『増田信行様を偲んで』


  「増田元相談役の思い出」               冨永明

ほんの少し前まではお元気にされていて電話でお話をしたばかりなのに、突然の訃報に接し只々驚くばかりです。増田元相談役と
の思い出を二、三ご紹介し、在りし日のお姿をお忍びしたいと思います。

 エピソードその1. 海外調達

増田さんは長船時代ずっと一工作部所属(広製に転勤される直前の数ヶ月のみ機械管理部長)でした。一方、私は内作の主力製品
(タービン、ボイラ等)にはあまり関係のない計装電気やプラント設計の所属でしたから、仕事の上での直接のつながりはありま
せんでした。 ところが火力プラントの価格競争が激化し、輸出競争力をつけるためには海外調達が必須の時代となりました。自
社で造っているものも海外調達せざるを得ないというケースもありました。プラント設計はその調達の責任課で、ポンプ、ファン
、弁、配管、純水装置、エアコン、取水装置等々を扱っていました。海外調達しても安かろう悪かろうでは話にならないので品質
を確保するためには製造のノウハウを持った人材を相手の工場に派遣し指導・監督する必要があります。

のため工作部の力を貸して欲しいと当時部長の増田さんのところに頼みに行きました。工作部にとっては自分の工場のことで忙
しいのに外国の会社に有能な人材を送り込むことになり悩まれた思います。しかし増田さんは「適任者は○○課長か?□□係長か
?あるいは現場の△△君か?」と快く承諾し、最適の人材を派遣して頂きました。非常に有り難く、海外調達の大きな推進力にな
ったことを覚えています。
これは単なるエンジニアリング専門の会社では持ち得ない底力だと確信したことを思い出します。

 エピソードその2. イランプロジェクトの最終引渡し(FAC)交渉

中東イスラム世界のプロジェクトはどの国も他の国とは違う難しさがありましたが特にイランのラジャイは契約形態からして通常
のフルターンキーやFOBと違って責任範囲が複雑で、“ボイラだけを除くエンジニアリング込みホールプラント”とよばれていまし
た。きちんと完成したつもりでもなかなかFAC(最終引き渡し証書)をくれません。プラントとして若干のペンディングもありまし
たが、主原因はイランーイラク戦争およびそれに起因するイランの資金不足といえるものでした。

増田さんは三菱重工の会長時代、2001年7月に経済ミッションの代表として小泉首相の親書を携えてイランのハタミ大統領に会わ
れることになりました。当時原動機事業本部長だった私はその話を耳にし、千載一遇のチャンスとして私も同席させて欲しいとお
願いし了解して頂きました。ハタミ大統領と会長の面談では、増田会長の当意即妙のご対応もあり、非常に友好的に話が進みまし
た。そのあとすぐマラキTAVANIR(電力庁)総裁のところに出向き、今度はMHIの会長として三菱が如何に信頼性の高いプラン
トを完成させイランに貢献したかを説明し早期解決の必要性を訴えて頂きました。この結果、イランのマラキ総裁と三菱代表(若
園副本部長を任命)とのトップレベルで問題解決に当たることが決まりました。その後集中的な打ち合わせを行い、契約後17年、
運開後8年を要しましたがやっと双方が納得する形(win-win)で決着しました。同時にもう一つのプラントであるガーブも決着
しました。解決の道筋作りを率先して実行して頂いた増田会長に感謝した出来事でした

 

 「日本との関係重視を報道するIRAN DAILY」

         ハタミ大統領と握手を交わす増田会長      大統領「日本との協力重視」との報道


 エピソードその3. 仕事を離れて

増田さんが一工作部に配属されたときの工場長が末永聡一郎さん(後の三菱重工社長)で、一緒に相当飲み回られたそう
です。ここらの経緯は長機会ホームページ(下記)に詳しく書かれています。またご自身のご自宅には現場の強者(つわ
もの)が頻繁に押しかけ、大酒を酌み交わしたという逸話もお聞きしました。

      
      パサージュ琴海にて 2014年(平成26)撮影


一方、若い頃、木こりの経験をして鍛えたと言ってお
られましたが腕っ節が人一倍強く、お好きなゴルフで
もクラブをぶんぶん振り回しておられました。

長崎のパサージュ琴海は海越えのホールが3つもあり
、攻略が難しいユニークなコースです。そこの1番ホ
ール(約400ヤード)は途中で左にコースを変えその
後またまっすぐという癖のあるホールですが増田さん
は2打目にグリーンにオンした後、勢い余ってオーバ
ーする打球でみんなをびっくりさせたというエピソー
ドが残っています。数年前まで私たちと一緒に湘南カ
ントリークラブで楽しそうにプレーされました





最後に長機会ホームページについての思い出を述べます。増田さんには上記末永さんの記事を含め4回投稿して頂きまし
た。下記の項目をクリックして増田さんの投稿をご覧ください。


②、③ではご自身の俳句・川柳を披露されています。

増田さんが新しいスマホを使われるようになったとき、「冨永君、長船ニュースが見えるようにセットしてくれ」と言わ
れました勿論、長船ニュースとは長機会のホームページのことです。パソコンで長期会ホームページをご覧になってお
られたことと、嘗ての長船ニュースを懐かしんでおられることが分かりました。これには頼まれた私が嬉しくなったこと
を覚えています。」

心からご冥福をお祈りします。
                                                     以上