武道 弓道 (河合武久様)

弓道を77歳から始められ、その大きな魅力に嵌ってその奥深さをかみしめ日々修行されている河合武久様よりお便りを頂きました。伊藤

「弓の道」に魅せられて              河合武久

 恥ずかしながら、77歳から弓道なるものを始め、その魅力に嵌っている。大きく、大らかに、自分の胸の内に地球を包み込むような気概で弓を引き絞り遠くに小さく見える的に向かって無心に矢を放つ。レーザービームの様に一直線に飛び、ポンという乾いた音と共に的に突き刺さる。何とも言えぬ爽快感である。

弓道の魅力の幾つかを纏めてみた。
1.正射必中(正しく射れば、必ず中る)
 弓道で大切なのは、単に的に当てるという結果ではなく、其処に至るまでの過程である。この点が、的当てゲームの
アーチェリーと大いに異なる。
精神を集中して、正しい射法に忠実であったか、的に当てたいというやましい心はなかったか、ということを問われる。 振り返ってみると、私の人生は結果のみを追いかけて来た気がする。受注、売上、利益の結果が良ければそれで良しとしてきた。
 しかし、今になって懐かしく、大切なものとして思い出すのは、物事の結末ではなく、其処に至るまでの苦労や喜び、即ち過程であった。弓道では、正しい、あるべき姿を求めて努力を続ける過程を重要視される。逆に言えば、正しく射れば、必ず中る。正しく射ることこそが大切というという「正射必中の精神」が弓道の神髄に有るように思う。とは言うものの、凡人の浅はかさ、的中率の良かった日は、心楽しく、的中が思うように行かなかった日は心ふさぐ。まだまだ修行が足りない。

2.射法八節と残心
 弓道の射法は、八段階の作法に従って行われる。その詳細は添付の図の通りだが、その一つ一つに厳格な作法、教えが有る。この中でも一番心惹かれるのは、最後の「残心」である。「離れ」で矢を射終わったらそれでお終いではない。
なお残されたものがる。それが残心である。的に的中して奢らず、外れて悔やまず、ただ静かに自らの来し方の射を反省する、この姿勢が弓道では大きく評価される。中ったからと言って、ガッツポーズなどしたのでは、昇段試験では不合格になる。これは、剣道、柔道など日本の武道共通の精神のようだ。武道の始まりは、命のやり取り、真剣勝負であるから、ガッツポーズで喜んだりしてはならないのだろう。弓の道は奥が深い。

 

3.射は、礼に始まり、礼に終わる
弓道の教本に、儒教の礼記から引用して「射は進退周還必ず礼にあたる」とある。この「礼」は、自己に対する慎みと、同時に自己以外の人に対する儀礼、心遣いを意味しているようだ。単に射法の技術が優れているだけでなく、
 「礼」も深くわきまえることにより、品格のある、真・善・美にかなった射になる、と教えられる。道場に入ると、先ず板の間に正座して、身体を45度に屈めて礼をし、「先生よろしくお願いします、皆さんよろしくお願いします」と挨拶をする。道場では、通常6人の射手が弓を射っているから、このうち一人でも上記の射の構えに入っていると、声をかけるのは遠慮せねばならない。相手の精神統一の邪魔をすることになる。皆が射終わるのを、板の間で正座して待っていることになる。最初の頃、それを知らずにうっかり挨拶をして咎められた。日頃礼儀作法とは縁遠い、のんびりした生活をしている身には、この「礼」なるものは堅苦しい。しかし、少しの緊張感のある時間を持つことは、人生にとって大切なことだろうと思う。

4.段位への挑戦
弓道を始めた時は、段位を取ろうなどという気は毛頭なかった。のんびりと余生を楽しめれば良いと気楽に構えていた。
しかし、道場の先輩から「河合さん、どうせやるなら段位に挑戦しなければ駄目ですよ」と発破をかけられ、「河合さんなら受かりますよ」とおだてられ、挑戦することにした。初段は一年目、弐段は二年目と順調に合格した。
しかし、三段になり急に難しくなり、今その高い壁に登ろうと苦戦中である。80歳を超えて、足腰がふらつき始めた身にとっては、技の上達が先か、身体の老化が先か、追い駆けっこになってきた。寒い日には、心臓発作を起こすといけないと練習を休み、暑い日には熱中症になるといけないと又休み、なかなか上達しない。しかし、段位に挑戦するのはその結果ではなく、挑戦の過程の努力が貴重なのだ、これこそ弓道の教えではないかと自らに言い聞かせている。焦らず、無理せず、でも諦めない、の精神で頑張ろうと思っている。

 弓道を始めて四年経った。漸く扉をたたいて門をまたいだ感がする。其処に続弓の道は奥が深く遠い。足腰がふらつき始めた八十路の坂を上る身にとって、日暮れて道遠し、あと何年続けられるか分からぬが、少しでもその奥義に近づくよう修行したいと思っている。挑戦することが有るのは素晴らしい。
                                           (2020・3・20記)