舞囃子へのいざない
たまたま、出向先の上司から紹介されて、定年後の趣味にどうかと思って続けました謡曲も足掛け19年になります。 まず「謡(ウタイ)」から習い始めて、和文の美的・感情的な表現に魅せられ、次に「曲」の強弱・音階・拍子・緩急・音色との格闘が始まりました。
この「謡曲」に役立つとの事で勧められました「仕舞」でしたが、単に曲に合わせて手足を動かすのではなく、型の保持、大小、緩急、静止等の動きに加え、無表情の顔に角度と視線の変化をつけることにより、神・武将・女性・母親・僧侶・狂人・鬼等々の役柄を汲み取って、動作の雰囲気で表現するとなりますと、これは、私のような素人には至難の業で、とりあえず、マイペースで行っています。
これら「謡曲と仕舞」だけでもかなり奥行きが深くて、先は如何辺かとおもいますと、究極の処は「能」に繋がるのでしょう。我々素人が「演能」を実演するのは大変なことですが、「謡曲と仕舞」に笛・太鼓・大鼓・小鼓を奏する囃子方が参加する「舞囃子」があります。
囃子は西洋音楽のオーケストラと違って楽器だけの演奏はあまりなく、文字通り曲の調子を採って情緒を盛り上げ、仕舞を補足し幅を付ける効果があります。特に、「能」の世界では、囃子方の合いの手と緩急の鼓音、笛・太鼓のリズムの間にある、「凛とした静粛の一瞬」が演出効果を高めていると思います。
緩急と静粛の「間」の中に物語の喜怒哀楽を封じ込めているのが、正に幽玄の世界であり、「能」の芸術だと思われ、観客はその「間」から、人それぞれ感性・経験に基づいた感情をくみ取るのではないでしょうか?
この緩急と静粛の「間」を司るのが「能」で舞う「シテ」であって、プロの世界では地謡も囃子方も「シテ」の動きに合わせて謡い奏すると言われています。
しかしながら、私のような素人は、舞の形と動きを覚えるのが精一杯で、舞は地謡や囃子方の笛や太鼓に合わせて動きます。 自ら地謡や囃子方を導くには、何十回、何百回と鍛錬をしなければ出来そうにありませんが、「舞囃子」を経験することが、「謡曲と仕舞」に、瞬時静粛の「間」を採り入れて、一層違ったより深いものに導いてくれると信じています。
大嶋 一晃(記) (2001年4月長船火プ設部退職)
舞囃子「羽衣」横浜金剛会 シテは大嶋様 横浜能楽堂本舞台
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