皆様からのお便り 『2015年ー2019年インドLMTG駐在を振り返って』 井谷学様
2011年1月に竣工したインドのボイラ/タービン発電機工場について、これまで「皆様からのお便り」で取り上げました。
馬渕洋三郎さんが「2007年のインドJV構想時からその竣工そして続く受注まで」を、横田宏さんが「工場建設の現地スーラットに常駐した3年半」を報告してくれました。
工場竣工から4年後の2015年に井谷学さんがLMTGの4代目COOとして着任しました。横製出身者のCOOです。長船出身者とは違った視点で見てくれています。「JV成功の秘訣は、勤勉な作業員・優秀な現地幹部・派遣された指導員の連帯感」と井谷さんが指摘しています。
一時落ち込んでいた受注も盛り返したと報告がありました。成功の三つの秘訣は、DNAとして引き継がれているようです。「牧浦記」
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2015年-2019年インドLMTG駐在を振り返って
三菱重工パワーインダストリー(株)
元 LMTG (L&T MHI Turbine Generators Pvt. Ⅼtd.) COO 井谷 学
~プロローグ~
2019年1月6日ムンバイ空港、インド駐在最後の日の夜に、空港ラウンジでインド最大シェアを持つキングフィッシャーのウルトラビールを味わっていました。このビールの飲むのはもしかしたら最後になるかもと思いながら・・・。
2015年、初めてインドの地に足を踏み入れた時にはこのブランドは無かったはず。インド スーラットに駐在してしばらく経ったあとに登場してきたブランドで、癖が無く飲みやすい日本人好みで後味のスッキリしたビールでした。

スーラットは、インドの西海岸沿いに位置する地方都市で、首都デリーから南西に約1200km、ムンバイから北に約300kmにあります。このスーラットはグジャラート州に属しますが、この州は禁酒州なので、我々日本人は許可証を取得してアルコールを購入しなければなりませんでした。1回で購入出来る数量は制限されており、ビール大瓶で20本だったと記憶しています。暑いインドでは、ビールは必需品であり、その中で日本人好みのウルトラが出回るようになって、スーラットでの生活が少し豊かになったように感じたことを覚えています。
私が初めてスーラット空港に降り立ったのは、出張者として2015年4月22日のことでした。真ん中通路左右2席ずつの小型ジェット機に横付けされたタラップを降りた午前9時過ぎのことです。この当時はデリーとスーラット間を国営のエアインディアが1日1便・週6往復を運航しているだけのローカル空港でした。朝の9時過ぎなのに既に真夏の日差しが照り付ける暑い空気、ボーディングブリッジも使えないような田舎に来てしまったと感じた記憶が残っています。
私は1985年4月に三菱重工/横浜に入社して以来30年間、横浜で設計(24年半)と製造(5年半)の業務に携わり、インドに赴任する前2015年4月から半年間、長船で仕事をさせて戴いた者です。その後10月にインドに赴任し、LMTGの4代目COOとして2019年1月まで3年100日間、スーラットで刺激的な生活を送りました。
「インドLMBやLMTGにおける事業展開は当時何故成功したのか?」という疑問に応えて貰いたいとの具体的なご用命がありましたので、私の主観にはなりますが。6年以上前の記憶を辿りながら疑問に対する答えを以下に整理してみます。
~エピソード1(工場場所選定の長船先見の明)~
2015年当時、スーラットはデリーからの飛行機が毎日すら飛ばないローカルな地方都市、何故この地にLMB及びLMTGの工場を展開したのか、赴任当初疑問に思いました。そのような中、LMTGで執務し始めてから感じたことは、スーラットが位置するグジャラート州に暮らす人々は、ガンジー氏の出身地だということもあるのかヒンズー教の教えを忠実に守り、グジャラート人は全体的に勤勉で真面目という事でした。インドの人口は完全ピラミッド型で若者人口が多く、その中からより優秀な高卒を工場技能職として採用することが出来たことが、後々LMTGを軌道に乗せるための大きな要因になったように思います。採用過程の中でインド側の親会社であるL&Tのネームバリューがある程度功を奏しました。
20代の頃出張したシンガポールで、働く意欲の無いインド人何名かと仕事を共にした経験があり、インド人に対する印象は芳しくありませんでしたが、グジャラート人の勤勉さには良い意味で予想を裏切られました。
実際LMTGの工場内で働く技能職は地元採用のため勤務態度は真面目で向上心も高く、長崎から出張で派遣されて来る日本人指導者から教わる溶接技能・組立技能・機械加工技能といったものを身に着けようとする意欲が高く、習得も早いように感じました。
実際特殊なケースでも、2016年から2017年に取り組んだ自家発用火力発電向SC1F-24の軸流排気式蒸気タービンについて、これまで製作してきたTC2FやTC4Fの蒸気タービンとは異なる型式にも関わらず、しっかりした製造計画を立て、初めての作業(ロータ翼植えのカシメ作業や仕切板溶接組立など)も、モックアップによる実技演習を実施して万全の準備を行って、工程を遅延させること無く製作を完了出来たことは、LMTGの現場力の高さを証明したように思います。
2000年代当時、この地に工場を建設することを決断した三菱重工/長船の皆さんの先見の明が確かなものであったと感服しました。
~エピソード2(優秀なインド3人衆)~
LMTGで働く管理職や事技職については、大卒系の人財をインド全土から募集して、親会社L&Tのブランド力を活かしながら優秀な人財を集めることが出来ていたように感じます。特に工場長・経理部長・営業部長の3名が秀一でした。インド人CEが2016年に退任したあとは、この3名がインド人側の代表者となりました。3名とも決断が速い、説明や提案が明確で上手い、常に前向きで積極的な言動を行うといったように、日本人よりも秀でた能力を有しており、COOであった私をしっかりサポートしてくれて非常に助かりました。
最終帰国前にインド人幹部と記念写真(前列中央が筆者) |
2007年11月にLMTGが設立され、2008年には更地の土地に工場やオフィスの建設工事が始まりました。募集に応じて面接に来たインド人達を篩に掛けて、採用につなげた方々の眼力が非常に高かったということだと思います。
工場やオフィスを更地に立ち上げた中、三菱重工/長船の皆様の何とか早く軌道に乗せようとの熱い思いが彼らに伝わり、工場建設や中身の設備導入において日本式が採用されたこと、それをベースに長船からの手厚い指導で、インド人幹部も日本式の工場経営を体感し成長していったことが大きかったのだと思います。
大卒系のインド人は、日本人に対してレスペクトする気持ちが強く、それも相まって彼らの吸収力が高まったことも、LMTGの経営を軌道に乗せることが出来た要因の一つでした。
余談にはなりますが、インド国内の商談に苦戦していた2018年には、営業部長の発案でGEやアンドリッツといった競合他社が手掛けるインド国内向水車発電設備の部品加工の仕事を受注して、工場の操業を下げない決断するなど、スピード感のある仕事をしてくれました。
安全担当部長が定年退職した後任をどうするかと悩んでいた時に、経理部長が「僕がやります、経験したことが無い役目だけど勉強しながら経理部長と兼務で担当します」と申し出てきました。今の日本であれば、経理部長が安全の責任者を担当するなど有り得ないことも、とにかく前向きに取り組もうとする姿勢に感心させられました。これを受け私も、横浜時代に経験した工場内の安全管理のやり方を彼に教えるなどして、重大な災害を発生させることなく私の在任期間を終えることが出来ました。
この3人衆以外にもインド人設計部隊も、新しいベンダーの開拓や彼らなりの設計改善提案をするなど、日本側のタービン設計部隊が慎重な言動を繰り返す中、明るく前向きな姿勢を崩さず、へこたれない忍耐強さを持ちながら業務に当たる姿を見て、私も勇気づけられたことを思い出します。
インド人幹部の積極的な活動があって、私の在任期間の後半2年間(2017年度・2018年度)は黒字化を果たすことが出来ました。
~エピソード3(高度成長の力はスピード)~
インド新幹線の話、聞いたことありますか?
グジャラート州の州都:アーメダバードと西海岸沿いの大都市ムンバイとの区間508kmを結ぶインド初の高速専用鉄道です。私が住んでいたスーラットにも新幹線の駅が出来る計画です。これから発展が期待されるスーラットですが、私が赴任した当時は、飛行機が週6往復しか飛んでいないローカルな街でした。そんなローカルなスーラットですが、私が住んでいた3年半弱の中でも自動車の数は増え、その中で高級車の数も徐々に増えていったように感じました。これは、私が子供の頃に体験した日本の高度成長期に似ていたように思います。
また街中では、携帯電話が一般人にも普及し始めたと思ったら、あっという間にスマホにとって代わり、中間層だけでなく、下層に属する人々にも広まっていきました。私が帰国する前には、我々が宿舎で雇っているケアテイカーでさえ全員スマホを持っていました。最初、安い中国製が出回っていましたが、政府の圧力もあってか安価なインド製が広まっていったように思います。
人口の多いインドでは、IT系の優秀な技術者が大勢いるバックボーンに支えられて最新鋭のものが開発され、インターネットを通してあっという間に世の中に広まる力強さを感じました。
インド人は新しいものに目が無い、知的好奇心が高いように思います。スーラットは、活気がありキラキラしていた昭和日本の高度成長期のようなイメージの中に、最新鋭の自動車やスマホがどんどん溢れていく力強さのある世界、それがインドの成長力の源なのでしょう。
~エピソード4(払拭されないカースト制度)~
インド政府は、インドに残っていた身分制度:カースト制は廃止したと公式発表しています。しかし現実は今なお人々の心の中には歴然とカースト意識が残っています。若者の婚姻は、いまだに90%程度(当時の値)お見合い結婚だと聞きました。同じ階層に属する者同士で無ければ婚姻を認めていないからです。LMTGのインド人幹部で適齢期の子供を持つ方は、自分の子供の良きパートナーを探し出すのが子供にしてやれる最後の務めだと公言していました。
スマホのアプリで同じ階層のお見合い相手を紹介するサイトが立ち上がっており、それを駆使してパートナー探しをしていました。その方のご子息の結婚式に招待されて、彼に良い相手を見つけられたと自慢されたりしました。インドは古い制度に縛られているものの、流れにすばやく順応してスマホアプリを開発して、世の中に大きく広めていく柔軟性・逞しさがあることも、インドの強さなのではないかと思います。
一方、カースト意識が残っていることから、当然それに由来する貧富の差は無くなっていません。むしろ、富める者はより富むことで徐々に貧富の差が拡大しているようです。とは言え、LMTGの現場で働く技能職は中間層に属し、総じて皆さんその中間層の暮らしに満足しているように見えます。街中にはさらに下の階層の人々が狭い家に大家族で住んでいますが、全体としては皆さん明るく彼らなりの幸福感を漂わせていることもインド社会全体の底力になっているようです。
~エピソード5(日人SVを鼓舞した共同運営食堂)~
最後にはなりますが、忘れてはならないのは、日本から出張派遣されてくる指導員の方々の粘り強い教えです。その教えをLMTGのインド人達が吸収し成長につなげられたことが、LMTGが軌道に乗ったもう一つの要因です。長い期間派遣されてくる指導員の方々にモチベーションを維持して貰わないと、指導のより良い成果を得ることは難しくなってしまいますが、禁酒州にあるスーラットでは勤務後、外食したりお酒を飲みに行ったりして気分転換することはほぼ出来ません。そのような中、我々日本人のモチベーションを維持するために役立っていたのは、シューバンバンガローという宿舎での共同生活で連帯感を醸成出来ていたことが大きかったです。
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越年した日本人スタッフ及びアドミとの新年会(2019年1月1日撮影) |
シューバンバンガローというのは、3階建ての一軒家(インド人富裕層が暮らす家)に、3名ずつ入居するスタイルを取っており、私が赴任した当時は7棟の家を借り上げていました。私のような常駐者4名と日本人アドミ1名(常駐)をベースにして、残りの部屋を出張者に割り当てていました。各々の家には、2階と3階にバス・トイレ付きの個室が3部屋あり、そこに日本人が分宿する形です。その中の1軒だけは、2棟を1戸建てにした家があり、そこの1階を共同食堂として運用することで、日本人が自然な形で毎日顔を合わせることが出来るようになっていました。
日本人メンバーは、仕事を終え帰宅後に気が向いた者が三々五々食堂に集まり、冷蔵庫に冷やした払出制のビールを片手に、毎晩のように思い思いに話をしました。月に1回は、LMB日本人メンバーにも来てもらって、合同で宴会を開催し長期に滞在している日本人の皆さんを元気付けました。このような宿舎制度は、LMTGを立ち上げた最初の常駐者の方々のご苦労の賜物で、指導にあたる日本人がこのスタイルで生活出来たことは、LMTGが徐々に成果を上げられるようになった大きな一助であったと思います。
~エピローグ~
インドを離れて早や6年、スーラットの街はどのように変貌しているのでしょうか?
LMTGは日本人の派遣者が減り、共同生活したシューバンバンガローも引き払って、常駐者はマンション暮らしに代わったと聞いています。私が駐在した当時の共同食堂のような賑わいは中々作れない生活になったと思われるので、スーラットで現在もLMTGのために奮闘している派遣者の皆さんのご苦労が気がかりでなりません。
とは言え最近久しぶりにインド国内案件を受注したとの嬉しいニュースもあるので、安全と健康に十二分に留意しながら、受注した国営電力プロジェクト向の蒸気タービンと発電機を無事に完成させ出荷してくれることを心から祈っています。
以 上