皆様からのお便り 『私の百名山(60歳からの挑戦)』 佐藤 進様

新田次郎の『孤高の人』(上/下)は三菱神戸造船所(小説では和田岬の神港造船所となっている。)の加藤文太郎の単独行を描いた山岳物語である。加藤文太郎が富山県側から長野県側に冬の北アルプス縦走する場面がある。雪山の中で竪穴を掘ってビバークする。穴に蓋をした雨合羽の破れから雪洞の中の彼に粉雪が吹き込んでくる。内燃機関設計者の彼は「雨合羽の破れ穴が噴射ノズル、雪洞はシリンダーで雨合羽はシリンダーヘッド、今自分はシリンダーヘッドに座り込んでいる」と考え、その粉雪の動きより、ディーゼルエンジンの効率を画期的に高めるアイデアを得る。

私が印象に残っているのは、冷酷な自然の脅威と闘うひとりの男の姿ではなく、美しい自然の描写でもなかった。酷寒の中でディーゼルエンジンの効率を高めるアイデアを得る場面であり、三菱の設計者の凄さであった。山には地上と異なる世界があり、使われていなかった脳が刺激され、新しいアイデアも生まれるのだろう。今回、寄稿して頂いたのは元ボイラ技術部長の佐藤進さんだ。佐藤さんの紀行文を読んで、『孤高の人』をもう一度読み返した。                                     「牧浦記」
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私の百名山(60歳からの挑戦)                               佐藤 進

60歳過ぎまで山登りはまったく未経験だったが、2013年から10年かけて日本百名山を踏破した。なぜ登山を始めたのか、どんな登山だったのかをご紹介したい。

きっかけ

登山のきっかけは、2013年秋64歳の時、原技センター同期の故北村光氏の発案で同期4名で木曽駒ケ岳(中央アルプス、2,956m)に登ったことである。それまで山登りといえば、大昔たった一度、小学生の時に親族と赤城山の大沼まで登ったことがあったが、長距離歩行に疲れはてて、喜びより辛さの記憶が大きかった。しかし木曽駒(2,956ⅿ)の登山では最高の天気に恵まれ、新鮮な空気、早朝に眼下の町を覆い隠す雲海、ご来光、モルゲンロート(山の朝焼け)、紅葉などの大自然に圧倒され、すっかり山の魅力にとりつかれてしまった。

木曽駒ヶ岳登山 同期と(右二番目筆者)                木曽駒ケ岳 モルゲンロート(山の朝焼け)


作戦その1:難しい山から登る

さてどんな山から登ろうかと思案したが、何しろもう60代であり、難易度の高い山はこれ以上年を取ると登れなくなるだろうから早めに登っておくべきと考え、最難関といわれる北アルプスの3座【奥穂高岳(3,190ⅿ)、槍ヶ岳(3,180ⅿ)、剱岳(2,999ⅿ】から登ることとした。
まだ登山経験が浅く、不安なので登山ツアーに参加し、山岳ガイドの指導の下、5人~10人のグループで登った。鎖場やハシゴ、長時間歩行を経験し、意外にもこれならやれそうだな、と思った。今思えば、ずぶの初心者がいきなり最難関の山に登るとは、大胆不敵というか無謀であった。
この直後に三菱を定年退職し、山三昧の生活が始まった。

      2014年夏 槍ヶ岳      2014年秋 穂高岳涸沢の紅葉  2014年秋 剱岳(登山ツアーの仲間たち)

 

作戦 その2 ー 北海道、九州など遠隔地から登る

どんな順番で登ろうかと考えた結果、なるべく遠方の山から登るのがいいだろうと思い、2015年
から2016年にかけて、北海道の9座、九州の5座、北東北の5座をまず登ることとした。
20座を登った頃から、百名山制覇を意識し目標にするようになった。

最南端の屋久島宮之浦岳(1,936m

  2015年秋 屋久島縄文杉にて (香港のカップルと)

2015年に屋久島の宮之浦岳に登った後、民宿で香港からのカップルに出会い、翌日縄文杉ツアー(11時間)に同行した。

このカップルは、日本びいきで10回も来日済みだが、中国本土には一度も行ったことが無いとのこと。なぜなの?と聞いたところ、「中国は治安が悪い。日本は安全だ」と言う。彼らとはその後数年間emailで交信していたが、2019年に中国による民主化運動への弾圧が始まってから、香港の状況をたずねたりしたが、返事がなくそのまま交信が途絶えてしまった。

当局の圧力に晒されていたのだろう。あのカップルは今どうしているのだろうか?










幌尻岳(北海道、2,052m

幌尻岳は登りだけで9時間かかり、かつ額平川の渡渉を20回も繰り返す、という北海道の中でも最も奥深い山である。ヒグマも多く生息する。百名山中で最も困難な山と言われ、最後(百番目)に残す登山者が多い。
2016年夏、幌尻岳に何とか登頂し、頂上で一息ついていたところ、目黒から来たKさんという4人家族に出会った。子供はまだ小さく、小4の男の子と小1の女子。しかし登山好きの両親と一緒に男の子は既に百名山を40座も登った、という。驚いた。今ではその子も大学生となり、とっくに百名山は踏破済みと思われる。

Kさんご家族とは、たまたま翌日のホテルと登る山(トムラウシ山)が同じだった。
翌日ホテルで再会後、翌々日早朝からKさん家族と一緒にトムラウシ山(2,141m)に登った。往復11時間という日帰りできる限界の山。熊鈴や熊笛を鳴らしてヒグマを避けつつ、雨の中を往復し疲労困憊した。その中で印象的だったのは、小1の女の子の下山速度が猛烈に速いことだった。大きな岩がごろごろ連なるガレ場を真っ直ぐに(スキーの直滑降のように)下りていく。子供の運動能力は想像を絶するものがある。自分の足元がおぼつかない中で、彼女の背中だけがどんどん遠ざかっていき、若さのエネルギーを目の当たりにした。
彼女も今頃は高校生、クライマーにでもなっているのだろうか。
       2016年夏 幌尻岳とヒグマの生息する北カール         幌尻岳の渡渉ヶ所(20ヶ所も川を渡る)


最も怖かったこと ― 雷雨の薬師岳(2,926m)

北アルプスの裏銀座と呼ばれる山々(薬師岳―黒部五郎岳―水晶岳―鷲羽岳)を2017年8月に縦走したが、4日間ともひどい雨にたたられた。特に初日に登った薬師岳(2,926m)では、9合目の山小屋に到着したのは既に15時くらいで、その時点で雨が激しく降り始めていた。雷雨になりつつある。頂上までは1時間もかかり、かつ森林限界を超えた高度のため、樹木はなく、むきだしの岩山である。落雷を避ける木陰はまったくない。

しかし、登頂をあきらめた場合、次回いつ来られるかまったく分からない。
雷雨の夕刻に他の登山者は殆どいなかったが、意を決して登ることにした。
山頂までの往復2時間の間、雷が近くなったり遠ざかったりして、命の危険を感じる人生で最も怖ろしいひと時であった。登山では、「引き返す勇気が必要」と言われる。今なら間違いなく引き返す。
60代の私は「登頂」、現在の私は「生還」を優先するようになった

  2017年8月 雷雨の薬師岳(自撮りもできない雷雨だった)  2023年7月 薬師岳(2度目の挑戦は雨に降られずに済んだ)


三度目の正直 - 阿蘇山

九州には百名山が6座あり、2016年4月に屋久島を除く5座をまとめて登る計画を立てた。まっさきに4月17日に阿蘇山に登る計画だったが、なんと直前の4月14日夜に熊本地震が起きて熊本市街や南阿蘇は大被害を受け、熊本空港も閉鎖され、登山不可能となり計画を延期せざるを得なかった。

その後の熊本地区の復旧を待って、半年後の2016年10月に再挑戦する計画を立てた。ところが、直前の10月8日に阿蘇山の大噴火(マグマ水蒸気爆発)が発生し、大きな噴石が火口周辺に飛散する状況となりまたも断念、延期となった。
三度目の挑戦は、翌2017年4月、熊本空港からレンタカーにて仙酔峡の登山口に向かった。晴天で桜が満開でウキウキした気分で運転していった。ところが、登山口まであと2-3㎞まで来たところの路上で、通行止めの赤コーンに出会った。その先の登山口までの道路が1年前の熊本地震により寸断され、まだ補修されていない、とのこと。「三度目の挑戦もだめだったか!」と頭の中が真っ白になった。

周囲を見回したところ、少年自然の家という施設があり、そこの受付に出向いて聞いたところ、最初は通行禁止と言われたが、こちらのがっかりした様子を見て気の毒に思われたのか、「路上の赤コーンを動かして、通過していってもいいようですよ。ただし、自己責任ですよ。」と言われた。
喜び勇んで車で進んでいったが、路上にはあちこちにき裂が入り、落木も多数あり、1-2㎞進んだところでとうとう土砂で道路が完全にふさがれていた。

仕方なくそこに駐車して、徒歩で土砂を超えて行った。その先の道路はほぼ完全に崩落した場所が多く、その脇を注意しながら歩き、登山口に到着した。広い登山口だが、まったく人気(ひとけ)がない。
その後まったく人にも動物にも遭わず阿蘇山頂上(高岳)に着いた。頂上は360度の展望が広がっているが、見渡す限り荒涼たる赤褐色の溶岩と火山灰に覆われ、全くの静寂に包まれていた。
この時自分はたった一人でこの広大な自然に囲まれていた。深い孤独感を感じ、大げさかも知れないがあたかも神と対峙しているかのような感覚を覚えた。それまで経験したことがない感覚であった

  2017年4月 阿蘇山登山口への道路(地震により陥没)        阿蘇山高岳頂上付近(まったく人がいない)


コロナにより2年遅れた百名山の制覇―南アルプスの縦走

2019年末までに百名山は75座を登頂済みであり、早ければ2020年中に百名山を完登する状況であった。しかし新型コロナの流行が始まり、各地の山小屋は閉鎖したが、なかでも静岡県の山小屋は2020年と2021年すべて休業となった。
そのため、南アルプスの4座【荒川岳(3,141ⅿ)、赤石岳(3,120ⅿ)、聖岳(3,013ⅿ)、光岳(2,591ⅿ)】が最後に残ってしまった。これらは3,000m峰であり奥深いため、山小屋に泊まらざるを得ない。

2022年夏にようやく静岡県の山小屋が3年ぶりにオープンしたので、4座を結ぶ縦走にでかけた。7月末であり下界は35℃の猛暑だったが、3,000mの天空は20℃未満の涼しさであり快適なハイキングを堪能した。65㎞を7日間で歩く、これまでで最長のハードな縦走であった。

途中2か所の山小屋で30代前半の青年と気が合って一緒に酒を飲み交わした。彼は婚約者の実家に出向いて結婚の承諾を取付けた直後であり、独身最後の山歩きという。驚いたことに彼は東芝の火力技術部に所属していた。ライバル会社の社員で、かつ世代は異なっても山では気の合う仲間となれる。
百名山の百座目は光岳となった。光岳小屋は定員15名くらいの小さな山小屋だが、従業員3人全員で百名山完登を手作りの垂れ幕でお祝いしてくれた。思いもよらぬお祝いで、やっと10年がかりの仕事が完了したなという実感が湧いてきた

                   2022年7月 光岳小屋にて百名山達成のお祝いをしてくれた


感謝と思い残すこと

登山のきっかけを与えてくれ、百名山5座に一緒に登った同期入社の仲間および家のことも顧みず山に出かける夫を常に快く送り出してくれた妻には感謝の気持で一杯である。

日本の山で最難関ルートと呼ばれる奥穂高岳の西側の入口にあるジャンダルム(3,163m、フランス語で「国家憲兵」の意味)は、TVの山番組やYoutubeの映像を見て一度は登ってみたいと憧(あこが)れていたが、あまりに急峻な瘦せ尾根の難所であり、恐れをなして挑戦できなかった。
出来ることならば高所(絶壁)恐怖症でない人間に生まれ変わり20代で挑戦してみたい。

                      2025年9月 奥穂高岳から見たジャンダルム

                                                                                       
                                                          以上