなどの害虫により作物が全滅してしまうこともありました。大変な
苦難と多くの犠牲を乗り越えて移民の方たちは現在の地位を確立してきました。今では約200万人の日系人がブラジルで暮らしています。
今、私がこうしてブラジルで仕事をし、生活ができているのも、移民の方々の苦難の歴史の上に成り立っているものだと思っています。

3.東山農場と三菱

CBCから車で40分程度のところにFazenda Tozan(東山農場)というコーヒー農園があります。東山農場は1927年に岩崎家がポルトガル人
から4,356ヘクタールの土地を購入したことから始まります。ちなみに東山とは岩崎弥太郎の雅号です。
当時のブラジルの農業は、原始林を焼き払い、その土地がやせると新たに原始林を焼き払うといった旧態依然とした農業でした。東山農場
が目指したのは、やせた土地を回復させ、品種改良や栽培技術の改善によって適地適作を行う近代農業を定着させることでした。
初代農場長の山本喜誉司氏は、コーヒーの害虫駆除に天敵であるアフリカ産のウガンダ蜂を導入することで成果を収め、後にこの研究で博
士号を取得します。戦時中は敵国資産としてブラジル政府に接収されますが、農業の発展への貢献が認められ、比較的早い時期に返還が認
められました。

2005年に放映されたNHKのドラマ「ハルとナツ」ではロケ地にもなりました。ハルとナツは、ブラジルへ家族とともに移民した姉と、病
気(トラホームという目の感染症)の為に船に乗れず、ひとり日本に残された妹の半生を描いたドラマです。移民の方たちの当時の過酷な
暮らしぶりを知ることができるとともに、ブラジルに渡った姉、日本に残された妹の半生を通じ幸せとはなんなのかを考えさせられます。

東山農場は、現在でもコーヒーの栽培を行っています。週末には見学ツアーがあり、農園内を案内してもらえます。農場全体を見渡せる展
望台の屋根に三菱マークを見つけました。まさか地球の裏側で三菱マークを見ることになるとは。他のツアー客の皆さんに自分が三菱の社
員であることを少し自慢したくなりました。

サントスにある正覚寺下行の路面電車
  姉妹都市である長崎市から2016年に寄贈された。
各県からの移民数(ブラジル日本移民資料館)
 全ての県から移民として渡伯している。熊本、沖縄が多く、長崎
 からも5,703名の方が移民として渡伯した。


                                                       以上