能楽 田代和夫様

 昨年の総会で懐に忍ばせた扇を突然取り出して舞って頂いたのを覚えておられる方は多いと思いますが、
今回は「能楽の勧め」を寄稿して頂きました。(伊藤)

能楽の勧め  田代和夫  1975年入社(火力プラント部陸用ボイラ設計一課本体係配属)

1.能楽を習い始めた経緯

 昨年開催された長機会(場所:日比谷松本楼)にて自己紹介した際に趣味の舞を少しご披露させて頂いたことから、
入会1年目ながら厚かましくも本趣味の広場への投稿をさせて頂く次第です。

 私が謡と舞に出会えましたのは、15年ほど前 当時長船のボイラ設計に所属しアフターサービス(中部電力のPM業務)に
携わっておりました時に火力サービスにいらっしゃった二工作ご出身の大蔵様(私よりも10歳年上の先輩)から
『田代君は、何か趣味を持ってますか?』と聞かれ、『いや今は仕事が趣味みたいなものです』と答えたら、当時私の年齢は
49歳でしたので『50歳過ぎたら、何か趣味を持たないと定年を迎えたとき家庭で粗大ごみ扱いされるよ』と言われ、
ちょうど翌週に大蔵様が出演される謡と舞の大会があるとのことから、住吉のチトセピアホールに招待され 紋付袴の
いでたちでステージに上がられ、見事な舞を披露され、衝撃を受けたことから 『楽しかったです』と軽い気持ちで
答えましたら、翌週の仲間内の稽古を見学しないかとお誘いを受け、行きましたところおじいちゃん達(8名ほど)が
公民館で1人の先生(90歳の嘱託免許を持たれた方)がにこにこ笑いながら楽しく謡と舞の稽古(芸能の世界では練習と
言わず稽古と言います)をされておりました。

 一緒に謡いましょうと言われ、見よう見まねで謡本(書かれている漢字が読めずに苦労しながら)の読み仮名に沿って
を出しましたところ 先生から『筋がいいね、声も通るね』と褒められてしまい、来週からもいらっしゃいと誘われ
これがきっかけで謡と舞の世界にのめりこんでいった経緯です。(会員を増やすべく下心もあったようです。笑)

 その後、福岡の先生や東京の先生等から1対1(マンツーマン)で稽古を重ね、年に3回ほど長崎県内(島原、諫早、大村、
佐世保等)の大会にも参加させて頂き、今は東京に住まいを移したことから、西巣鴨の能楽師宅に月2回ほど稽古に通って
おります。(添付は4分35秒のビデオですのでご覧ください)


2.能楽とは

 少し能楽の説明をさせて頂きます。
 私が習っている能楽は、『宝生(ほうしょう)流』という流派であり、他に『観世(かんぜ)、金春(こんぱる)、
金剛(こんごう)、喜多(きた)』を含め五流派があります。
 宝生流の祖は、観阿弥(かんあみ)の長兄、宝生大夫(たいふ)とされます。宝生大夫は、大和猿楽の外山(とび)座
に加わっていましたが、外山座の中心的役者宝生太夫の名をとって、宝生座と呼ばれました。
 江戸時代、能をこよなく愛した5代将軍綱吉は特に宝生座を贔屓(ひいき)にしました。この時期加賀藩も宝生座を重用し、
現在も東京と北陸で宝生流が大きな勢力を持つ理由となっています。
 また、11代将軍家斉も宝生流を愛好。重厚な芸風で知られますが、『謡宝生』とも呼ばれる細やかで優美な節回しの謡も
徴的です。
 能楽は室町時代から650年もの長きにわたり受け継がれている世界最古の芸能です。この趣味に出会えたことにより
仕事以外のお仲間もでき、発表会の出演を楽しみに一生の趣味として続けていきたいと思います。

 昨年6月の大会(水道橋宝生能楽堂)の様子を写真に撮影しておりますのでご覧下さい。ご興味ある方は、お声かけ下さい。
お待ちしております。【連絡先】携帯電話:090-8398-0494 ,メールアドレス:tashiro1109@icloud.com