スポーツ. 歩く(和仁正文様)

「歩く」には国内の旧街道巡り、全国巡礼等国内行脚、海外でのウォーキング、そしてもちろん近所のウォーキング、犬の散歩も含みます。
  (事務局)

〇和仁 正文 様

第1回 東海道53次を歩く 2018.8.1
                  
数年前の健康診断にて血圧が高目であったので「一日7000歩は歩く様に」との診断を下され、それを実行していますが、その一環として東海道
53次を踏破してきました。といっても、旅行会社企画に乗った安易なウオーキングでしたが、月一回、合計27回に分けて、道中の名所旧跡知識が
あるガイド同伴であったので、日本橋から三条大橋まで124里8丁(487.8km)を飽きずに完歩出来ました。旧東海道の面影が残っている範囲
は少なく、殆どが舗装され、旧街道が至る所で寸断されている現況ですが、観光資源として整備を進めている自治体や道案内のボランティア団体が
組織されている街道筋では当時を偲ぶ事が出来る場所もあります。日本橋スタートの時点では老若男女の参加者多数でしたが、小田原を過ぎる
あたりから参加者が減り始め、日帰りから宿泊日程になった大井川辺り以降からは時間余裕と小金のある老老男女(私のような60代後半参加者は
まだまだ若手でした)の顔馴染みメンバーとなってしまい、こんなところも「昨今の旅行会社のシルバー向け企画花盛り」と強く感じました。江戸
時代に徳川家康が秀忠に命じ、大久保長安(金山奉行)を総監督に一里塚などの整備を行ったそうですが、その一里塚も現存するものはほとんど
残っていません。一里塚は旅人の道標や休み処の役割も担い、土盛の上に木が植えられていましたが、榎(エノキ)がほとんどで、家康が「ええ木
を植えよ」と言ったのをエノキと聞き間違えたとか。歌川広重の浮世絵を偲ばせる風景を望むのは無理とはいうものの、ちょっぴり想像できる場所
も僅かに残っていました。いずれにしても、健康維持の手段として、東海道53次の後はほかの街道やマチュピチュなど、どこを踏破しようか
思案中ですが、次回ご報告できるのは大分先の事になるかと思います。

左:江戸から23里の畑宿(当時の面影をしのばせる石畳の街道)、右:野村一里塚(江戸から106里、樹齢400年の椋(ムク)の木が残っている)

左:広重の丸子宿浮世絵(とろろ汁が名物)                 右:現在の丸子宿(とろろ汁を食べさせる食堂がある)