皆様からのお便り 増田信行様を偲ぶ 『増田さんの背中』 松浦一郎様
亡くなった人には正月も春も夏もやって来ない。でも亡くなった人は生きている人に思い出を残してくれる。松浦さんが入社した時は、増田さんは一工作部の次長だった。部長室は新人には雲の上、近寄りがたい場所であったに違いない。それでも今も忘れられない思い出を松浦さんに残す。増田さんの人柄ゆえだと思う。 「牧浦記」
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増田さんの背中
松浦一郎(昭和56年入社)
【初めまして新入社員です】
私が、S56(1981)年に入社し、7月に第一工作部組立課第一組立係に配属された時、増田さんは第一工作部部長室の次長を務められていました。
配属後間もなく、出身大学同学部同学科の同窓会で新入社員歓迎会が開催されました。
私が配属された組立課には、複数の先輩同窓生がおられましたが、当日、新入社員以外の課スタッフ職以上、課長までが、全員泊まりかけ研修で不参加だったので、次長の増田さんが2次会以降の面倒をみて下さいました。将来、社長になられる方とは、当時、思いもよらず、殆ど緊張もせず、気楽にお世話になりました。有難うございました。
増田さんが、一工部の中で所属された課は第一機械課だけだったというのは当時もその後も珍しい存在でした。工作部では、課が異なると別の世界に近く、それもあって組立課新入社員の私が、一機課出身の増田次長に仕事面で直接お会いしたり、お話を伺ったりする機会は殆どありませんでした。加えて、1年目の見習いが明けた後、程なく長期の海外出張を度々仰せつかることとなったので、接点は非常に限られていました。
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| 増田信行様ご夫婦で150周年式典参加 増田信行様(前列向かって右から二番目)奥様(前列向かって左端) (2007年10月11日 第一工作部にて撮影) | 創業150周年式典会場グラバー園にて 増田信行様ご夫婦 (2007年10月10日撮影) |
【各課の猛者と共に】
少し転機が来たのは、S61(1986)年。当時、第一工作部長になられていた増田さんの肝煎りで、技術開発Grという職制が、生産技術課の中につくられました。そこに、各課から精鋭/猛者/論客(癖ツヨ)のスタッフが集められ、部長室と同じフロアにその新Grの席が置かれました。私は、癖ツヨ度が低かったのか?設立時のメンバーではありませんでしたが、半年位後から加勢者として転勤前の事前準備も兼ねて所属することになりました。
各課からの精鋭+αのスタッフは、部にとって重要な設備投資案件やソフト開発等の業務に当たっていました。増田さんは、部長室からトイレに行く途中にある技開Grの関係者のスペースにしばしば立ち寄られ、様子を見たり進捗状況聴いたりされていました。頻尿ではないかという声もグループメンバーで囁かれる程、立ち寄りは頻繁でした。
そんな関係で、それまでよりもぐっと近くで、お話を伺うことや先輩スタッフ達とのやり取りを聴くことが多くなりました。
各課からの精鋭スタッフは、担当している案件の個別の内容に関しては、部長には負けない、という自信があった様で、遠慮会釈なく、時には激しい口調で説明、議論することもありました。正直、私には知識が不十分で理解できないことも多く、一方で担当者の強い口調に、驚かされることも少なくありませんでした。それでも、増田さんは、どんな担当者の言葉、意見に対しても常に冷静にじっくりと話を聞かれた上で、理路整然と自分の考えを示されていたのが、印象的でした。
その内、私も他の事業所に出張に出向くことになり、部長に挨拶に出向いた時、増田さんから『出張旅費の2倍の効果がある改善案を見つけて帰ってこい』と言われたので『2倍で良いのですか?』と返し側に居られた次長の顰蹙をかった覚えがあります。増田さんには、部長室の席に居られても何でも気楽に言わせて貰える懐の深い雰囲気がありました。
【末永く後輩とも共有し大事にしたい教え】
その後、多分、本社の管理部門に異動になる前後に増田さんから頂いたと思う言葉で、今も忘れずに覚えているのは、
『汝、俯瞰しおるや』
‐常に全体像を大所高所から把握して見ることを忘れず、その中で見つかった問題点には直ぐに降りて行って対応し、目途が付いたら再び舞い上がって全体を見るのが大事-
上位の立場になった時、問題が発生した時、誰しもそれまでの自分の知見や経験に関する分野、興味がある分野、問題が起こっているところ、自分の周りや声の大きな人に目が行き勝ちになることを含めて戒められた言葉だとその後の経験も経て解釈していますが、応用の広い言葉、増田さんらしい言葉と思い、しっかり実践が出来ているかどうか、反省の要素はありますが、大事に心に留めております。
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| 2016年1月 第一工作部関東地区OB会にて 前列中央増田信行様 左花田公行様 後列右から4番目 筆者松浦一郎 |
その後、増田さんも第一工作部を離れられたので、お会いする機会は少なくなりましたが、偶々増田さんが長崎に来られて関係者と集う機会があった時に感じたのは、長く籍を置かれた第一機械課の多くの現場出身者から増田さんが深く慕われていることでした。
現場出身の職人気質の人は、肩書や立場に忖度は全くなく“人となり”を見て近づくか否かを決める人が多いと痛感していますが、増田さんには、そんな現場出身の多くの人を引き付けるものが溢れていることをこの時のOBの皆さんの様子が、如実に表していました。
「ローマ人の物語」の時代から人は、自分の見たい事、聴きたい事だけを見聞きする、周りも忖度して、上司の意に沿った情報だけを上げる、という傾向があり、近年の職場、会社や大国でもそれは増長傾向かと思われますが、増田さんは、現場や実務担当者が話しやすい雰囲気を自然に作り出して、自分の考えに反対する意見でも生の声をしっかりと引き出し、その上で判断を下すという部下に取っても非常に有難いリーダの見本を示して下さっていたと感じています。今、古希を迎える自らを振り返ると良き先輩を見ながら寧ろ前述の面も少なからずあった様だと反省する面はありますが、それは棚に上げてでも、製造部、長船の後輩には、組織のリーダとなる者のバックボーンとして、末永く受け継いで欲しいと伝えていきたい増田さんの背中です。
『己小さく、人は大きく』という増田さん以前の先人の言葉も頂きましたが形而上、形而下の両面からその言葉を示して下さった増田さんの背中を思い出しながら、ご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。
以上


