皆様からのお便り 「大谷翔平と三菱重工横浜」  牧浦秀治様

世界中を熱狂させた米国大リーガー「大谷翔平」選手のご両親が三菱重工横浜ご出身で野球部、バトミントン部とそれぞれ活躍
されていたことから元横浜製作所所長をされていた長機会世話人の一人牧浦秀治様に大谷選手のMVP受賞を記念して寄稿依頼
たら早速投稿頂きました。ご本人のコメントを下記します
「大谷翔平が大リーグでMVP、全国紙の一面記事に値します。その大谷翔平と横浜の関係を書こうと周りに話したら、彼のご両親と
一緒の時期に横製で働いていた仲間が“横船ニュース”に彼の両親が掲載されている記事を持ってきてくれました。当時は三菱の各事業所
で月一回、事業所の名前を冠したニュースが発行されていました。新聞でいうと地方紙となります。今脚光を浴びているその人・その
関係者の普段の姿を伝えています。これは、現在の重工全社で一つに統一されたニュースでは拾えない・拾わない仲間の姿です。
横船ニュースに感謝、そして知人から友人・親友となった仲間に感謝!」【伊藤】

   大谷翔平と三菱重工横浜                  牧浦秀治

 有名になると知人が増える。知人が友人になり一方的な親友になる。私もそういう気持ちでこれを書いている。
大谷翔平が米国大リーグでMVP(MVP:Most Valuable Player)をもらった。プロ野球でMVPと聞いても、
それは何の略称かまでは興味がなかった。
今回は親友の息子がもらったという気持ちになって、大谷翔平を身近に感じたからだろう。調べた。
身近に感じるゆえんは、長機会2018年10月の「皆様からのお便り」で紹介している。

(2018年10月号記事ご参考)


 大谷翔平のご両親がIDS(三菱重工パワーインダストリー)や三菱重工横浜と深い関係があったからだ。
      
父 大谷 徹:
 1981年 岩手県立黒沢尻工業高校卒 菱日技入社 総務課に配属
       5年間外野手・内野手として俊足・好打の選手として活躍
 1986年  結婚 1987年に長男、1992年に長女
 1994年  翔平誕生
 1991年 関東自動車(現トヨタ自動車東日本)に転職
       水沢リトル(翔平が入ると同時に)コーチ
       一関リトルシニア(ここも翔平と共に)コーチ
       2014年有志で立ち上げた金ヶ崎シニアの監督となり現在に至る。
母 大谷(旧姓熊沢)加代子: 
 1982年 神奈川県立立野高校卒 三菱重工/横製入社勤労部安全保安課に配属
       横製バトミントン部に所属し、国体・五大都市大会等に出場し、1986年の結婚まで所属して
       同部で好成績を残す。
 1983年  ヨネックスカップジャパンオープンという国際大会に神奈川代表として出場。

 下記はお父様の大谷徹氏が菱日技(IDSの前身)入社時の野球部新人紹介記事とお母様の熊沢加代子さんが、
 国体バトミントン神奈川県での選考で優勝を伝える記事だ。

 

 

 痛みのある右ひじにメスを入れることにより、違和感なく投げられるようになり、本来の150~160㌔の速球に、
極端に滑るスライダー、小さく内外に変化するカットボール、そしてフォークが加わり大リーグのトップ水準の投手
として大谷翔平は鮮やかに復活した。

 手術後に取り入れた総合的なウエイトトレーニングにより体幹がしっかりと座り、日本人では考えられなかった
大リーガとしてのトップクラスのパワーを備えるようになる。大リーグで46本の本塁打を放ちホームラン王争いを
演じるスター打者に成長した。盗塁もできる彼は、野球好きの米国中の・世界中の野球ファンをうならせている。

 ところで、ピッチャーと打者の二刀流でMVP獲得するまでの道は平坦ではなかった。下図は、花巻東高校を卒業して
日ハムそして米国エンゼルスまでの投手としての勝率、打者としての打率にホームラン数だ。エンゼルスに移って
2,3年目は投手として一勝もしていない。

 移籍の年2018年10月には米国でトミー・ジョン手術を受ける。術後、2シーズン年は成績は残せなかった。
2021年4月26日、レンジャーズ戦で右肘手術後の初白星を手にしてから今年の大ブレークになる。
大谷選手にとって幸いだったのは、彼がエンゼルスの監督にジョー・マドン氏がなったことだと私は思う。
ジョー・マドン氏は米国野球界でも常識にとらわれない発想で采配をやり一年間に打順を143回も入れ替えたとの話
もある。「二刀流は未来の波。私はいつもこのコンセプトに興味をもっている」と語っている。

大谷選手が投手として結果を出せなかった時も彼の支持者だったと思う。

 父親が社会人野球選手(身長182cm)、母親がバトミントンの国体選手(身長170cm余)とスポーツへの最高の
DNAと恵まれた体をもった若者が大きく花を咲かせられるかどうか指導者(管理者)の負うところが大である。

 下のグラフの傾向から来年は12勝ぐらいはと勝手に想像する。一方的な親友のひとりとして、良い時も、悪い時も
応援していく。以上